書評

2024年8月号掲載

小林早代子『たぶん私たち一生最強』刊行記念特集

繋いだ手は離してはいけないよな

ヒャダイン

対象書籍名:『たぶん私たち一生最強』
対象著者:小林早代子
対象書籍ISBN:978-4-10-351762-7

 社会性、というのは本当に面倒な能力であり、気取り顔で身につけた自分を呪わしく思うことも多々あります。こんなにダイバーシティが謳われて様々な生き方が容認されている現代だというのに、「こうあるべき」という自縄自縛は今日も私の思想や行動を制限し、不必要なまでに毒ガスを発生させるので困りものです。
 44歳男性、パートナーなしという現在の私ヒャダインのスペックは独身貴族なんて言えば聞こえはいいけれど、すれ違う小学生の姿に目を細めるたび漠然とした大きな何かに対しての罪悪感で胸がチクリとします。まさに自縄自縛であり、私は私らしく生きていればそれでいいのにもかかわらず、自分で設定した社会性の呪いに絡めとられている状況です。さて、この呪いは古来の家父長制や旧態依然の社会通念からのみ錬成されたものではなく、様々なミスチョイス(あえてミス、と書きます)の連続による自戒みたいなものなのです。
 私の人生の折々で大切な友人が登場します。一緒にいたらあっという間に時間が溶けて心地がいい。自分が自分らしくいられてただ笑って過ごせる。「前世で絶対繋がりあったよな!」みたいな話を互いにしたりして。文字通り気の置けない人物が登場するのですが、時間経過と共に変化するそれぞれのライフステージに戸惑い、そして社会性の名のもとにミスチョイスをしてしまい、せっかく繋がっていた糸を切ってしまうのです。切らないにしても、細く変質してしまった糸を「こんなもんだよな」というオトナの笑いと共に見送ってしまっていたのです、あらがうこともなく。そういったお見送りを続けていくにつれ心の一部が壊死を始め、それでも精神の均衡を保つために自ら呪いをかけるしかありませんでした。しかし本作の主人公4人はあらがいます。本質から目を背けないように必死で立ち向かいます。本質に向き合うことは本当に辛くて逃げたくなる重荷です。作中に出てくる、真剣な話し合いが始まりそうになるけれどつい楽な方に一時避難すべく軽口やジョークに逃げてハイボールを片手に夜を明かす、というのはまるで自分の過去を覗かれたようでゾーッとすらしました。
 大人になってから友人を作って痛感することですが、学生時代のように色々すっ飛ばして「同じクラスだから」という事実だけで友情を紡ぐのは大変です。互いの状況に気を遣い、さらには互いへの劣情や嫉妬も乗り越えなければならない。隣の芝生は青い、なんてことわざもありますが、自分以外はみんな上手くいっているように見えてしまうこともしばしばです。それぞれがシェアしきれない地獄を抱えているのが人間なのに。本作も主人公4人それぞれが抱える地獄が描かれています。勧善懲悪モノのようにすっきりと解決されていかないところにとても好感を持ちました。仲が良いからとて相手の地獄に干渉する必要はあるでしょうか。もちろん助けを求めていたら誰よりも早く強くその手を握る覚悟はありますが、わざわざ出張って乗り込んで地獄を「解決」するのは内政干渉のような、さらに言うと自己との同一化を目論むような身勝手な行動だと私は思ってしまうのです。地獄はそれぞれの生き様の証、言うなれば個性の範疇だと考えているのでそれを消して自分の管理下に置こうとするのは暴力的だな、とすら感じます。本作の主人公たちのスタンスはまさにそれで、過干渉によるハレーションを起こしたらきっちり反省する。そう、人生のパートナーだからってなんでもかんでもシェアしなきゃいけないわけではなく、個々に不可侵領域はあっていいはずです。わからないところがある、でもそれは「一緒にいられない理由」にはならない。そんなことを4人の姿で再確認させられました。
「繋いだ手は離してはいけないよなー」本作を読んで何度も思い知りました。そもそも運命を感じるほど楽しくて一緒にいたい人類に出逢えることが奇跡なのです。限られた時間、選べない時代や環境に宿された命である自分という生命体、それが本能レベルで引かれ合う他の生命体に出逢えたことは決して蔑ろにされるべきではないのです。社会性という他責的かつ自縄自縛の毒ガスに惑わされてはいけないんです。
 本作の4人、今回のてんやわんやの続きの生き方までもそうですが、「こうあるべき」は、ない。スタンダードは自分で、自分たちで作っていく。ハイボールに逃げずに話し合う。きっととても簡単な思考のスライドで私だって「一生最強」になれるはず。そんな風に考えさせてくれる名作でした。

(ひゃだいん 音楽クリエイター)

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