書評

2024年9月号掲載

「野球」この不可思議で魅力的な「数字のスポーツ」

広尾 晃『データ・ボール―アナリストは野球をどう変えたのか―』(新潮新書)

広尾晃

対象書籍名:『データ・ボール―アナリストは野球をどう変えたのか―』(新潮新書)
対象著者:広尾 晃
対象書籍ISBN:978-4-10-611053-5

 筆者はときどきテレビやラジオでコメントを求められる。ある年の春、プロ野球のペナントレースについてコメントを求められたので「あの投手は昨年3000球以上投げたので、今季は厳しいのではないか」と話すと、横にいた選手上がりの解説者から「そんなのは関係ない!」とぴしゃりと言われたことがある。
 プロ野球で実績を重ねた野球人の中には「数字で語ること」を軽蔑する人がいる。「野球をやったこともない奴が、わけのわからないことを」と思っている人がいまだにたくさんいるのだ。
 一方で、セイバーメトリクス(野球の統計学)の普及以来、数字で野球を語る人が増えた。今のデータ野球では「運の要素」はどんどん排除される。ぽてんヒットでも数字が上がる「打率」や、味方の援護があれば何点取られてもかまわない投手の「勝利数」などの指標は、数字の専門家に言わせれば「無価値」になる。
 セイバーメトリクスなど新しいデータ野球の信奉者のなかには「いまだに3割打者とか20勝投手とかをありがたがっているのかよ、何時代だよ」と言う人もいる。これもちょっと残念だ。
 そして「野球のデータ」が重要視されるはるか以前から、試合のスコアをつけて集計してきた人たちがいる。選手からは「野球がへたくそだったからスコアラーやってるんだろ」と言われ、近頃のデータ野球信奉者からは「時代遅れ」と馬鹿にされる。しかし、こうした几帳面な「記録者」、つまり日米で営々と数字を紡いできた人たちがいたからこそ、大谷翔平と1世紀前のベーブ・ルースの「比較」が可能になったのだ。
 ざっくり言えば、野球という「数字のスポーツ」をめぐっては、この3つの立ち位置の人たちがいて、それぞれがあまり交流することなく、バラバラに存在しているような印象がある。
 この度上梓した『データ・ボール―アナリストは野球をどう変えたのか―』は、昨年のWBCで侍ジャパンの世界一に大いに貢献した「データ野球」の最先端を紹介している。しかしそれだけではなくデータ野球の発展に貢献してきた日米の多くの人たちの取り組みを通じて、野球が「数字」によっていかに豊かで、多様性のあるスポーツになっていったかを紹介している。
 無味乾燥に見える数字だが、それをどう解釈するか、何を読むか、どんなふうに役立てるかで、結果も次のプレーも大いに違ってくる。それが今の「データ野球」の魅力だと言える。
 今や、大谷翔平がホームランを打った瞬間に、膨大な量の「数字」が発信される時代である。選手のプレーが瞬時に「数字」に置き換わる「野球」というスポーツの「本当の魅力」について、その一端でも知っていただければ幸いだ。

(ひろお・こう スポーツライター)

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