書評

2024年4月号掲載

大恐慌時代の追いつめられた青春

エドワード・アンダースン『夜の人々』

川本三郎

対象書籍名:『夜の人々』
対象著者:エドワード・アンダースン/矢口誠 訳
対象書籍ISBN:978-4-10-240521-5

 1930年代のアメリカでは、銀行を襲う犯罪者たちが悪のヒーローとして大衆のあいだで名を馳せた。
 アーサー・ペン監督の「俺たちに明日はない」(1967年)で描かれたボニー・パーカーとクライド・バロー、ジョン・ミリアス監督、ウォーレン・オーツ主演の「デリンジャー」(1973年)のジョン・デリンジャー、その仲間のレスター・ギリス、あるいは機関銃を撃ちまくったジョージ・“マシンガン”・ケリーとその妻キャスリン、恐るべき子供アンファン・テリブルと呼ばれたチャールズ・“プリティ・ボーイ”・フロイド、あるいはまた息子たちが犯行を重ね、その首謀者とも目されたアリゾナ・クラーク・“マ”・バーカー。
 挙げていけば切りがないが、いずれも実在したアウトローである。1930年代はアメリカの大恐慌時代。彼らの多くは疲弊した中西部のプアホワイト。「俺たちに明日はない」のなかに銀行に土地、家屋を取られた貧しい農民がボニーとクライドに共感する場面があるが、貧しい農民たちにとってはアウトローたちは、貧乏人から金を奪う銀行(主として東部資本)を襲うのだから一種の義賊だった。
 西部開拓時代、鉄道会社に土地を取られた農民たちが、ジェシー・ジェイムズやブッチ・キャシディとサンダンス・キッド、ビリー・ザ・キッドたちアウトローをヒーローとしたのも、彼らが東部資本の銀行や鉄道会社を襲ったからだった。それと似たアウトロー賛歌である。

 エドワード・アンダースンの『夜の人々』はこの1930年代、アメリカ中西部で銀行などを襲った若いボウイとその恋人キーチーの逃避行を描いたノワール小説。
 二人は実在の人間ではなく、アンダースンが犯罪者たちを取材して作り上げた架空の人物だが、現実にいたとしてもおかしくないようにリアルに描かれている。
 発表された1937年といえば現実のアウトローたちの記憶が新しかった時であり、映画史に残る犯罪映画、フリッツ・ラング監督の「暗黒街の弾痕」が公開された年である。ヘンリイ・フォンダとシルヴィア・シドニーが警察に追われる若者を演じたが、この二人は同時代のボニーとクライドをモデルにしていた。
『夜の人々』も同様に若い二人が警察から逃げ続ける物語。アンダースンは、実在したボニーとクライドを意識したのではないか。
 ボウイは貧しい家の生まれ。十八歳の時に強盗目的で、ある商店に押入り店主を殺害してしまった。死刑の判決を受けたが、若かったためだろう、終身刑に減刑となった。
 ボウイは、オクラホマ州の州立刑務所から二人の年上の囚人仲間と脱獄に成功する。そして匿ってくれた仲間の従兄の家にいるキーチーという少女と知り合い、愛し合うようになる。
 キーチーもまたボウイと同様、貧しい家の娘。先住民の血が入っているようだ。田舎暮しでそれまで恋をしたこともない。それがボウイが同じような境遇と知ったこともあって愛し合うようになってゆく。犯罪小説というより青春小説になっている。それも華やかな青春ではなく、あくまでもうらぶれた青春であるのが切ない。
 1930年代の疲弊した中西部の風景も的確に描かれている。トウモロコシ畑や綿花畑はどこか埃っぽい。線路脇には「ホーボー」と呼ばれる列車にただ乗りしながら旅を続ける放浪者がいる。野にはオポッサムという有袋類で悪臭の屁を放つ小動物がいる。
 それまで家の外の生活など知らなかったキーチーが、ボウイについて逃亡生活を続ける。ボウイはいずれは犯罪から足を洗い、かたぎの暮しを持ちたいと思っていて、逃亡中にキーチーと結婚する。といっても定住する家はないからモーテルやインを渡り歩いてゆく。小さな宿が家として夢見られる。
 いずれは国境を越えてメキシコに逃げようとしているのか。ある時、ラジオでメキシコの歌「ラ・ゴロンドリーナ(つばめ)」を聴くところが泣かせる。あのサム・ペキンパーの傑作「ワイルドバンチ」(1969年)の主題歌ともいうべき、“神様、私はもう飛べない”と歌われる悲しい歌だ。
 この小説はニコラス・レイ監督、ファーリイ・グレンジャー、キャシー・オドネル主演の「夜の人々」(1948年)、そのリメイクであるロバート・アルトマン監督、キース・キャラダイン、シェリー・デュヴァル主演の「ボウイ&キーチ」(1974年)の原作になる。日本では初訳。原題は“Thieves Like Us”。「銀行のやつらだって俺たちと同じ強盗だ」といった意味だろう。アルトマン監督の「ボウイ&キーチ」の原題もこれだった。

(かわもと・さぶろう 評論家)

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