書評

2024年7月号掲載

さみしさという言葉

佐伯一麦『ミチノオク』

赤坂憲雄

対象書籍名:『ミチノオク』
対象著者:佐伯一麦
対象書籍ISBN:978-4-10-381406-1

 道の奥ははかなく遠い。いつでも、その道の奥に眼を凝らしている「ぼく」がいる。その「ぼく」は作家自身のようにも、分身のようにも見えるが、さだかではない。以前に、佐伯一麦さんと『川筋物語』について話す機会があった。そのとき、わたしはすっかり騙されていたことを知らされ、呆然としたのだった。わたしは当然のように、著者は源流から河口へとたどる短い旅を重ねながら、この作品を書き継いでいったものと信じ込んでいた。しかし、それは異国の地で、河口から源流へとたどった実際の旅を反転させて書いた小説だ、と種明かしのように聞かされた。あれは幻聴であったか。この作家は油断がならない。『ミチノオク』も『川筋物語』も、いわゆる私小説ではないし、紀行文でもない。疑い深くなったせいか、紀行小説などと言われても、納得はできない。これは、なにか、名付けがたきものだ。
「道の奥」が、「ミチノオク」と片仮名に置き換えられると、もうひとつの「未知の奥」が裏側から滲み出してくる。佐伯さんが取りあげている土地のほとんどは、わたし自身も淡い旅人として、あるいは民俗学者の端くれとして、震災のあとさきに訪ねている。だから、この小説のそこかしこに、今際の際に漏らされるような言葉が数も知れず見いだされるとしても、驚くことはない。恐山のイタコの口寄せや西馬音内の盆踊りばかりではない。東北にはたしかに、「死者と共に生きる文化が根強く存在する」(「西馬音内」)のである。
 どこにでも、見えない同行者が、同行二人の遍路旅のように連れ添っている。かれらは例外なしに、傷や病いや死への予兆を抱えている人たちだ。訪ねる土地もまた、きっと古い、新しい傷跡を刻まれている。そこには、決まって過去の災害の影が射している。いや、東北であれば、「どんな土地にでも災厄の記憶はあるものだ」(「苗代島」)と思ったほうがいい。
 かつて触れ合い別れた人々や、死者たちの記憶に導かれながら、ささやかな旅へと向かう。芭蕉や菅江真澄や柳田国男などの古今の旅人たちの書き物が、くりかえし招喚される。象潟では、「かつての島々を眺め渡しながら、ぼくは、芭蕉や菅江真澄が見たであろう風景と重ね合わせてみては、風景は、いつかそれが喪われてしまう予感があるから、なつかしさを生むのだろうか」(「苗代島」)と考える。被災地を歩いたときにも、かつての風景の記憶を重ね合わせては、喪失への予感に捉えられた。ここには明らかに、佐伯さんの旅と紀行の作法が語られている。この小説のなかでは、過去と現在のあわいにいくつもの風景を浮かびあがらせ、重ね合わせる試みがくりかえされている。
 収められた作品の多くは、コロナ禍のさなかに執筆されている。たちまち忘却されてゆくはずの、コロナ禍に翻弄された日常が書き留められている。東日本大震災からコロナ禍へと、日常から知らず足を踏み外したような奇妙な日々が続いた。「震災によって時間の記憶の感覚があやふやとなったことは多い」(「大年寺山」)とあるが、逆に、異様に鮮明になった記憶もあるかもしれない。
 終わりに近く、「遠野郷」の章には、佐伯さん自身の幼児体験に根差した「さみしさ」の感覚が語られていた。そして、小説の最後は一人の女性からの手紙で閉じられているが、そこにもまた、「さみしさ」という言葉が見えていたのだった。自死が身近にあった。ひいおばあちゃんが自室の鴨居で亡くなっていた。その人は、自死した人は「私の中のもやがかかった場所」にいて、いつも思い出すことができるし、居心地がよさそうだが、「自死はいやなので、まだうろうろと現世をさまよっていようかと思います」と手紙に書いていた。
 そういえば、瀬尾夏美さんの陸前高田での聞き書きのなかに、こんな言葉があったことを思い出す。「なんだろう、ここにある、とにかく巨大な体積をもったさみしさは。町が流されて、人が流されて、それと引き換えに置いていかれたさみしさが結合していく。それが町全体の景色を覆っている」と。
 さみしさについて語ることはむずかしい。『ミチノオク』はだから、とりわけ震災とコロナ禍を潜り抜けてきたわたしたちを、魂の深みから捉えている「さみしさ」を描いた小説として忘れがたいものとなるはずだ。わたしが死を前にしたとき、携帯の電話帳のなかには、何人の話をしたい人がいるのか。

(あかさか・のりお 民俗学者)

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