書評

2024年11月号掲載

「母親にならない方がいい」と言われた私が母親になって

高橋歩唯、依田真由美『母親になって後悔してる、といえたなら―語りはじめた日本の女性たち―』

佐野亜裕美

対象書籍名:『母親になって後悔してる、といえたなら―語りはじめた日本の女性たち―』
対象著者:高橋歩唯、依田真由美
対象書籍ISBN:978-4-10-355841-5

「あなたは母親にならない方がいいと思う」と言われたことがある。
 その言葉を聞いた時、なんだか妙に納得してしまった。こんなに独善的で他者に厳しくて不寛容な自分が、子供を愛せるような気がしなかった。ちょうど不妊治療を続けるかどうか悩んでいた時だったから、そこでやめればよかったのかもしれない。それでもなぜか諦められなかった。まあ40歳までは続けてみようと治療を継続したものの、その言葉は絶えず私につきまとった。不妊治療にまつわる様々な選択をするたびに「母親にならない方がいいお前が、本当に母親になる気なのか?」と誰かに問われているような気持ちになった。流産を経験したときには、「やっぱり自分は母親になるべきではないのか」と感じた。
 その後妊娠し安定期に入った時、その人に妊娠のことを伝えざるを得ない状況になって伝えたところ、(それはもちろんそうなるだろうとは思っていたけれども)非常に喜んでくれた。そして私は思い切って聞いてみた。私のどういうところがそう思わせたのか? と。
「そんな言葉を言ってしまったことを申し訳なく思う。その上で、なぜそう言ったのかと聞かれたら、こう答える。あなたはまだ自分自身を本当の意味で大切にできていないように見える。自罰と自責をやめられない限り、その自罰の刃は必ず自分を貫いた後に子供に刺さると思う」
 子供が生まれてもうすぐ一年がたつが、その間、この「自罰の刃」について考えなかった日は一日もない。今も毎朝起きると「今日も自分を責めない」と心に誓うことから始めるし、「子供に刃が刺さっていないか? ちゃんと愛せているか?」をたびたび確認してしまう。まだちゃんと“母親”をやれていないような、漠然とした不安はずっと続いている。「母親にならない方がいい」という言葉を言ってくれたことには感謝しているが、どうやったら自罰と自責をやめられるのか、その答えはまだ出ていない。
 今回この書評の依頼をいただき、まずこの本ができるきっかけとなったイスラエルの社会学者オルナ・ドーナト氏の『母親になって後悔してる』を一年ぶりに読み返してみた。ちょうど妊娠中に読んでいたので、その時は何となくまだ自分は取材者のような立場で、観察するように母親たちの言葉を追ったものだった。子供が産まれ、母親という当事者になった今は、全く違う本のように感じられた。その切実さも祈りも、取材対象としてではなく、自分自身の延長線上に存在するように身近なものになっていた。
 そして本書を手に取ると、自分に刃を刺さざるを得ない数多の母親たちの姿がありありと描かれていて、一人一人の言葉を読み進めるごとに、涙が止まらなくなった。どの言葉にも深く頷き、その痛みを想像して苦しくなってしまった。どう追い詰められてきたか、そこからどう抜け出したか/抜け出せていないか。その過程は人によって様々だが、社会のありようも人々の価値観も大きく変化していく中で、世間が考え、押し付けてくる「母親」の役割についてはなぜかほとんど変わらない、ということに起因して追い詰められているケースが多いように感じられた。
 育児は減点方式だと思う。“女が子供を産み育てることは普通にできて当たり前”とされる社会の中で、今日は離乳食を食べてくれなかった、絵本を読んであげられなかったと、毎日小さな減点が積み重なっていく。どんどん追い詰められていき、できない自分を責め、罰してしまう。自分だけがうまくできないように思い、深い孤独を感じる。私自身も育休期間中はほぼそんな日々だったような気がするし、今もまだ続いている部分もある。たとえば夫と遊んでいた娘がぐずり始め、そばにいって抱き上げると娘が泣き止む。「やっぱりママが好きなんだね」と夫に言われたとき、私は喜びよりも先に「よかった、母親をちゃんとやれているんだ」と安堵してしまう。そこで泣き止まなかったら、また減点されたようで落ち込む。だからこの本を読み、月並みだが「自分だけじゃないんだ」と、誰かから許してもらったような気持ちになった。
 頼ることができる人が身近におらず、孤独な状態で乳児の育児に追われている今の自分が、果たしてこの本の的確な書評を書けているかはわからない。あまりに切実さの親和性が高すぎて、冷静に読めていない部分もあるかもしれない。でも一つだけ言えるのは、ここに登場してくれた母親たちの言葉によって、自分も語りはじめることができた、ということだ。冒頭に書いたエピソードは、これまでごく身近な人にしか話したことがなかったし、恥ずかしいことなので話すつもりのなかった話だった。母親にならない方がいいと思われるような自分でもどうにか母親をやっている。そのことを語ることが、誰かの気持ちを楽にすることもあるかもしれないと思った。この社会で生きる母親たちが抱える困難は、一朝一夕にどうにかなるようなことではないが、この本のタイトルが示すように「語りはじめる」ことが、何かを変える大きな一歩になるように思えるのだ。

(さの・あゆみ ドラマプロデューサー)

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