書評
2024年9月号掲載
正確な表現という創造的行為
宮崎哲弥『教養としての上級語彙2―日本語を豊かにするための270語―』
対象書籍名:『教養としての上級語彙2―日本語を豊かにするための270語―』(新潮選書)
対象著者:宮崎哲弥
対象書籍ISBN:978-4-10-603914-0
待たれていた宮崎哲弥氏の『教養としての上級語彙』の続編が世に出た。誠に喜ばしい。前著は、著者自身が書いている通り、類例のない言葉についての本だった。一部の熱心な人を除いては読まれにくい辞書的な機能を果たしつつ、自らの主張を生きた例文として用い、上級語彙の意味内容を歴史上の著作物に照らして豊かに展開してみせた。中学生の頃からノートに言葉を書き留め、豊富な読書経験を通じて様々な語彙を会得した著者からの贈物といってよい。本作では、便利な索引がつけられたことについても言及しておくべきだろう。
前著で、著者は井筒俊彦の「分節理論」を紹介した上で、「事物の多様性が言葉の多様性をもたらすのではなく、言葉の多様性が事物の多様性をもたらすのだ」と書いた。それは全く正しい。本書は、その主張を展開するため言葉の平明化の過程を批判的に辿り、日本語を「表音」の言語にすることの不可能性を立証している。
歴史的には初めに言葉が在ったわけではない。初めに欲望があり動作があって、小規模な集団で感情が共振し、その後に伝達に適した言葉が生み出された。しかし、言葉こそが成し得たものがある。集団を拡大させ、文化を育み、社会制度を作り、人を悩ませ、時には死に追い込んだ。本書のエピグラフにはヘレン・ケラー自伝の言葉が措かれている。「すべてのものには名前があった。そして名前をひとつ知るたびに、新たな考えが浮かんでくる。家へ戻る途中、手で触れたものすべてが、いのちをもって震えているように思えた」。言葉とは事程左様に力を持つ。
しかし、言葉を単に道具と見做した人々は、語彙や表記を限定し統制しようとした。言葉を平易化すれば伝達が容易になり、識字率も向上し、国民教育に役立つであろうと。しかし、その過程で自分達が段々と貧しくなることを識らなかった。現代の新聞を見てみればすぐに分かることだ。少ない語彙、定型文、交ぜ書きの横溢。結果、表現される事物を狭い鋳型の内に限定し、意味や思考の幅を奪っている。平易さを追う人々は、言葉というものが事物の存在を定義し、自らの情動や知的思考の幅までを規定していることに気づかなかった。そして、こうした風潮は、書かれていることが全てであると考えがちな悪弊を生み出した。言葉の海に対する畏れを失くしてしまったのである。
表記や表現の平易化・単純化に慣れた人々は、言葉の意味内容は一つであり、書かれていないものは存在しないという誤解に陥る。情報の量とそれが行き交うスピードばかりが発達した現在において、SNSのような短文にのみ日々触れることで、この誤解は「正しさ」の勘違いに転じた。つまりは、ほとんど全ての人が判で捺したように同じ表現を使い、同じことを言う時代がやってきたのである。規定表現からの逸脱は、誤りであるか無駄に複雑で分かりにくいものとして咎められることになった。だが、予め定められた正しさによって綴られるものは評論ではないし、文学でもない。先述の「分節」という語はarticulationの訳だが、この英単語は正確に表現することという意である。
正確な表現というのは、近年主張されている所謂正しさとは異なる。正確さとは、多様な事物及びその解釈に照らして、時間をかけて発展した冗長性の海の中から適切な表現を選び取ることであり、創造的行為でもある。この行為を止めれば、多様な感覚はいつの間にか失われてしまう。
本書に載っている幾つかの上級語彙を挙げておこう。「徴する」という言葉。徴という漢字には様々な要素が含まれる。印、証、求める、呼び出す、召す、取り立てる、懲らしめる。その中でも証を求める、照らし合わせるという意味内容に遵って、徴するという言葉が生まれた。宮崎氏は読書習慣について述べている節でこれを挙げている。著者の読書歴が窺える語の一つである。
漢語を自在に操る印象が強い著者だが、大和言葉に対する愛着と憧憬も感じられる。「泥む」という言葉。暮れ泥む時、と聞いただけで、光彩を失った青から茜色に縁取られた紫色へと変化していく空を思い浮かべ、その心象風景に仄かな慕情が滲む。ほかには、「侘びる」――詫びるではない。「待ち侘びる」という複合語に辛うじてその意味を留めているが、百人一首に「思ひ侘び」から始まる歌があったのを覚えている人はあるだろうか。「思ひ侘び さてもいのちはあるものを 憂きにたへぬは 涙なりけり」(道因法師)。著者は類語に「倦む」を挙げているが、この言葉を使う人は夙に見かけない。泥む、侘びる、倦むという感覚が失われつつあるということである。
教養は壁を作る。それはその通りだろう。その壁は、人が自らを取り巻く事物に触れ、その意味内容を豊かに発見する上で必要な壁なのである。
(みうら・るり 国際政治学者)