書評

2024年10月号掲載

羨ましくて悶絶する冒険小説のような武勇伝

新田和長『アーティスト伝説―レコーディングスタジオで出会った天才たち―』

奥田英朗

対象書籍名:『アーティスト伝説―レコーディングスタジオで出会った天才たち―』
対象著者:新田和長
対象書籍ISBN:978-4-10-355811-8

 1980年代は丸ごとわたしの二十代であるが、その間マスコミの端っこでウロチョロしていたせいで、レコード会社にはよく行った。CBSソニー(市ヶ谷)、エピック・ソニー(青山)、ワーナー・パイオニア(青山)、ビクター・レコード(原宿)、ポリドール(池尻大橋)、キングレコード(音羽)、そして東芝EMI(溜池)……。書いているだけで懐かしくなってくるが、この中で今も残っているのは恐らく一、二社程度ではなかろうか。銀行に似て離合集散の激しい業界ゆえ、少し目を離しただけで業界地図の迷子になる。おまけにレコードやCDは過去のメディアとなり、業態もずいぶん変わった。正直に言えば、今のレコード会社(そもそもこの呼び名は通用するのか?)の仕事内容について、わたしは何も知らない。
 レコード会社回りはとても楽しいルーティーンだった。それは見本盤がもらえるからである。好きなアーティストの最新LPがただで手に入るなどというのは、洋楽好きのわたしには最高の役得で、そのとき入手した見本盤は、今でも百枚くらいは手元に残っている。一介の若いライターに過ぎないわたしに、どうして気前よく見本盤をくれたかというと、それはもう媒体の力にほかならない。あの頃、FM雑誌やオーディオ誌は結構な部数を誇っており、下にも置かない扱いだったのである。宣材のTシャツもたくさんもらった。夏は大抵、それを着て過ごしていた。
 レコード会社でわたしが主に接したのは宣伝部員たちであるが、彼らの仕事熱心さにはいつも頭が下がった。自分が担当するレコードやアーティストを露出させるためには、いかなる労も惜しまない。あるときなど、グラビア撮影で新型スピーカーの脇に立たせるモデルを探しているという話をしたら、「いい娘がいます!」と新人歌手の可愛い子ちゃんを連れて来てくれ、モデル代が浮いたこともあった。バーターとしてその歌手の情報を囲み記事として入れるわけだが、こんなのでセールスにつながるのかいな、という心配はさておき、これが宣伝マンの仕事なのだと、わたしもいい勉強になった。
 概ね商品というのは宣伝しないと売れないが、レコードの場合はとくにその傾向が強い。いい曲だから黙っていてもヒットする、などというのは素人の甘い願望で、プロモーションなくしてレコードはヒットしない。それゆえ、ヒット曲にはそれぞれにストーリーがある。
 本書『アーティスト伝説―レコーディングスタジオで出会った天才たち―』は、かつて一世を風靡した曲がいかにして誕生し、ヒットしたかが追体験できるすぐれたノンフィクションである。とりわけ1970~1980年代に音楽に慣れ親しんだ世代にとっては思いがけないプレゼントと言えよう。
 著者の新田和長さんは、東芝EMIで音楽プロデューサーとして一時代を築いた人物である。手がけたアーティストは、赤い鳥、フォーク・クルセダーズ、チューリップ、サディスティック・ミカ・バンド、長渕剛、寺尾聰……。名前を列挙するだけで心躍るものがあるが、すべてにおいて当事者であるため、内容は濃く、その証言は貴重だ。
 チューリップ最大のヒット曲「心の旅」は、リーダー財津和夫の作詞作曲だが、本人はコーラスに回し、メンバーの姫野達也に歌わせることにした――。財津にその通告をしたのが新田さんで、その場の気まずい空気は読んでいるこちら側にも伝染する。頭に来ただろうな、財津和夫。しかしそれがプロデューサーの仕事なのである。
 加藤和彦とのエピソードも強烈だ。名作「黒船」を英国のプロデューサー、クリス・トーマスを招いて制作し、新田さんは大いに学ぶのであるが、その後、そのトーマスに加藤はミカ夫人を寝取られてしまう。そして行方知れずになった加藤を心配して探し出すと、次の夫人となる安井かずみのアパートにしけこんでいた――。こういう話が、誰を裁くでもなく、フラットに描かれている。
 本書の美点は、音楽がまだ手作りだった時代がリアルに活写されていることで、それゆえ冒険小説の趣すらある。ダイヤの原石を発見したときの興奮、この原石をどうしたら輝かせられるだろうかと作戦を練り、実行に移し、成功と失敗を繰り返す。ときにはアーティストと衝突し、袂を分かつこともあるが、それでも妥協せず自身の信念に従う。恐らく新田さんのようなプロデューサーは、今のレコード会社には存在しないし、許容もされないだろう。新田さんは開拓者であり、現代につながるシステムを作り上げた人なのである。
 個人的にはビートルズのプロデューサーであるジョージ・マーティンのロンドンの事務所に押しかけ、通ううちに信頼を得て弟子入りしてしまうエピソードに惹かれた。ポール・マッカートニーと会ったとき、「イエスタデイ」のギターのキーに関する積年の疑問と推理をぶつけ、本人から「その通り!」との回答を得るくだりなど、羨ましくて悶絶ものである。こういう武勇伝をもっと読みたい。なので新田さんはもう一冊書く必要がある。

(おくだ・ひでお 小説家)

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