書評

2024年6月号掲載

マイクの前の若大将

加山雄三『俺は100歳まで生きると決めた』(新潮新書)

野村邦丸

対象書籍名:『俺は100歳まで生きると決めた』(新潮新書)
対象著者:加山雄三
対象書籍ISBN:978-4-10-611038-2

 私がパーソナリティを務めている文化放送「くにまる食堂」のコーナー番組に、昨年の7月から今年の5月まで、ほぼ月1回のペースで加山雄三さんにご出演いただきました。番組名は、若大将が自身を鼓舞するためにつけた、「俺は100歳まで生きると決めた」。そこで加山さんが話されたエピソードを元に、ご本人へのロングインタビューを加えて編集したのが、この同名の書籍なのです。
 ちょうど私が小学生の頃に若大将ブームが起きて、ちょっと年上のお姉さんたちは加山さんの歌に夢中でした。自分自身も、映画館で「大学の若大将」や「エレキの若大将」を観た記憶があります。
 その加山さんと初めて仕事でご一緒したのは、かれこれ20年近く前になりますか、かつて西伊豆の堂ヶ島にあった加山雄三ミュージアムからの生放送。その現地レポートを担当したのが私だったのですが、4時間にわたる番組の中で、強く印象に残った出来事がありました。
 ミュージアムには鉄道模型の大きなジオラマが展示されていて、CMの間に私がそれを覗き込んでいたところ、加山さんが実際に模型を走らせて下さったんです。面白がった私が、思わず「ただ走っているだけじゃないですよね」なんて煽ったからか、加山さんは本気になってしまった。「この列車とあの列車を交差させよう」とか、「このタイミングでここから見る景色がいいんだ」とか、こだわりの操縦が始まったんです。いつの間にかCMが終わっていて、「加山さん、本番が始まってます!」と声をかけても、もう止まりません。スタッフは大慌てでしたが、私は大スターの意外な素顔、ただの少年のような一面を垣間見ることができて、とても嬉しかったのです。
 それから私の番組のゲストとして、何度か加山さんとお会いする機会はあったのですが、その人生について詳しくお話をうかがったのは、今回の月1の収録が初めてでした。
 マイクを前に加山さんと収録を始めると、どうしても子どもの頃、本名の池端少年の話になってしまうのです。この書籍でも詳しく書かれているのですが、池端少年を育んだ茅ヶ崎の海のエピソードをいきいきと、本当に楽しそうに話される。
 お父様が昭和の映画界を代表する名優でしたから、さぞかし食卓には豪華で美味しいものが並んでいたんでしょう、と話を振ると、「そんなことない。自分で獲って食べてたんだよ」と返された。海に行けば貝やら海藻やら何でもあり、それを家に持って帰っていたそうで、お母様に「こんなに獲ってきて、どうするの?」と言われても、自分で佃煮にして、家族に振舞っていたというのです。中学生になると、あの烏帽子岩まで泳いで渡り、アワビやサザエも獲っていたとか。今なら大問題でしょうが、70年以上も前のこと、当時は大目に見てもらっていたのでしょう。ある回で「もし芸能界に進んでいなかったら、どんな大人になっていたんでしょうね」と尋ねた時には、「決まってんだろう、俺は漁船の船長になってたよ」と即答されました。
 特別番組の収録で、今年の4月まで期間限定でオープンしていた加山雄三ギャラリーにお邪魔した時、私は一枚の油絵に吸い寄せられました。もちろん作者は加山画伯で、夏の海を背景に一軒の家が描かれている。私には絵心なんてまったくないのですが、空と海の青色が、どうすればこんな色になるんだろうと不思議に思って、その絵から目が離せなくなった。すると、すぐ隣に加山さんが来られたので、思い切ってその疑問をぶつけてみたんです。加山さんは笑みを浮かべて、こう口にされました。「よく気づいたな。あれを出すのに苦労したんだ。あの青は、俺も好きなんだよ」。そして「青を出そうとして、そのまま青を出しちゃダメなんだ。いろんな別の色を混ぜたり、塗り重ねたりして、空の青、海の青を作り上げるんだ」と。
 若大将といえば、頭脳明晰でスポーツ万能、とにかく明るくてかっこいい、そんなイメージを抱くでしょう。でも、ラジオと本書でご本人が包み隠さず語った人物像は、そんなシンプルでわかりやすいものではありませんでした。泥臭い少年時代から、金持ちのボンボンと思われることへの反発、望みを叶えるためのあくなき努力、多額の借金や突然襲われた病魔まで、まさに画伯が作り出した青のように、いろんな色が重なった若大将が描かれています。
 タイトルの「100歳まで」と言わず、加山さんにはもっともっとお元気でいていただきたい。そしてまた、マイクの前でお会いしましょう。

(のむら・くにまる フリーアナウンサー)

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