書評

2024年6月号掲載

新潮選書ベストセレクション2024

“異端の歴史家”の真実

網野善彦『歴史を考えるヒント』

清水克行

対象書籍名:『歴史を考えるヒント』
対象著者:網野善彦
対象書籍ISBN:978-4-10-600597-8

 1980年代からゼロ年代にかけて日本中世史ブームを巻き起こし、「日本」論や「日本人」論の脱構築を試みた歴史学者、網野善彦さんが亡くなって、今年で二十年が経つという。このタイミングで、代表作『無縁・公界・楽』、『異形の王権』などを刊行している平凡社ライブラリーは没後二十年のフェアを展開し、岩波文庫には研究書『中世荘園の様相』、『日本中世の非農業民と天皇』が“新たな古典”として収められた。亡くなって二十年も経つ学者の著作が、これほど売れ続けるのは稀有なことだろう。
 ただ、晩年のご活躍を学界の内側から見ていた者からすると、ここのところの網野さんの一般読書界での語られ方に、やや危ういものを感じるところがある。私自身、これまで何人もの一般の網野ファンの方から「網野さんって、学界では評価が低かったんですよね?」とか、「網野さんは研究者のなかでは“異端”な存在だったんですよね?」と尋ねられたことがある。そのつど私は「そんなことはありませんよ」と否定するのだが、そうした答えに多くの方々はなぜか夢が破られたような、少しガッカリした反応をなさる。たぶん彼らは“旧弊で排他的な学界”と、それに抗う“異端の歴史家”というイメージを勝手に網野さんに投影させて応援していたようなのだ(そこには、生前、ことあるごとに自分が学界の「落ちこぼれ」であると過度に卑下した網野さん自身にも少なからぬ責任があると思う)。
 しかし、網野さんの場合、彼が提唱した「荘園公領制」という用語はしっかり歴史用語として定着して、今や教科書にも載っているし、東寺領荘園研究や様々な生業史など、網野さんが築いた基礎のうえに現在の研究があるものも少なくない。もちろん、その研究のすべてが肯定される研究者などいるはずもなく、いくら網野さんの見解でも、その後の研究の進展により評価が修正されているものはいくつもある。それらを考えると、網野さんは一般のイメージとは異なり、“異端”どころか、むしろ、きわめてオーソドックスな歴史学者なのだ。
 網野さんの一般向け著作は無数にあるが、なかでも『歴史を考えるヒント』は、そんな網野さんの伝統的で正統派の一面を、もっとも良くうかがい知ることのできる著作だろう。本書は歴史のなかの“ことば”を主題にした一般向け連続講座の内容をもとに編まれたものだが、一読すれば、読者は「日本」や「百姓」という“ことば”の不用意な使用が、いかに私たちの思考を縛っているかという、いつもの網野節に心惹かれるに違いない。ただ、そうした主題の陰で、網野さんは「切符」の「切」は何を意味するか、「株式会社」の「式」とは何か、「九州」という地域名が出てくる文書に偽文書が多い、ということに意外なほど立ち入って解説している。私などは、こうした些細なくだりに「網野史学」の真骨頂を感じとってしまうのだ。
 網野さんは民俗学や考古学の成果や手法を歴史研究に積極的に取り入れて、日本史像を豊かにした学者として知られるが、実はその本領は古文書研究にある。彼が、東大古文書学の泰斗、佐藤進一の学風を受け継ぐ研究者であることは意外に一般には知られていない。古文書のなかの一字一句の解釈を疎かにしない、その厳格な学風は網野さんにも正しく継承されており、本書のなかでも“ことば”の大事さは次のように強調されている。「それが使われていたときの言葉の意味を正確にとらえながら中世の文書を読み解いていくと、予期しない世界が開けてくることがあるわけで、そこに『歴史』という学問の面白味があるとも言えると思います」(一七七~一七八頁)。
「関東」「関西」「中国」「四国」など現在当たり前に使われている地域呼称も、その発生を辿ってゆくと、それぞれの地域が歩んだ列島内部の多様な個性が明らかとなる。「日本」という国号はいつ生まれたのか? 「百姓」は農民なのか? という網野さんのお決まりの主張も、そうした“ことば”に対する鋭敏な感性や幾多の古文書を熟覧した経験から生み出されたものなのである。そのことは同時代を生きた歴史学者なら誰もが知るところで、だからこそ、多くの歴史学者は今も網野さんに敬意を表し、生前からその言動に一目も二目も置いていたのだ。
 没後二十年、この機会に網野さんの著作に初めて触れてみたいと思っている人も、これまでいくつかの本を読んで、網野さんを“異端の歴史家”だと思い込んでいた人も、本書を読めば、その独創性を支えた頑強で筋の通った屋台骨の一端を知ることができるに違いない。

(しみず・かつゆき 歴史学者、明治大学教授)

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