書評
2024年6月号掲載
『決定版 世界の喜劇人』をめぐって
スラップスティック映画を縦横に論じた名著に、スクリューボール・コメディや現代の喜劇人を評した文章を併せ、喜劇映画百年を鮮やかに現前させる決定版刊行! 最新の肉声を伝える「あとがき」を再録します。
対象書籍名:『決定版 世界の喜劇人』
対象著者:小林信彦
対象書籍ISBN:978-4-10-331829-3
『世界の喜劇人』とは題したものの、彼らのすべてをカヴァーすることなど、できようはずもない。『日本の喜劇人』の場合と同様、映画の中において私が自分の眼で見ることができた喜劇人に、対象が限定されるのは、いうまでもない。
本書の文庫版は、『日本の喜劇人』のそれにつづいて、一九八三年に世に出た。まず、その新潮文庫版『世界の喜劇人』の〈文庫版あとがき〉をお読みいただきたい。
「世界の喜劇人」という書名は、なんだか大げさであって、本当は、「ムーヴィー・コメディアンズ」といったものが、ふさわしいように思う。「世界の喜劇人」とは、あくまでも、「日本の喜劇人」と対になった書名、ぐらいにお考えいただきたい。
本書には、三つの異本がある。それらを簡単に記しておくと――、
a「喜劇の王様たち」(校倉書房・一九六三年)
b「笑殺の美学」(大光社・一九七一年)
c「世界の喜劇人」(晶文社・一九七三年)
の三冊であり、現在は、いずれも絶版になっている。
aは、本書の第二部にあたる「喜劇映画の衰退」三百枚(「映画評論」一九六一年二月号~六月号)を中心にして、若干のエッセイを加えたものである。
「喜劇映画の衰退」は、一九六〇年(執筆時)に、世界的に黙殺されていたマルクス兄弟に光を当てたことで、少数の読者を得たように思う。(少数というのは決して謙遜ではない。この本は殆どの取次店が〈ジャンル不明〉として受けとらず、著者である私が印税の一部として本二百冊を受けとるハメになった〈呪われた処女出版〉でもあった。)マルクス兄弟が世界的に支持を得るのは一九六八年からである。だから、ここで私が力説している対象は、あの〈神格化された兄弟〉ではなく、〈時代遅れになったコメディアンたち〉なのである。
bは、「喜劇映画の衰退」を第一部とし、第二部として「喜劇映画の復活」を書下した上に、佐藤忠男氏の序文と渡辺武信氏の解説でサンドイッチ状にはさまれたような本だが、出版社が間もなく〈活動を停止〉したために、またしても幻の本となる。なお、「笑殺の美学」という書名は、大島渚氏の命名による。
cは、この文庫版とほぼ同じものであり、a→bときた内容に、「世界の喜劇人」(「新劇」一九七三年二月号)と「幼年期の終り」(書下し)を加えて、定本にした。一九七二年にパリとニューヨークでマルクス兄弟映画をくりかえして観たために、なんとか定本版になった、というのが実感である。
そして、「喜劇の王様たち」出版から丁度二十年たって、この文庫版が世に送られる。もちろん、大きな加筆や訂正があるが、それらは当然のことだろう。
ビデオテープが出まわる今日では、マルクス兄弟映画はもちろん、一九三〇、四〇年代の喜劇映画をそろえるのも可能である。現在、アメリカで評価されつつある〈珍道中映画〉については、別な形で、もう一度考えてみたい。
なお、第四部の『我輩はカモである』紹介は、ビデオテープのないころ、ニューヨークの名画座(いまはない「リトル・カーネギー」)でメモをとった産物であるが、ビデオテープの普及によって殆ど無駄骨と思われるようになった。しかしながら、私がマルクス兄弟(または喜劇の亡霊)の呪縛をまぬがれるプロセスの一つだったと、微笑とともに御理解いただければ幸いである。
(一九八三年十月)
喜劇人をまとめて論じる発想などなかった時代だが、チャップリンだけは別格であった。これは戦前の扱いからそうで、私の家があった下町(両国)では、関東大震災のあと、ひどい木造小屋で、〈アルコール先生(チャップリンのこと)〉の映画がいっせいに上映され、多くの観客を集めたという。
そうした空気は一九八三年でも同じことで、チャップリンの作品については、左翼系の論者のものも含めて、さまざまな本が出ていたが、キートン、ロイドを論じた本を出すなど冗談かと思われたほどで、ましてマルクス兄弟の作品となると、論じるどころか、商品としてあつかわれなかった。
たまたま長篇小説の取材で世界一周をしてきた私は、パリやニューヨークで、マルクス兄弟の全作品をくり返し観ることができ(全盛期の彼らの映画は当時の日本では観ることができず、〈戦前の伝説〉でしかなかった)、さまざまな関連本も買いこんだ。そのため、永井淳氏と共訳したポール・ジンマーマン氏の本(日本版の題は『マルクス兄弟のおかしな世界』〈晶文社〉)にあった間違いも訂正できた。
もう少しあとのことだが、ジンマーマン氏には、大平和登氏のおかげで、ニューヨークでの対面も可能になった。ジンマーマン氏は、自著の日本版の装幀が理解しがたかったようである。(ハードボイルド映画に出てくる私立探偵のデスクのようなところに拳銃やコーヒー、酒瓶などが置かれてあり、なぜか、その雑然たる中にマルクス三兄弟のスチール写真がある、というカヴァーだった。)
私はマルクス兄弟を日本に紹介するのに狂っていて、そうしたことも無視していた。日本でどういうあつかいを受けようとも、かまわないというのは、若さの強みであろうか。永井氏の名訳のせいもあって、『マルクス兄弟のおかしな世界』は広く読まれた。あの本や『世界の喜劇人』が世に出たことは、日本の状況を変えられただろうか。(否という声もあろう。)
しかし、とにかく、フィルムとDVDで、少なくともマルクス兄弟の全作品を観ることができるようになったのは、プラスでしょう。どう?
二〇二四年三月
小林信彦(もう九一歳になりました)
(こばやし・のぶひこ)