書評
2024年4月号掲載
伊良刹那『海を覗く』刊行記念特集
〈影響〉という名の翼
伊良刹那『海を覗く』
対象書籍名:『海を覗く』
対象著者:伊良刹那
対象書籍ISBN:978-4-10-355441-7
自身を顧みるに、本格的読書を三島文学から開始した私は、浴びるように三島を食らっていた当時、まれに小説を読んでいる友人がいるとその手にあるのが三島作品でないのを見て、「なんで三島由紀夫読まへんのやろ?」と不思議に思うような仕方のない高校生であった。
同じく三島文学に傾倒する作者による『海を覗く』は、第五十五回新潮新人賞に輝いた作品である。
作者・伊良刹那は同賞受賞者の最年少。三島由紀夫を読み始めて二年足らずの十七歳の少年がこの小説を書いたことは理屈抜きに衝撃であり、かつ作者の年齢を考えればこの作品はほんの瞬きの間の通過点に違いなく、これが処女作であり出発点なんだったら、この先いったいどれだけ化けるの? というおののきを禁じ得ない。
『海を覗く』の主人公・速水圭一は高校二年、美術部員である。同級生である北条司の美貌と透徹した無関心さに惹かれ、絵のモデルになってもらう約束をする。物語は速水自身の内省を基調として彼の北条への恋が描かれ、同じ美術部員の山中春美、美術部部長の矢谷始なども絡みつつ十代の潔癖な観念性、アンバランスな精神性が浮き彫りにされる。
作者自身が述べるように、『海を覗く』は三島へのオマージュとして捧げられている。例えば主人公の〈認識〉への固執、観念的な美の追求、同性愛。女性への残酷な眼差し、〈火〉への心理的接近、また〈窃視〉〈仮面〉といった語の頻出。三島作品、とりわけ『金閣寺』『豊饒の海』あるいは『仮面の告白』あたりの諸作品における主要概念あるいは人物造型等がこの『海を覗く』に綺羅星のごとく鏤められ、まさにこの作者の全身は三島で出来ている、そんな印象すら受ける。
しかしながらただの模倣ではもちろんなく、もろもろの三島要素を作者はその年齢なりの素材、創意、感性の中に落とし込み、清新な言語感覚で新しいイメージと世界観を引き出して見せる。
しかも冒頭から結末までまったく息切れしていない。タダモノではない。
私個人としてはこの作者の繰り出す比喩が好きだ。非常に新鮮かつ独特。一つだけ例を挙げる。奄美に修学旅行に行ったさい北条と並んで海辺に座っていた速水が、ふと二人の間に落ちていた小さなガラスの欠片を見つけて摘み上げ、太陽を透かし見たときの印象。
〈破片が日を浴びる。それだけで、ガラスの透明な内部構造がさらに砕かれたように見える。何かを壊すということは、何かを照らすということとよく似ていた〉
比喩表現にかぎらず文章中の個々の言葉遣いからしてかなりアクロバティックで、しばしば「破格」なのである。それも日本語としてあまりにきわきわな表現の数々だ。そのため最初は少々面食らうが、じょじょに、破格と取るよりは、それがこの書き手の個性であり自由さであると取る方が妥当な態度かもしれないと思い始める。文章そのものに説得されたのだ。つまりそこに展開されているものが、作者の単なる言葉への無知ないし軽視からではないことが、読むほどに感じられるからである。たとえばAIを利用して「三島風文章」を書くことは可能だろう。しかしこの文章は決して書けない。
小説として未熟な点は多々ある。例えばエピソード相互の関連づけ、時間経過の処理、場面設定の自然さ等に関してだが、それを補って余りある才気が全篇に漲っており、全体として独自で魅力的な世界を創り出し得ている。それは先に述べたように傑出した文章力によるところも大きいが、やはり作者が自分の書きたいものをまっすぐに見つめ、終始ぶれていない粘り強さが最大の要因だと思う。作家になりたい、というよりまず書いてみたい文章と物語があったから書いた、という作者。(執筆当時)高校生であった作者が人生と相渉り、いま世に在ることの困難の感覚が痛切に伝わってくる。
未来にむけて作者に期待したいのは、現在の方法論の根底にある三島と対峙し、批評的態度を以て自身内部にあるその圧倒的〈影響〉を変質させていくこと。〈影響〉は枷であり限界でもありうるが、一段階、二段階と突破した先にある、その〈影響〉を翼として羽ばたく空は無窮だろう。誰しも第一歩を踏み出すさいに「縛り」は必要なのだ。三島自身が語ったように小説とは「どう仕様もないほど自由」な芸術分野だから。一作ごとに前作を瞬殺してゆく若い勢いで、今後とも読者をこっぱみじんにしつづけてもらいたい。
(いしい・ゆうか 作家)