書評
2024年8月号掲載
世界が抱え持つ「秩序観念」への告発
村山祐介『移民・難民たちの新世界地図―ウクライナ発「地殻変動」一〇〇〇日の記録―』
対象書籍名:『移民・難民たちの新世界地図―ウクライナ発「地殻変動」一〇〇〇日の記録―』
対象著者:村山祐介
対象書籍ISBN:978-4-10-353652-9
冷戦が終わり、世界を隔てていた「壁」は取り払われたはずだった。「鉄のカーテン」や「竹のカーテン」と呼ばれたものである。北朝鮮のような閉鎖国家でさえ、その気になれば観光に訪れることができるようになった。
だが、それは先進国に暮らす人間の思い過ごしだったということを、本書を読んで強く思い知らされた。超大国同士の軍事的対立が生んだ壁はたしかに取り払われたかもしれないが、世界には新しい壁が作られていたのだ。それは冷戦期のそれよりもずっと選別的で、それゆえに見えにくい。
例えば本書の著者である村山祐介は日本の新聞社を退職してフリーランスとなったのち、オランダに移民した。日本円にして72万円ほどを投資すれば簡単に移民することができたという。
だが、同じようにヨーロッパに移民しようとしても強く拒まれる人々がいる。戦争や貧困で荒廃した中東やアフリカの祖国をあとにして、豊かで安全な欧州を目指す難民たちだ。だが、彼らはその境遇ゆえに行く先々で厄介者扱いされ、ベラルーシとポーランドの国境で凍えながらたらい回しにされたり、命の危険があることを承知で地中海を渡る粗末なボートに乗り込む。その末に待っているのは、凍死であり、溺死であり、運が良くてもホームレス同然の暮らしである。村山はこうした、見えない透明な壁に阻まれる人々と現場で向き合い続ける。
2022年にロシアがウクライナへの侵略を開始すると、今度は膨大な数のウクライナ人が国外へと逃れていくようになった。侵略に及んだロシアの側からも、動員を恐れた多くの若者たちがジョージアのような隣国へと流出した。これも戦争が生んだ難民だが、ここではまた異なった問題が生じていることを本書は明らかにしていく。中東やアフリカからの難民は忌避されるのに、白人のウクライナ人は国を挙げて「歓迎」される。同じようにウクライナから逃れてきた人でも非白人は差別的な扱いを受ける。そして避難が長引くと、一度は「歓迎」されたウクライナ難民もやがて厄介者扱いされるようになったり、あるいはジョージアに逃れたロシア人たちだけで小さな世界に閉じこもるようになる。
以上の話は、それぞれ個別には報じられてきたものである。ただ、それらをひと繋がりの同時代的現象として描き出したところに、本書の独自性があると言えよう。人々が住み慣れた家を追われて外国へ逃れていく事態は、ある特定の社会や紛争にまつわるものとして、言うなればそれらの問題群から別々に生じてくる副作用として理解されがちである。焦点はあくまでも権力のありかや戦争の推移であって、そうした「高次の政治問題(ハイ・ポリティクス)」の従属変数として難民は扱われるわけである。
しかし、本書を読んでいくと、どうも逆の問題の立て方が求められるのではないか、という思いがどうにも拭えなくなっていった。我々が作り出した人類社会は、個々の人間をどうしてこうも無下に扱うのだろうか。神ならぬ人間がほぼ必ず国家破綻や戦争を引き起こすことを分かっていながら、何故いつまでも難民のたらい回しが続くのか。そして、国を追われざるをえなくなった人々の扱いにこうも差がつくのは何故なのか。「低次の問題」と扱われがちな難民に焦点を当て続けることで、本書は現在の世界が抱えている根本的な問題を抉り出しているように思われるのである。
もちろん、世界はこの点に今初めて気がついた、というわけではない。戦争や政治弾圧による難民、飢饉、社会的抑圧、差別といった問題は冷戦後、「人間の安全保障」の名で安全保障政策上の課題として取り上げられるようにはなってきた。だが、国家間戦争の防止を目的として築き上げられてきた古典的安全保障システムに比べて、「人間の安全保障」はまだあまりにも脆弱である。本書では、国家や国連に対して無力感を訴える難民たちの声が何度となく登場するが、それは国家を単位とした秩序観念への告発としても読めはしないか。
他方、本書は難民たちを救おうとする人々の草の根的な努力にも焦点を当てている。近代以降の国家中心秩序を人間中心のそれに改善していくことは残念ながら簡単ではない。だからといって、人間は同じ人間の苦境を前にして、簡単に諦めたり無力でいるわけでもない。嘆きながらも行動する人々、できることをまずはやるという人々はたしかに存在するのだし、私たちもまたそこに加わることはできる。
本書の執筆中に亡くなった村山の父が口にした、「それぞれのところ」という言葉が、小さな希望として輝くように思われた。
(こいずみ・ゆう 東京大学准教授)