書評
2024年5月号掲載
「生きる心」と書いて「性」
月吹文香『赤い星々は沈まない』
対象書籍名:『赤い星々は沈まない』
対象著者:月吹文香
対象書籍ISBN:978-4-10-359611-0
本書は第18回「女による女のためのR-18文学賞」大賞受賞作である表題作「赤い星々は沈まない」を含む五編からなる短編集である。
どの短編も、その世代、世代の女性たちが抱える“問題”が鮮やかに切り取られていて、女性読者にはとりわけ刺さるのだが、まずは冒頭に置かれた大賞受賞作に、はっとなる。
語り手は、老人施設で働く看護師のミサだ。ある夜、男性入居者の部屋からのナースコールで駆けつけたミサは、その男性入居者のベッドに全裸で潜り込んでいた新堂キヌ子を目撃する。キヌ子がこの手のことをやらかすのは三度目だ。しかも、ミサから「キヌ子さん、こんど男の人のところに潜りこんだら分かってるわね。もうアカンで」と窘められても、反省するどころか、「なんでよー。なんでアカンのん」と、「駄々っ子のように両腕をぶらつかせた」。
キヌ子は自立度IIb。「思考は安定している。薬の管理ができない程度で、口腔機能も摂食動作も問題ない」。ただ、ただ、こんなふうに性的な行動を起こしてしまうのである。
老いてなお、お盛ん、というか、老いてストッパーが外れたかのようなキヌ子に、ミサは、いつからかセックスレスになってしまっている自分の夫婦生活を思う。息子が生まれてから「潮が引いてゆくように夫は私に触れなくなった」。“したい”キヌ子は、“したい”自分でもある。この、ミサがキヌ子に抱く屈託の重苦しさと、自らの欲望を思うがままに解き放つキヌ子の軽やかさの対比が絶妙だ。キヌ子を巡る男性入居者のトラブルに巻き込まれ、頭を殴られたミサ。その頭を優しく撫でながら、キヌ子が言う、「――厄介なのはな、命そのものやからや。綺麗ごとですむかいな」。
キヌ子のこの言葉に、あぁ、そうだった、「生きる心」と書いて「性」だった、と思う。
「ローズとカサブランカ」は、過干渉の義母に悩む主婦の水織、「soir rouge」は、十五年来のママ友に勧められた「膣活」にハマっていく還暦間近の弥衣子。「カラーレス」は、一緒に応募した読者モデルに、親友だけが一次通過したことをきっかけに、自分の本心と向き合う女子中学生ミク。「肉桂のあと味」は、未だに死んだ婚約者を忘れられない、生まれてから一度もセックスを経験したことのない五十歳の明日香が主人公で、彼女たちの“もやもや”としたものの正体と、そこから一歩踏み出していく姿が描かれている。
なかでも、ママ友への対抗心から「膣活」を試してみた弥衣子が、自分の担当である男性セラピストに溺れていく様は、鬼気迫るものがある。「今の私は、“パン屋のおばちゃん”という顔しか持っていないと、ふいに思う。“母の顔”は彩乃が帰省した時だけでいい。“妻の顔”は五年前に突然奪われ、“娘の顔”はとうの昔になくした」。
この、弥衣子の述懐の、ひりつくような寂しさ。この言葉があるからこそ、男性セラピストに執着してしまう彼女の痛ましさが、読んでいるこちらの胸にも刻まれる。弥衣子が“女の顔”を取り戻したその喜びが深ければ深いほど、その先の絶望も深い。なにより、弥衣子が「膣活」を始めた理由の根底にあるのは、同じような境遇のママ友が、彼女よりも年上の恋人に触れられて「濡れた」ことにある、というのが切なさ増し、増し。
「肉桂のあと味」の明日香は、「赤い星々は沈まない」に登場したミサの夫・裕也の姉、という設定だ(ちなみに、「カラーレス」のミクは、キヌ子の孫娘であり、「赤い星々は沈まない」でキヌ子がミクにあげた「藍色のネグリジェ」は、物語のなかで重要なモチーフになっている)。この、冒頭とラストの物語の絡ませ方も巧い。
「赤い星々は沈まない」ではミサ視点で描かれた夫婦のセックスレスが、「肉桂のあと味」では夫視点で描かれているのだが、その夫の姉である明日香が処女である、ということがコントラストになっている。
勤務している百貨店のランジェリーサロンで、お客のマダムから「膣の劣化」に効果があると聞いた「よもぎ蒸し」を明日香が試そうと思ったのは、「よもぎって煮るとシナモンみたいな匂いになるのよね」という一言からだった。亡くなった婚約者の実家は「ニッキ餅」で評判の和菓子屋であり、ニッキ(シナモン)の香りは、婚約者の匂いでもあったからだ――。
作者は、女性たちの心の波立ちを否定も肯定もせず、静かに、軽やかに描き出す。その筆を支えているのは、女性たちへの信頼だ。R-18文学賞に相応しい一冊である。
(よしだ・のぶこ 文芸評論家)