対談・鼎談

2024年7月号掲載

『万両役者の扇』刊行記念対談

虚と実のあいだで魅せる、わたしたち

加藤シゲアキ × 蝉谷めぐ実

以前からお互いの作品に注目していたという二人。俳優及び作家、「嘘」をつく職業に就いているからこそ包み隠さず語ることの出来る、小説の「真」の面白さとは。

対象書籍名:『万両役者の扇』
対象著者:蝉谷めぐ実
対象書籍ISBN:978-4-10-355651-0

加藤 新刊、刊行おめでとうございます。2年前に出た『おんなの女房』(KADOKAWA)は評判を聞いて手にしたのですが、僕が俳優業をしているというのもあって楽しく読ませていただきました。この『万両役者の扇』もそれと近しいテーマなのに、全く違う構成や見せ方で持っていくあたりが本当にすごいなと思いました。僕は似たテーマを書くのは難しいと思うタイプなので、なおさら。

蝉谷 ありがとうございます。『おんなの女房』についてはラジオでも話していただいて。

加藤 あ、ご本人にも届いていましたか。ともかく面白かったから。作家同士でも、蝉谷さんのお名前はよく出ますよ。蝉谷さんの小説は、けっこうグロテスクだったり残酷だったりする場面があって、こと今回の新刊に関してはそういった部分がより多いのですが、文体とテーマとストーリーテリング力が合わさってお見事でした。僕はあまり歌舞伎を観たことがなく、歴史小説にもそんなに明るくないので、偉そうなことは言えないんですけれど。蝉谷さんはもともと歌舞伎がお好きだったんですか?

蝉谷 そうですね。小さい頃は、よく祖母に連れて行ってもらって観ていました。でも当時は歌舞伎独特の煌びやかさに惹かれていたという感じで、その後、ずっと観続けていたというわけではなくって。大学で江戸時代の歌舞伎についての授業を受けて、ずどんと役者の人生にはまりました。

加藤 役者の人生にはまる、ということがあるんですね。

蝉谷 そうなんです。江戸時代の歌舞伎は今よりも随分と役者と観客の距離感が近くて、例えば、舞台がはねたあと金持ちの客なら役者と直接会うことができたりして、そういう部分も面白いなあと。加藤さんのご著作については、私は『ピンクとグレー』(2012年、KADOKAWA)を本屋で見かけて、アイドルが書く小説か、どれどれというとんでもなく失礼な入り方をしてしまったのですが、読んだ瞬間打ちのめされました。

加藤 思うつぼですね。

蝉谷 もう終わった、と思いました!

加藤 終わった!? 始まってもいなかったでしょう?(笑)

蝉谷 はい。作家デビューの野望を抱いて書き始めていた時期に読んだんです。いろんな作品を読んで、どういうものを書けば作家になれるんだろうと模索していたときだったので、これほどのものが書けなければ作家になれないのか、もう終わりだ!と(笑)。

加藤 『ピンクとグレー』は蝉谷さんの作品とシンクロするところもありますよね。虚実が合わさっていくところとか、役と人間が一つになっていくところとか。

蝉谷 そうですね。ただ、描写や言葉の選び方は、俳優である加藤さんならではのところが沢山ありますよね。でもそうかと思えば『オルタネート』(2020年、新潮社)では、お芝居や演劇ではない分野なのに素晴らしい小説を書かれるから、また終わったなと絶望することに。

加藤 いやいや、終わってないです。むしろ蝉谷さんの作家魂に火をつけちゃってる(笑)。

作り込みすぎはNG?

蝉谷 私が加藤さんの作品でとくに凄いなあと思うのが、嘘の中の「実」というか、虚構である小説を成り立たせるための細部の作り込みの丁寧さです。『ピンクとグレー』の、主人公が、芸能界で活躍する同級生が出演するテレビ番組を見ながら食べる夕飯として、ごぼうと蓮根と鶏肉の炒め物を選ばれたところに私は感動しました。ごぼうを噛み締める主人公の惨めさったら、どんなものだったんだろうと……。ほかにも、『オルタネート』での植物のような、物語を構成する要素の絡ませ方も素晴らしくって。私は歌舞伎をどこまで深く詳しく書けるかに注力しがちなので。

加藤 それを言うなら、蝉谷さんの作品のディテールもすごいです。僕はここ数年、時代劇に呼ばれるようになって、呉服屋の話を演じたことがあったので、『万両役者の扇』の中の「凡凡衣裳」では、実感を持ってわかるところがありました。当時の流行を生み出す役者を見ていた人たちは、今の人たちより目がいいなと思います。舞台小屋は役者と観客の距離が近いから、ディテールまでファンの方が見てくれる。だから演者も育ちますよね。

蝉谷 常に見られているという感覚がありますものね。

加藤 演者と観客の間に緊張感がある。今もそういうところはあるけれど、お客さんが優しくて、厳しいことを言う人はあまりいない。当時は観客の知識が豊富だから、演者も負けていられなくなる。『万両役者の扇』では舞台の裏方にもスポットを当てていて、これは新しいなと思いました。しかもちょっとしたミステリー仕立てになっているじゃないですか。

蝉谷 ありがとうございます! ちなみに好きな登場人物はいましたか?

加藤 裏方の人物もみんな面白かったですが、僕は名題役者の寛次が好きですね、ほっとします。登場人物が芝居狂いの人たちばかりの中で、寛次は狂気には染まりきれない、まっすぐな人。これはこれで、役者っぽさも、とてもあります。実際、現代ではこういう役者のほうが多いと思います。SNSの普及もありますが、今は裏側を見せないといけないんですよね。でも裏側って作れない、裏まで作り込むと見ている側は冷めちゃう。テレビに出ている人も、裏ではすごく人間くさいほうが、親近感があって好感が持てる。例えば、ファストフード店に行くスーパースターのほうがいいじゃないですか(笑)。

蝉谷 そうすると、寛次がライバル視する役者の扇五郎は、表も裏も作り込みすぎですね。

加藤 扇五郎は作り込むことで、役者としてあがっていくしかなかった人ですよね。蝉谷さんは、扇五郎のようなタイプの役者は好きですか?

蝉谷 確かに、人間くさい役者のほうが好かれるというのは同感です。でも、周囲のみんなが立ててしまう、かまわずにはいられない役者とはどんな人だろうと考えながら扇五郎を書いていたので、好きか嫌いかという存在ではなかったような気がします。こういう天才になってみたかったという願望はあったかもしれません……。

加藤 扇五郎に言われるがままに舞台上で犬の血を使ったら片付けが大変だろうなと思ってしまうから、そういう点では扇五郎に共感できないんだけど、ほっとけない人だとは思います。僕がもっと線が細くて若かったら、やっぱり扇五郎の役をやりたかったし、役者なら誰もがやりたくなる役だろうな。

好きなものを好きなように

加藤 蝉谷さんは歴史小説を書こうと思って小説家になったんですか。

蝉谷 いえ、デビュー前に新人賞に応募していたときはいろんなジャンルを書いていました。現代の恋愛ものとか、海外を舞台にしたものとか。それで最終選考に残って選評もいただけるようになったときに、これをこんな風に書けば評価が良くなるだろうという、変な下心が出始めてしまって。好きなものを好きなように描かなくては、と思い直しました。

加藤 下心は良くないな、と。

蝉谷 そこで書いたのが江戸時代の歌舞伎だったんです。歴史時代小説を書こうというより、江戸の歌舞伎の役者が好きだから、それを書こうという、その一点突破でした。

加藤 だからここまでそのテーマで続いてるんですね。ただ、同じテーマでも『万両役者の扇』は文体が面白い。リズミカルでちょっとコミカル、口上みたいなメロディで物語に入る。勇気があるなあ、僕にはできないと思います。この手だれの手法は、絶対に真似できない。

蝉谷 でも、読みにくいと言われることも多いですから……。

加藤 え! スーパー読みやすいですよ! 歴史小説を読み慣れていない人でも。もちろん、用語の知識は多少必要かもしれないけれど。僕はこういうタッチで書く作家を他に知らなくて、誰かの影響を受けていますか?

蝉谷 歌舞伎を観ていた影響はあるかもしれません。あと、小説を書く前に落語をまず聞くようにしていました。

加藤 その落語家は上方ですか?

蝉谷 そうでもないです。歌丸さんだったり圓生さんだったり、古典落語を色々と聞きました。

加藤 リズムがいいのに加えて、最後には仕掛けがある。最初から短篇連作のつもりで書いていたんですか?

蝉谷 今回の第一話でもある「役者女房の紅」を書く際に、シリーズとして書きませんかと「小説新潮」の編集者さんからお話をいただいたのが始まりでした。そのときはシリーズにできる技量が今の自分にあるのか不安だったので、とりあえず一度書き終えてから相談させてくださいとお答えしたんですが、書いてみると楽しくって(笑)。それから二年かけて連載させていただきました。第一話で扱った役者の女房もまだまだ書き足りなくて、長編の『おんなの女房』を書いてしまったくらいで。

加藤 「役者女房の紅」のあとで『おんなの女房』を書かれたんですか! 二作とも近いテーマで飽きませんでしたか?

蝉谷 歌舞伎は文献が沢山残っているおかげで、調べれば調べるほど新しい話の種が見つかります。だから飽きる暇がないんです。

小説に求めるもの

加藤 蝉谷さん、小説書くの好きでしょう。

蝉谷 うーん……筆が進まないと「もう無理だ!」と投げ出したくなることはありますね(笑)。でも、反対に筆がさくさく進み過ぎるときも、注意が必要で。そういうときは自分の中での認識だけで、物語を進めてしまっていることがある。私は自分の好きなものや考えを一方的に作中で表明してはいけないと思っていて。登場人物が何か意見を言うときには、必ずそれとは逆の立場の人物を入れて、そちら側の意見も小説内に書くということは、自分の中のルールにあったりします。

加藤 すごくわかります。

蝉谷 どちらかの立場を一方的に書くことも小説だと許されていて、たとえばシリアルキラーを主人公にした物語だって書くことができる。ただその行為で傷ついたり踏み躙られたりする人間が存在するということを蔑ろにしちゃいけない。この世には様々な立場の人間がいることを忘れずに書いていきたい、ということは常に考えています。

加藤 僕も『なれのはて』(2023年、講談社)を書いているとき、小説は答えではなく問いだということをすごく考えていました。小説に限らずでしょうけれど、寓話とかは何かを押し付けたいわけじゃない。むしろ書いている側も、これはどういうことなのだろうと、読者と同じように考えている場合の方が多いと思います。なんで主人公はこんな突飛な行動をしたのだろうとか、なんで主人公はこう考えたのだろうとか、この主人公の選択は正しいのか過ちなのか、とか、読者に問う気持ちです。同じように自分にも問いますが、別に答えがなくてもいいんです。答えが知りたいのだったら、他の本を読んだほうがいいのかもしれない。物語は答えのために読むものではない。結末を読みたいわけではなく、動いていく人間の過程が見たいんです。

蝉谷 正しさだけを求めるものではないですよね、本って。

加藤 まさにそうです! 『万両役者の扇』の登場人物は、誰一人正しくない(笑)。だからやっぱりずるいですよね、この本。お芝居というテーマを扱っているから、どこまで行っても、もしかしたらこの話は全部嘘かもしれないというのが横たわっている。少しネタバレになりますが、扇五郎の最後も、書かれている通りなら、ほんとうにそんなことできるの? って……。

蝉谷 そこはゲラでもたくさん疑問が入りました。

加藤 可能かどうかは気になるけれど、お芝居だから、と納得させられる。全て嘘だと言えてしまえるところがずるいなって。

蝉谷 虚実皮膜論が根底にあるかもしれません。芸というものは虚と実の間の淡いところにある。近松門左衛門が唱えた演劇論なんですが、小説もそうなんじゃないかと思っています。だからこそ、この本でも目次で芝居の脚本に見えるような仕掛けを施したりしました。

加藤 扇五郎を含む登場人物たちが言っていることが信用できなくて、すべて嘘なのかもしれないという空気が最初からある。読者を手玉に取る作品です。蝉谷さん自身が扇五郎たちみたいな気持ちでいるから、これが書けるんだと思います。今後もまだ役者ジャンルをお書きになるのでしょうか?

蝉谷 実は、一回離れてみるのもいいなと思っています。歌舞伎は一生掘ったら掘り続けられる、書きたいものを見つけ続けられるとは思うのですが、他のジャンルにも挑戦をしてみたくなって、次回作は違うものになる予定です。

加藤 このまま同じジャンルで書き続けるのもかっこいいなという気もするし、個人的には全然違うものも読んでみたい。きっと現代小説も書けるんだろうなと思います。

蝉谷 ありがとうございます。その期待を励みに、頑張ります!

(かとう・しげあき 俳優/作家)
(せみたに・めぐみ 作家)

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