書評

2024年4月号掲載

もがく。ふたり暮らしの、その先で

青木冨貴子『アローン・アゲイン―最愛の夫ピート・ハミルをなくして―』

下重暁子

対象書籍名:『アローン・アゲイン―最愛の夫ピート・ハミルをなくして―』
対象著者:青木冨貴子
対象書籍ISBN:978-4-10-373208-2

「アローン・アゲイン」、その題名がすべてを物語っている。人は、一人で生まれ一人で死ぬのだ。その事実は誰にとっても同じ、しかしその間の出会いや、辿る道筋で起こる出来事や決断によって様々な人生が待っている。
 作者の青木冨貴子さんは、ジャーナリストとしてアメリカの「ニューズウィーク日本版」のニューヨーク支局長として渡米する所から人生が大きく変わる。それまで、ノンフィクション作家として日本で活躍してキャリアを積んだ。その間仕事にだけ生きてきたような人生に、大きな変化をもたらす出会いが待っていた。
 ピート・ハミル。映画「しあわせの黄色いハンカチ」の原作者である。私もその映画を見たが、むしろ彼について印象に残っているのは、ベトナム反戦運動の盛んだった1960年代に反戦を訴えていた姿だ。その影響を受けて、日本での「ベトナムに平和を!」の運動に時々顔を出す破目になったのである。
 短編小説や歴史小説などがベストセラーになったことで名前は知っていた。その人にインタビューしたのを機に心を通わせ、青木さんがニューヨークで勤務することになって、ふたりの仲は急速に縮まる。仕事仲間として、さらに一人の男と一人の女という個人として。
 そして一度ならぬ幾度もの別れの予感を経ながらも、運命的に結ばれる。しかしそれ以降も、個人として自らの生活と仕事は続け、ピート・ハミル、青木冨貴子という個人であり続ける。私も結婚後、ふたり暮らしの中で一人暮らしを変えなかったから、その生活態度がよく理解できる。
 むしろふたり暮らしをしてこそ一人暮らし、独立した個人として生きられるかどうかが試されるのだ。一人なら一人暮らしが当然だから、ふたり暮らしの中でこそ自立が試されることをいやというほど味わった。
 青木さんも悩みながらも、ふたり暮らしの中で自立を見事に試みていたように思う。
 年を重ねてからのふたり暮らしは、個人と個人が相手を認め合う旅であった。
 そんな中でひたひたと近づいてくるものに気付きながら、気付かぬふりをすることの辛さ、しかしそれは必ずやってくる。
 ピート・ハミルに糖尿病が認められ、その病はあらゆる病を呼び寄せる。それに抗い戦いながらふたりの生活は続くが、やがてその日がくることは、このふたりにとっても例外ではなかった。
 おびえながらも、青木さんは、その日のための覚悟を固めていく。かつて一人暮らしだった頃を思い出し耐えねばならない、と必死だったかもしれない。
 何度も回復し、期待と失望をくり返しながらも確実にその日は近づいてくる。そして実際にそれが目の前に現われた時のショックは想像を絶するものであった。
「二〇二〇年八月に夫がいなくなってから二年を過ぎる頃まで、何を見ても彼を思い出す日々が続いた。スーパーマーケットで緑のぶどうを見れば、それを毎日食べていた姿が目に浮かんだし、ダイエット・ペプシのボトルを見れば、仕事机の上にいつも置かれていた氷いっぱいの大きなグラスを思った」
 私の友人も夫を失ってしばらくの間、食事の支度をすれば、ついご飯茶碗をふたつ並べてしまうし、お茶を飲むにもカップを知らぬ間にふたつ取り出していたと言う。
 その気持ちは分かる気がする。そして私自身、ふたり暮らしが終りを告げた時、どうなるかの見当がつかない。
 かつての一人暮らしに戻るだけと自分に言い聞かせているが、それを実行できるかどうかの確信はない。その時のために若い友達を日頃からつくる努力もしている。自分の心をごまかすために……。
「わたしはそういう“もの”を見ないように試みたが、思いがけず目に入ることもある。まして場所とか建物などは避けきれるものではない。そのなかでもいちばん困るのがブルックリン・ブリッジだった」
 ふたりが暮らしたブルックリンとマンハッタンを結ぶ橋。ピートはこの橋が大好きだった。
 ふたりで「最後の二年」を暮らした家を離れ、青木さんは長く住んだトライベッカのロフトへ戻り一人暮らしをする。
 なんとか日常を取り戻そうとする作者の涙ぐましい努力――しかし、かつての孤独や一人暮らしは取り戻せるのか。
 孤独とは、一人で生きていく覚悟である。彼女の戦いを表現するのに「もがき」という言葉を思いつくまで、ずいぶん時間がかかった。
 人は一人で生まれて一人で去ると言うのは易しいが、ふたり暮らしの「それから」に私も自信は持てないでいる。

(しもじゅう・あきこ 作家)

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