書評

2024年5月号掲載

自らの失敗の責任をとる人間を描いた第一級の評伝

板谷敏彦『国家の命運は金融にあり 高橋是清の生涯(上・下)』

齊藤誠

対象書籍名:『国家の命運は金融にあり 高橋是清の生涯(上・下)』
対象著者:板谷敏彦
対象書籍ISBN:978-4-10-355631-2/978-4-10-355632-9

 板谷敏彦が描く高橋是清伝は、著者の圧倒的な筆力のおかげで、上下巻の大部なものにもかかわらず、興奮をしながら、一挙に読んだ。板谷は、是清を取り巻く事実を正確に淡々と描くことに注力して、評価や評論をさしはさむことはめったにしない。それにもかかわらず、板谷の是清伝には、従来の是清像を塗り替えてしまう迫力がある。
 板谷の記述は年月だけでなく日時に及ぶ。1927年の昭和金融恐慌の最中、4月19日、是清は田中義一内閣で大蔵大臣に就任する。21日には緊急勅令によるモラトリアムを決定する。枢密院に勅令を諮問する間、民間銀行に22日と23日の休業を要請する。さらに是清は、5月10日の帝国議会会期切れまでに台湾銀行救済の法案を通さなければならない。貴族院を通過したのは10日22時20分だった。
 1931年の金本位制停止の場面も緊迫を伝える。12月13日、是清は犬養毅内閣で大蔵大臣に就任する。その夜、深井英五日銀副総裁と協議し金本位制停止を決める。是清は、緊急勅令による日銀券金兌換停止という深井の大胆な主張を入れる。17日に枢密院の諮問を通るまで、日銀の窓口はのらりくらりとして兌換に応じようとしなかった。
 板谷の記述は数字にも綿密である。金本位制停止直前の12日の相場は100円当たり49・375ドルであったが、停止後の18日には40・5ドルの円安となった。その後も円安は進行し、1933年初頭には20ドルまで減価した。すさまじい円安は輸出の原動力となり、日本経済を回復させた。
 従来も上述の場面を引いて、是清が日本経済の救世主のごとくに語られてきた。しかし、事実を淡々と伝える板谷の是清伝は、「はたしてそうなのか」と、私たちを再考に誘う。昭和金融恐慌の根本的な原因にも、NY株価大暴落直後のタイミングで実施するまで金解禁が先延ばしされた事情にも、是清に責任の一端があった。要するに、1920年代後半や1930年代前半の是清の英断は、1910年代後半や1920年代前半の是清の政策失敗を自ら尻拭いした側面がある。
 第一次世界大戦期(1914年~1918年)の日本は、大戦景気に浮かれ、無謀に大陸に進出した。是清の政友会は、寺内正毅内閣に閣外協力をした。朝鮮銀行を舞台に乱脈融資の原資となった西原借款にも政友会は賛成した。西原借款のほぼ全額焦げ付きは日本政府が肩代わりした。同じ時期、台湾銀行でも、鈴木商店向けをはじめとして過剰融資が繰り広げられていた。植民地の通貨発行権を持つ朝鮮銀行や台湾銀行の乱脈融資が、日銀の買い取った震災手形の大量焦げ付きという形で昭和金融恐慌の導火線となった。
 1918年9月に原敬内閣で大蔵大臣となった是清は、過熱した景気にブレーキをかけるどころか、アクセルを踏み込んだ。井上準之助日銀総裁の利上げ要請も拒否した。景気過熱は、1920年春に株価が大暴落してようやく終焉を迎えた。
 金本位制再開についても、客観的にみれば、輸出好調の大戦景気で正貨が蓄積した1919年には、米国と同じタイミングで金解禁に踏み込むべきであった。しかし、是清は、手許の正貨を中国経済に貸しこむことに熱心で、金解禁を先延ばしにした。その後、関東大震災(1923年)、昭和金融恐慌(1927年)で金本位制度に復帰するタイミングを失した。是清は、金解禁があそこまで遅れた事情に深く関わっていた。板谷は、井上の金解禁が無茶であったことだけでなく、是清が終始、井上をかばっていたことも伝えている。
 1930年代前半の是清は、金本位制復帰の失敗の尻拭いを立派に行うと同時に、昭和金融恐慌の原因となった植民地金融の立て直しに着手する。ただし、板谷の筆は後者について慎重である。是清は、満州中央銀行の設立(1932年)で銀本位を採用し、金本位を主張する朝鮮銀行の影響を排除した。また、是清は朝鮮銀行と台湾銀行も日銀の管理下に置こうとした。朝鮮銀行を華北における戦費調達の起点としようとしていた陸軍は、是清の意向に激しく反発していく。
 板谷の是清伝のもう一つの特徴は、戦前、戦中の金融に関わった大蔵や日銀の官僚たちが、是清との距離にかかわらず、実に公平に描かれているところである。たとえば、戦中、植民地金融推進で大蔵省に影響力を持っていた勝田主計(元蔵相)の側にあった津島壽一(財務官、次官)も、戦前の是清との交流や、敗戦直後の外債処理への貢献について言及されている。こうしたところは、板谷の金融プロフェッショナリズムに対する敬意の表れなのであろう。
 板谷の魅力ある全213の話のうち、私が一番好きなのは、193話「キリスト教と観音様」である。是清は、フルベッキからもらった聖書をいつも側に置いていた。
 是清は、自らの政策失敗の責任を引き受けることにおいて、実に立派であった。政策の結果責任を負うのは、しんがり戦と同様、もっとも優れた才能を要する。板谷の是清伝はそんな大切なことを私たちに教えてくれている。

(さいとう・まこと 名古屋大学大学院経済学研究科教授)

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