インタビュー

2024年9月号掲載

『ショートケーキは背中から』刊行記念特集

味の星座ができていく

平野紗季子

平成生まれの食文化を記した衝撃のデビュー作『生まれた時からアルデンテ』から十年目の今夏、十年分のテキストを厳選したエッセイ集『ショートケーキは背中から』を出版する平野さん。消えゆく食事を言葉で残すとは、いったいどういうことなのか? その不思議に迫ります。

対象書籍名:『ショートケーキは背中から』
対象著者:平野紗季子
対象書籍ISBN:978-4-10-355761-6

「消えてしまう食体験をなんとかして残したい」という気持ちが、食日記をつけ始めた小学生の頃から変わらずあります。当時の拙い言葉から思い出せることもあるにはあるのですが、年を経るごとに、頭の中の「味の保管庫」に食べものが運搬され、蓄積され、その一つ一つにどんなラベルを貼れるか、なんだと分かってきました。食べるほどカテゴリーが細分化され、ラベルの精度が上がり、言葉も育ってきた。そんな感覚です。
 本書は『生まれた時からアルデンテ』『私は散歩とごはんが好き(犬かよ)。』と違って、写真をほとんど使わずテキストをメインに構成しました。写真によって記憶にアクセスしやすい部分もありますが、その時何を感じたか、どんな時間が流れていたのかは、文字でしか残せません。

――ラベルを貼る作業の、一番の難しさは何でしょう。

 その瞬間を二度と味わえないことですかね。食べる時に何も感じなければ後づけすることはできないし、かなり集中しないと、味ってわかんないんです。漫然と食べてると、美味しいなあ、としか思わない。まず、この味なんだろう? と疑問を持ち、こういうことなんじゃないかな? と仮説を立て、検証しながら食べます。
 食事中は常にメモをとります。例えば、コースのある一皿を食べた時のメモに「新蓮根で記憶喪失になる」とあります。新蓮根は付け合わせだったんですが、食べた瞬間、その皿の味の印象がぱっと消えるような感覚になって。そしたら、その後何度も同じ構造の、記憶喪失皿が登場するんですよね。もしや意図的なのかな? と。大将に「記憶喪失になりました」と伝えたら、「そこ大事にしてます、余韻がきれいでしょ」と返されて驚きました。この印象は、写真では残せません。
 自分は作家だとは思ってなくて、食味の表現を追求したいわけでもなくて、ただ、食べ物をどう残すか、どれだけ感じられるか、ということだけをやっています。食べ物もお店もみんな消えてしまう。だから誰かが残さんといかん。という勝手な使命感です。

――今回、何度も推敲をしましたが、推敲を重ねながら何を考えていましたか。

「本当に言い得ているのか」ということですかね。自分の出会った味とそれを言葉にした時のずれを、少しでも薄くするための作業でした。本が出た後も、もっと書けたんじゃないか、と思うかもしれません。というのはやっぱり、食べれば食べるほどわかってくることがあるんですよね。
 本当に美味しいものはピラミッドのてっぺんだけ、というようなことはなくて、実は食べるほど味がわかるようになり、すべての食の魅力に気付かされるようになります。そうやって自分の中に、味の星座ができていくのが何よりも楽しいです。全部が愛おしくなる、というものの愛し方が、ここまでやってきて見えてきました。

――その愛し方には、どのように至ったのでしょうか。

 価値観が壊れる経験が必要なのかもしれません。高校時代、留学先のアメリカで味のない泥水、みたいなシチューを食べました。どう考えても二度と経験したくない食事ではありましたが……おかげで元々馴染んでいたものの美味しさに気づきました。泥シチューがなければ実家のほんだしは輝かない。それぞれが照らし合って輝くわけです。noma(コペンハーゲンのレストラン。新北欧料理を提唱)との出会いも衝撃的でしたが、そういった「壊れる」経験をいくつか経てきて、自分にとって心地よいものだけに価値を感じ、それ以外を認められないことへの違和感は増しています。
 食の世界でも「本物思考」のような考え方は根強くて。きっと味覚って保守的なんですよね。生命維持に直結しているし、文化的背景にも大きく影響を受けるので、食べたことのないものに違和感を抱くのは生き物として当たり前のことです。けれど私としては、食の道が厳然たる一本道だとは思っていません。美味しいものも不味いものも、嬉しいことも辛いことも、全部があるから豊かなんです。

――問答無用で、ずっと好きな食べ物はありますか?

 はい。フライドポテトとパイの実です。
 最近は、マジでバナナっておいしい! っていう感動がコンビニでバナナを買って食べていて突然訪れました。生きていると、そういう時がやってくるんですよね。幸せなことです。できることなら死ぬまでずっと、こんな感覚で世界と関わっていたいです。

(ひらの・さきこ)

最新のインタビュー

ページの先頭へ