書評
2024年7月号掲載
私の好きな新潮文庫
ユーモアと二面性
対象書籍名:『どくとるマンボウ航海記』/『ガイズ&ドールズ』/『ギャンブラーが多すぎる』
対象著者:北杜夫/デイモン・ラニアン/ドナルド・E・ウェストレイク
対象書籍ISBN:978-4-10-113103-0/978-4-10-220702-4/978-4-10-240231-3
手元にある新潮文庫『どくとるマンボウ航海記』の奥付は、昭和四十六年八月三十日 十五刷とある。定価は、なんとたったの百十円! パラパラめくると文字の小ささに驚く。高校一年の私はこれを苦もなく読んでいたんだなぁ、と内容とは関係のない感慨にふけってしまう。
私の世代はだいたい、北杜夫の「どくとるマンボウ」シリーズから本好きになる。オランダにスケヴェニンゲンなんて街があることを知り、大喜びするのだ。一方で『幽霊』から『楡家の人びと』に至る小説も読み進め、私はユーモアとシリアスの両方を書く作家の二面性に惚れるのだ。北作品関連から、なだいなだ、遠藤周作、吉行淳之介、さらには斎藤茂吉の『赤光』を読んでセンチメンタルな気分に浸ったりしていたのだから、まことに高校生らしい青臭さだと思う。
とはいえ、私の好みはユーモアの方が勝る。大学生の時にカレル・チャペックの『園芸家12カ月』に出会った。チャペックもまた、ユーモアとシリアスの二面性を持った作家なのだ。ある時、北杜夫が新作を語っているラジオを聞いた。なんでも昔、友人なだいなだに「あんたのどくとるマンボウみたいなユーモアエッセイを書きたいがどうすればいい?」と聞かれ、「チャペックを参考にすればいい」と答えたというではないか。
「そうだったのか!」
と私は叫んでしまった。私の中では別物だった二つの本が、実は同根であったことを知って驚いたのだ。「道理で、どっちも好きなわけだ」と深く納得した。
やがて、リング・ラードナーの短編集『アリバイ・アイク』から、私はラードナーにはまる。ラードナーにはメジャーリーグものと呼ばれる作品群があり、表題作の言い訳ばかりしている野球選手「アリバイ・アイク」や、凄い新人選手獲得秘話「ハーモニイ」などのユーモア作品と、淡々と苦い人生を描く「チャンピオン」のような作品もある。これも二面性だ。
私が作家になったばかりの頃、先輩作家にラードナーが好きだと言ったら、
「ラードナーが好きだという人に初めて会った」
とひどく驚かれた。
「ああいう小説を書きたいんです」
「好きなら真似て、どんどん書けばいいんだよ」
とアドバイスされた。そこで「アメリカだから野球だ。日本だと相撲だ」なんて妙な変換をして、ラードナー風の相撲小説を書いたりもした。
少し遅れてデイモン・ラニアンの短編集『ブロードウェイの天使』から、ラニアンにはまる。ラニアンもまた、ブロードウェイものと呼ばれるユーモア作品群と、苦く切ない物語の二面性がある。これまた「アメリカだからブロードウェイだ。日本だと古いラジオ局だ」なんて変換をして小説を書く。まったく、我ながら節操がない。
のちに、ラードナーもラニアンも同じジャズ・エイジの作家であることを知る。
「そうだったのか!」
とまたもや、私の中では別物だった二つの本が実は同根であることを知って驚くのだ。「道理で、どっちも好きなわけだ」と。
そのラニアンの『ガイズ&ドールズ』が出たのだ。おなじみの「ミス・サラ・ブラウンの恋の物語」も入っている。いい作品は何度だって出版されるという見本のようで、嬉しくなる。
ドナルド・E・ウェストレイクといえば数々のペンネームと、やはり二面性を持つミステリー作家だ。私は、天才犯罪プランナー・ドートマンダーが主人公のユーモアミステリー・シリーズが好きだ。『ギャンブラーが多すぎる』はその系譜。新潮文庫にウェストレイク初登場とあっては、読まずにいられない。この本の翌年からドートマンダーものが始まる。なので、それへのアプローチとして、なぜか二組のギャング団に追われる男の物語を「これこれ、この世界だよ」とニヤニヤしながら読んだ。
ここにあげたどの本の登場人物も、辛い時、嫌な気分の時、カッコつけたくなる時、うっかり真面目になにかを語りそうな時ほどユーモアを! なのだ。そこがいい。
「そうだったのか!」
とたったいま気付いた。ユーモアと二面性の作家――ではなく、二面性と折り合いをつけるためにユーモアが必要なのだ、と。あと、私の好みは百十円で新潮文庫を買った高校生の頃から変わらないということにも気付いたのだが、まあ、これはどうでもいい。
(ふじい・せいどう 作家/脚本家/放送作家)