対談・鼎談
2024年5月号掲載
『不思議な時計 本の小説』刊行記念対談
よむ・××・かく――永遠につながる喜び
北村薫 × 種村弘
発見、連想、調査……ぐるぐるまわる面白さ!
対象書籍名:『不思議な時計 本の小説』
対象著者:北村薫
対象書籍ISBN:978-4-10-406617-9
北村 今日はいらしてくださり、ありがとうございました。以前、劇団キャラメルボックスが、私の『スキップ』を上演してくれたとき、打ち上げがありましてね、私が行ったら、劇団の人たちが、「北村さんはえらい。この間、宮沢賢治をやったんですが、宮沢賢治は来てくれなかった」。
穂村 あはは。ほんとですか。
北村 今回ひじょうに稀な体験ができる。なんと登場人物と対談。この本には、前半に穂村さんが出てきて、後半は萩原朔太郎が出てくる。萩原朔太郎はたぶん――
穂村 来てくれない、と。
北村 来てくれないと思うんですけど、穂村さんは来てくれた。
穂村 そういうことですか。
北村 はい。
穂村 この本、このシリーズは、めちゃくちゃ楽しそうですよね、作者が。北村さんの本は、新ジャンルを切り開くものが多いと思っていて、『空飛ぶ馬』が《日常の謎》――その後にずっと繋がるあの大きなジャンルを開いたのはもちろんですが、お父様の生きた時代の、さまざまな人物像を描いた『いとま申して』の三部作も、時間と人間の運命の話で、神様にはすべて見えているけど、本人にはわからない。でも、子孫というか、要するに我々未来人が読むと、運命の綾が俯瞰できて、それを見せてもらえる作品。痛切な運命の持ち主ってやっぱりいますよね。ああ、よくこの人を捉えてくれた、と。
北村 誰も知らない脇役の人物が、こんなふうに亡くなって消えていく、というのを。
穂村 ええ、誰にも気づかれないその人の思いに、北村さんが光を当ててくれるから、我々は、彼のような人がたくさんいたことを知ることができる。もちろん折口信夫や西脇順三郎のすごさも知りたいけど、一方で消えてしまった人の思いも同時に書いてもらえて、あのシリーズ、すごく好きなんです。それから、『空飛ぶ馬』の日常の謎もそうだし、お父様の『いとま申して』のシリーズにも共通する要素として、読書探偵って言うのかな、そういう要素があって、今回の本はそこが思う存分展開されて、北村さんの筆も弾んでいて、「こんなに楽しいんだ!」って思いました。飲む・打つ・買うをやってきた人より、後半生は本好きのほうが楽しくなるのかもっていうのがわかって、心強かったです。
北村 『いとま申して』でも、書きながら、いろんなことを思い返していて、それを、あれから十年とか過ぎて、自分で読み返しても、もう忘れていることが、けっこうあるんです。あの時は、子どもの頃のことを覚えていたのに、今は、あ、そういえばそうだったなって。それは悲しいことなんだけど、脳の中の記憶って薄れていくんですね。最近、本を読んでいても、数時間前に読んで、ああ、面白いなと思ったことを、何だったか忘れていたりするんですよ。どんな内容だったかも覚えてない。そういうことが自分の頭の中から消えていってしまうのは、とても残念なんでね、それをとどめておきたいという気持ちがあります。
穂村 北村さんは日記を?
北村 書いてない。
穂村 じゃ著作が日記みたいな感じですかね。記憶といえば、僕は本を買って読んで、面白いとこを折る癖があるんですけど、読み終えて書棚に収めるとき、同じ本があって、見ると同じところが折られていて、ああ、同じ人が読んだんだって――自分なんですけど、怖いですよね。
北村 そういう自分なので、この本を読んだ時のあることと、昔に読んだあること、さらに記憶の奥のなにかがぶつかって、玉突きの玉のように動く。それを書き留めていけば、思いがけないものが、そこから生まれる。単体ではない、いろいろドラマがある。
穂村 発見、連想、調査、発見、連想、調査っていう流れですね。これがじつにスリリング。発見するには知識がないとダメ、連想するにはひらめきがないとダメ、調査するには真面目さがないとダメ、北村さんはその全部を持っているから、これはすごい。それがぐるぐるぐるぐる回って、しかも読書探偵の仲間というか盟友がこう、登場人物的に、担当さんがいたりね、編集長がいたりして、どんどん面白くなっていく。たとえば、「猟奇と言えば殺人と答える」ってところがあって、「山のこだまのうれしさよ」と続くんだけれど、これは説明がなくて。本歌取りですよね。「二人は若い」とかなんでしょ、僕の世代でギリギリ知ってるぐらい。元ネタは「あなたと呼べばあなたと答える」、それが「猟奇と言えば殺人と答える」で「山のこだまのうれしさよ」っていう。
北村 いや、注がついたら、つまらないですよね。
穂村 ブラックユーモア極まれり。
北村 で、自分としては小説だから、現実のままのようでいて、じつはちょっといろいろね、作っているところもあります。
穂村 あ、そうなんですか。
北村 穂村さんの言ったことはゆるがせにできないんで、事実。担当さんのことはけっこういじらせていただいたりとかして。
穂村 仲間だから。
北村 私が言ったことを担当さんのところに入れさせていただいたりとか、塩梅してる部分はあるので、そういう点ではこう、ひじょうに小説的な操作はやってはいるんです。
穂村 じつに繊細な操作があるようで。あれっ、書かれるべき一行がないまま飛んでるって思ったりして、『悪魔が来りて笛を吹く』の元ネタの詩の話で、何が来たんだ? ってところが、書かれてないから調べてみたら、なるほど。伏せたほうが、という一行が――
北村 木下杢太郎の詩に、書かないほうがいい一行がある。
穂村 そもそも僕はあれが本歌取りだって知らなかったから、あ、そうなんだ、と。
北村 この対談を読んだ人は、また気になると思うね。
穂村 なりますよね。なんなんだ? と。今はネットがあるからスマホで検索すれば、ああ、そういうことか、という。
北村 でも、そこで疑問にすら思わず通り過ぎちゃう人もいるだろうし、穂村さんのように、あれっ、何だ? って調べてくれたりすると、そこからまた能動的に世界が広がっていくっていうのが嬉しいことですね。
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穂村 あそこも好き。あの、江戸川乱歩と朔太郎が「木馬心酔者」って。その言葉、面白いですよね。なんだ、木馬心酔者って? と思うけど。木馬に心酔した二人が、当時で言えばもう中年もいいとこなんだろうけど、一緒に乗ってしまうという夢のような実話。この二人の才能の秘密は童心だと思うから、木馬はタイムマシンみたいな感じがする。
北村 記憶だと二人とも木馬に乗ってるような図が浮かぶんだけど乱歩は……
穂村 自動車型のに乗っていたと。
北村 その辺が面白いですね。
穂村 あとトランプの手品の違いもね、二人の作風を考えるとなんか面白いですよね。ミステリと韻文と。ジャンルの起点になるような巨人たちがあんなにこう、子どもの純度が高いっていうのが、やっぱり嬉しい。乱歩がミステリのトップでよかったなとか、朔太郎から口語自由詩が始まってよかったな、みたいにね、思いますね。森鴎外とかだと、偉すぎて無理みたいな。鴎外になんか誰もなれないじゃんみたいに思っちゃうけど、乱歩や朔太郎はね、なんかこう、もちろんなれないんだけど、でもやっぱり鴎外とは違いますよね、大人じゃない。
北村 穂村さん、木馬は?
穂村 えっ、乗りますか、今度一緒に。
「ここまでおいで、乱歩さん」
――ここはやっぱり小説たるところですね、この辺がね。
これは、「当時は明治期、少年時代の郷愁に満ちたジンタ楽隊の伴奏つきであった」と、乱歩が実際に書いてますものね。やっぱりこういうイメージですよね。タイムマシンみたいにこう、それに乗った時、我々は、禿げてるけど子どもなんだ、みたいな。
北村 それで、ちょっと朔太郎のほうがお兄ちゃんって感じになっているっていうのがね。
穂村 年上ですもんね、朔太郎のほうがね。
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北村 今回は萩原朔美さんからとてもいいお言葉を、「波」2024年4月号の書評でいただいて、このものがたりは、こうやって完結するのかと思いました。
穂村 この時計の話もね、すごかったです。
北村 私が古本屋回りをしていて見つけた萩原葉子さんのエッセイにその時計のことが書かれていて、私の大事な父・朔太郎の遺品です、と。それはわりあい知られていない文章だった。たまたま神保町でそのエッセイが収録された本を手に入れて、ああ、なるほどなと思って読んで、その時計に出会えて、これがそうか、朔太郎はこのネジを回したのかって思っていたら、それは全然違って間違いだった、と。それもまた、葉子さんらしいんですけどね。
穂村 本は買っておくべきってわかっているんですけどね、置き場所はどうなってるんですか。
北村 いや、べつにそれほどでも。
穂村 買うべき本を買っている。引きが強い。
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穂村 あれも面白かったな、「もゝちどり」について、以前書いたことの訂正が入っていたりするのも、メタ的で。
北村 本当はね、ちゃんとその本で訂正版を再版してほしいんですけど。
穂村 あの形が面白い気も。すごくリアルな感じがするんですよね。たしかに、読書探偵の調査に終わりはないんです。どこまでも新発見って続くわけだから。
北村 日々ありますよ、いろんなことが。で、生きててよかったなと思う。
穂村 ね、こんなに楽しいなら、神保町、僕も久しく行かなくなっていたけど、また行こうかなって思いました。
北村 だからいろいろ読んでると、ああ、これ、死んでいたらこれ読めないから、知らないままだったな、と。
穂村 知らないままで死んでいくんだってね――いや、後からこれをあの人に教えてあげたかったみたいなこともありますよね。あの人にこそ、これを知ってほしかった、みたいな。
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穂村 北村さんの連想力ってやっぱりすごくて、パノラマの話からモネの睡蓮、あの部屋が一種のパノラマ的な空間だっていうのもびっくり。そういう発見、やっぱり肝は連想の部分ですよね。“そう言えば”あれと繋がる、と。それで、本を探してるうちに、また偶然、出会ってしまう。その臨場感を読者も一緒に味わうことができる。
さっきも言いましたが、飲む・打つ・買う的に行くと、だんだんすさんでくるけど、こんなに楽しいならいつまでも生きて本を読み続けたい、と。年を取れば取るほど、本の偶然性の繋がりって深く広くなっていくから、ほんとうに北村さんの場合は、古今であり東西でありね、韻文と散文みたいな繋がりもあるし、すべての要素が含まれていて。この本は、いつまででも読んでいられるっていう感じがしました。
2024年3月28日 新潮社クラブにて
(きたむら・かおる 作家)
(ほむら・ひろし 歌人)