書評

2024年5月号掲載

複雑さのために

キム・フン『ハルビン』(新潮クレスト・ブックス)

高橋源一郎

対象書籍名:『ハルビン』
対象著者:キム・フン/蓮池薫 訳
対象書籍ISBN:978-4-10-590194-3

 安重根は日本では「あんじゅうこん」、朝鮮・韓国では「アン・ジュングン」。だから日本人であるわたしたちにとっては、二つの名前を持つ。
 安重根は大韓帝国の人であった。正確にいうなら、1879年、朝鮮国に生まれた。その国はやがて大韓帝国と名を変え、さらに、安重根が亡くなった直後に日本に併合され消滅する。とても複雑だ。
 安重根は祖国を奪われた人だった。そして、祖国を奪った国、日本の代表として、元朝鮮統監・伊藤博文をハルビン駅で狙撃した。だから、安重根は暗殺者だ。祖国を奪われた人びとにとっては愛国者であり、その反対側の人びとから見ればテロリストである。それも複雑だ。
 安重根は、カトリックの信者でもあった。けれども「人を殺すな」という戒律を犯した。そのことを深く理解した上で安重根はあえて弾丸を放った。だから複雑だ。
 狙撃者の安重根は支配している日本人の代表を射殺した……その単純な事実の中に潜んでいる、きわめて複雑なものを、作者は渾身の力をこめて取り出そうとした。国家と人間、共同体と個人、ことばと行動、テロと政治、愛と憎しみ、信仰と神への疑い、等々。どの一つをとっても、簡単には言い尽くせない事柄を、どれだけ正確に描けるのか。そのとき作者がとったやり方は「複雑さを棄てない」ことだった。
 安重根がやったことは正しかったのか。それとも正しくなかったのか。暴力は許されるのか、許されないのか。立場が変われば、見方が変わる。そんな事件の現場に、作者は接近し、ぼくたち読者にこう誘うのである。

「君たちも、現場に立ち会わなければならない。仮に、そのことによって傷つくとしても」

 安重根には禹徳淳という共犯者がいた。安か禹かどちらかが伊藤を撃つ予定だった。けれども、ふたりは、まったく異なった環境で育ち、それまでに二、三度しか会ったことがなく、「胸襟を開いて通じ合う仲」でもなく、政治的対話すらなかった。では、なぜ、ふたりはその壁を乗り越えて、伊藤を射殺したのか。いくらふたりを尋問しても、検察官は、明確な回答を得ることができない。この歴史的な事件の中心にたどり着くことができないのである。
 最後に、検察官は、安重根にこう訊ねる。

「おまえの行いが人の道理と宗教の教えに反しないと考えるのか」

 その最後の問いに、安重根は黙して答えることがない。なぜ、安重根は答えないのか。それは、彼がすでに、「弾丸」という形で答えているからだ。それ以外の答がないことを彼は知っているからだ。

 小説が終わった後におかれた「作者の言葉」の最後には、こう書かれている。

「安重根をその時代の中に閉じ込めておくことはできない。『無職』であり『猟師』である安重根が弱肉強食の人間世界の運命に立ち向かいながら、絶えず話しかけてきている。安重根は語り、また語った。安重根の銃は安重根の言葉だった」

 言葉を法で罰することはできない。言葉を監獄に閉じ込めることはできない。作者は『ハルビン』の中で、安重根というひとりの人間を、政治やイデオロギーの狭い世界から、言葉の世界に解きはなった。小説という自由な空間の中に、安重根という、様々な意味が周りから賦与され続けてきた存在を、歴史の澱の底に沈みかけていた人間を、見たことのない新しいなにかとして蘇らせた。そこでなら、わたしたちは出会うことができるのだ。あるいは、答えを聞くことができるのだ。ほんとうは何が起こったのかを。わたしたちが、世界の「複雑さ」に怯えることさえなければ。

(たかはし・げんいちろう 作家)

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