書評
2024年6月号掲載
許されること/許されないことに線引きはあるか
蝉谷めぐ実『万両役者の扇』
対象書籍名:『万両役者の扇』
対象著者:蝉谷めぐ実
対象書籍ISBN:978-4-10-355651-0
同心や岡っ引き、あるいは町人や町娘の素人探偵が活躍する時代ミステリーはいつも人気のジャンルだが、「時代小説が元気」と言われる昨今、いっそう注目を集めている。蝉谷めぐ実がそこに斬新なトリックと本格的な謎解き要素を加えた作風で新風を巻き起こしたのは、およそ三年半前だ。
デビュー作の『化け者心中』がまずすごい。江戸・文政期の芝居小屋〈中村座〉に集まった六人の役者たちの真ん中に、首が転がり落ちる。ところが役者の頭数は〈六〉のまま。殺された誰かと鬼が成り代わったに違いないが、さすれば鬼は誰なのか。そんな難事件を、事故で脚を失った稀代の元女形・田村魚之助と、日本橋で鳥屋を営む青年・藤九郎が、推理していく。歌舞伎役者ゆえの業の哀しさが、行灯の仄暗さに映し出された謎の妖しさと相まって、無二の世界を構築。同書はベストセラーに。
あれほどの評判になったのだからそれに応えるやり方もあったろうが、蝉谷は二作めに、女形の妻の生き様にスポットを当てた『おんなの女房』を持ってきた。ふだんから女性になりきって暮らしていた女形役者もいたという記録を手がかりに、その周囲にいる女房たちの葛藤や苦悩に迫る。蝉谷にとっては、芸事や職人仕事など好きな世界に惚れ込む人と、何かに惚れ込んだ人に惚れ込む人、そのどちらも甲乙つけがたく惹かれる題材なのだろう。
そして、本書『万両役者の扇』は、その両方にかかる物語なのである。ときは『都風俗化粧伝』が人気だった江戸町人文化の最盛期を過ぎたあたりだ。森田座という芝居小屋に関わる人々の、六話の連作になっていて、芸道一筋の名題役者・扇五郎と、その女房のお栄、ふたりを狂言回しに、物語は進む。
冒頭の「役者女房の紅」は、江戸でも五本の指に入る大店の娘・お春の横恋慕の話だ。前半は、扇五郎の妻の座を狙うおきゃんなお春の愛らしさを微笑ましく眺めていればよかったが、後半では、心理描写の凄みに瞠目する。お春は、森田座で急成長中の扇五郎贔屓。自分こそが扇五郎の妻にふさわしいと、もう五年も連れ添っているお栄に接近する。だが、お栄が扇五郎のために献身するさまを間近に見るうちに、ある恐ろしい秘密を知ってしまい……。当然、ぞっとさせられるのだが、蝉谷の洞察はここで終わらない。さらにお栄の奥底に残っている人間らしさを、紅の似合う横顔の知る人ぞ知る美しさを、掬い上げる。
続く「犬饅頭」は、小さな菓子屋〈三好屋〉の主人・茂吉が、扇五郎に絡め取られて饅頭作りにのめり込み、人が変わったようになっていくさまに圧倒される一編。折しも茶屋や料理屋、一膳飯屋が幕の内弁当をこさえて芝居小屋で売るようになった〈幕の内合戦〉の様相を呈してきたころ、茂吉が森田座の小屋で売っているのは昔ながらの蒸し饅頭ときた。下がる売り上げに思案していたある晩、森田座の桟敷番・田助から、扇五郎が犬殺しに手を染めているとのうわさを聞かされる。〈ひでえことこそ面白い。芝居だって同じようなものだと思わねえかい〉という田助の言葉に背中を押され、茂吉が犬の形の饅頭を作ったところ、大当たり。饅頭人気が茂吉と扇五郎とを結びつけ、犬殺しの評判はますます沸騰する。小屋も茂吉の家庭も混乱する中、扇五郎は茂吉に言うのだ。〈お前さんも饅頭のためならなんでもできちまう人間なんだよ〉、自分と同類なのだよ、と。さらなる茂吉の狂気に、背筋が寒くなる。
三話めは、舞台衣裳専門の仕立て屋〈丹色屋〉が舞台となる「凡凡衣裳」だ。丹色屋で師匠の手伝いをするお辰は森田座で相中に上がったばかりの市之助の衣裳をやっと担当することになったのに、市之助はお辰の思案に難癖つけてばかり。犬猿の仲だったふたりだが、実は似たもの同士と気づいたことで、息を合わせ、見事衣裳を完成させた。ところが、市之助は衣裳を持ち帰ったその晩に殺され、衣裳も盗まれる。犯人の狙いは、あの〈上上上出来の一着〉だったのか。そんな疑惑を引きずりながら、市之助殺しの下手人探しを掻き回す木戸芸者の話「狛犬芸者」へ。続く「鬘比べ」で、座付き鬘屋の柳斎を主役に、ミステリーとしては仰天の荒技とも言うべき、さらなる悲劇が起きるという流れ。そして、すべての解決編となる最終話、扇五郎の妻・お栄と、扇五郎と火花を散らしていた名題役者の寛次が探偵役を担い、「女房役者の板」へと雪崩れ込む。
語り手は一話ごとに変わり、各話の味わいは多彩だ。流行りの着物やベストセラー、芝居見物の様子など、当時の風俗やトレンドの知識をさりげなく物語に組み込む親切設計。うるっとさせる圧巻のラストも用意され、森田座の手がけた大芝居を通しで見たかのようなスペクタクル感に陶然となる。この筆力にうならずにはいられない。
蝉谷は好きを極める人を愛し、応援しているのは確かだが、魚之助と藤九郎が見立て殺人を解き明かす『化け者手本』で、それは人の枠を外れても手放しで許されるものなのか、と読者に突きつけた。実は本書でも、そのもやもやは繰り返し、問われる。その答えは、読み終わったときにひとりひとりの胸に浮かぶかもしれない。
(みうら・あさこ ライター/ブックカウンセラー)