書評
2024年6月号掲載
新潮選書ベストセレクション2024
ジャニーズとふたつの東京オリンピックのあいだ
周東美材『「未熟さ」の系譜―宝塚からジャニーズまで―』
対象書籍名:『「未熟さ」の系譜―宝塚からジャニーズまで―』
対象著者:周東美材
対象書籍ISBN:978-4-10-603879-2
拙著『「未熟さ」の系譜―宝塚からジャニーズまで―』を刊行したのは2022年5月。そのときには、ジャニーズ事務所(現・SMILE-UP.)という最大手の芸能集団が危機に陥るとは想像していなかった。ジャニー喜多川の性暴力とその隠蔽が白日の下に晒され、後継の東山紀之に「人類史上最も愚かな事件」と言わしめるに至った。その暴力は、後述するような米軍の占領・駐留という経験とも深く関わっていると私は考えている。
拙著が考察しているのは、なぜ日本の芸能界では、完成された技芸や官能的な魅力より、成長途上の「未完成なスター」が愛好される傾向があるのかという点である。その考察対象のひとつがジャニーズだった。
ジャニーズタレントの活躍は、幼いころからの日常の景色として馴染みはあった。私自身の記憶の中で特に印象的だったグループは、KinKi Kidsだ。1994年にドラマ「人間・失格~たとえばぼくが死んだら」に出演する彼らは、まだ正式なデビュー前だというのに、爆発的な人気を博し、中学のクラスの女の子たちが口々に話題にしていた。私にとっては初めての同世代の同性アイドルだった。華があって眩しく、ミステリアスでもあった。
そのころから、ジャニーズ事務所は、破竹の勢いで成長し、やがて国民的なアイドル集団の座に君臨していった。1993年の「琉球の風」の東山紀之以降、大河ドラマの主演を香取慎吾、滝沢秀明、岡田准一、松本潤が務めた。1995年の「24時間テレビ「愛は地球を救う」」ではSMAPがパーソナリティーとなり、また、同年の阪神・淡路大震災を機にJ-FRIENDSが結成された。1997年には中居正広が「NHK紅白歌合戦」の司会に就任、その後には嵐が続いた。
その快進撃と歩みをともにしたメディアは、もちろんテレビだった。しかし、ジャニーズ事務所が国民的なタレント集団へと上り詰めたとき、テレビ全盛の時代は曲がり角を迎えようとしていた。1990年代半ば以降といえば、「Microsoft Windows 95」が発売され、パソコンやインターネットが生活に入り込み、テレビの影響力は日増しに相対化されていくことになったのである。インターネット広告費は年々増加し、ジャニー喜多川が死去した2019年にはテレビ広告費を抜いた。
しかも、この1990年代半ばという時期は、ジャニーズ事務所の歴史から見ればちょうど中間の時期に位置する。最初のグループ「ジャニーズ」がレコードデビューしたのは、その30年前の1964年のことだった。彼らは未熟でアマチュア性が強調され、「未完のジャニーズ」などと評された。この年は東京オリンピックの開催年でもあり、特に女子バレーボールの「東洋の魔女」の活躍によって記憶されている。他方、ジャニー喜多川とメリー喜多川という強力な創業家が死去したのが2019年と2021年、2度目の東京オリンピックのときだった。ジャニー喜多川は2013年、オリンピックに向けた新グループ結成を発表、グループ名も「Twenty・Twenty」とした。だが当初の計画は実現せず、それどころか、2023年には事務所の看板そのものが消滅してしまう。
つまり、ジャニーズ事務所は、ふたつの東京オリンピックに挟まれるかたちで成立し、終焉を迎えたのであり、その中間の1990年代半ばの時点で、全盛期を過ぎつつあったテレビと結びつくことで、国民的なアイドル集団へと転換していったのだ。そして、私がテレビでKinKi Kidsを見ていたのも、まさにその転換の時期だったわけである。
ジャニーズ事務所の創始と東京オリンピックの関係は、単なる偶然ではない。ジャニー喜多川は、ロサンゼルス生まれの日系2世であり、戦後は日本で暮らした。生活の拠点となっていたのは、東京・原宿の米軍住宅地区「ワシントン・ハイツ」だ。彼はここで暮らしながら、アメリカ大使館に勤務し、日本の自衛隊の創設・指導に関与した米国機関MAAGJの一員として働いていた。ワシントン・ハイツは1964年のオリンピックを機に日本へと返還されて選手村へと作り変えられ、現在は代々木公園となっている。
代々木公園に隣接するランドマーク・国立代々木競技場は東京オリンピックの際に建設され、バレーボールの国際大会の試合会場にもなってきた。そして、1995年のV6から2011年のSexy Zoneまで、多くの新人タレントたちが、バレーボールのスペシャル・サポーターとして、この体育館からデビューしていった。そのパフォーマンスは、東京オリンピックの記憶に依拠しながら、ジャニーズの歴史的な誕生の地に再来する演出でもあったのだ。
2023年、ジャニーズ事務所のひとつのサイクルが閉じることになった。その終わりが2度目の東京オリンピックに重なることは、拙著執筆時には気づかなかった歴史の見え方である。それは、単にジャニーズ事務所の個別事情に留まらず、占領から高度経済成長期に確立した日本のメディアの来し方を問うものであり、そうした歴史の徹底的な反省なくして未来を構想することはできないだろう。
(しゅうとう・よしき 学習院大学教授)