書評

2024年12月号掲載

正しい道を歩めているか確証をもてない中で

石田夏穂『ミスター・チームリーダー』

羽田圭介

対象書籍名:『ミスター・チームリーダー』
対象著者:石田夏穂
対象書籍ISBN:978-4-10-355881-1

 本社が日本橋にある大手のリース会社に勤める主人公の男、後藤は、ボディビルをやっている。三一歳で係長という管理職へ出世したばかりであるいっぽう、大学時代からやっている筋トレ歴のほうが会社員歴よりも長く、アイデンティティになっている。会社には、出社前に走る市民ランナーの社員もいる。「カタボリック」と呼ばれる筋肉の分解を恐れる後藤は、普段走りはしないが、ランナーのとある側面に憧れもする。市民ランナーに順位はなく、あるのは「自分との戦い」であるタイムだけなのだろうな、と。〈ボディビルではほんらい順位をつけられないものに順位をつける〉と認識している後藤は日々、他人の身体と比べられる戦いに備えている。「自分らしく」などという甘えは捨て、型に嵌まったビルダーになることを理想とし、体重をコントロールすべく機械的な反復の生活に身を置く。
 読む人間にとってあまり馴染みのない事柄の詳細や身体感覚をうまく描写されると、それだけでも読む快楽を感じる。本作において、後藤の一番の関心事はボディビルでの身体作り、それは筋力トレーニングと継続的に気を遣い続ける食事管理により構成されるのであるが、タイトルに「チームリーダー」とあるように、リース会社の業務内容や、係長として配属されている「建設資機材課 第2」での人間関係等のほうが、主軸として書かれている。
 係長という役職ながらも、チームには課長や部長といった上司がいて、序列でいうと部下である者たちも、年上だったり、病的に人の話を聞かなかったりと、右往左往する後藤の立場はかなり中途半端だ。仕事のできない者たちに任せるより、以前の配属先でのように、つい自分でやりたがってしまう後藤は、人に任せることを意識しようとするあまり、不全感をつのらせる。
 目前に迫ったボディビルの大会で、「七十五キロ以下級」に出場する後藤の体重は八十二キロほどと、今年はうまい具合に減量できていない。職場でも食事管理やカロリー消費に気を遣わなければならないのだが、怠惰な身体を有した者たち、差し入れのお菓子、筋肉を分解させるアルコールとセットの接待会食といった数々の魔の手が、崇高なる目的に邁進する後藤の行く手を阻もうとする。
 後藤の目からすると、職場のほとんどの人間の身体はだらしないものであるとされる。中でも三人いる「デブ」のうち二人が、仕事もできずチームの足を引っ張る。後藤がデブを嫌っているのには理由がある。〈自分の体型なんて、自分の意志で、どうにでもなることなのに〉と彼は思っている。ここには、後藤が抱える視野の狭さが二つあらわれている。一つは、たまたま後藤自身の脳の報酬系が食欲を抑制しやすいだけで、そうでない人にとっては「どうにでもなること」でないことかもしれないという考慮がない。もう一つは、デブ当人にとってはデブのままでもいいかもしれないという前提が抜けている。あくまでも、ボディビルをやっている己にとっての美意識を、他人におしつけ、勝手に心中で断罪しているわけだ。
 狂信。後藤の行動原理を客観的に捉えれば、その言葉があてはまる。だが不思議と、その切実さは読み手にも伝わってくる。世には、自分の努力で本当にうまくいくのだろうかとか、不安になってしまうことも多い。作中に書かれているわけではないが、たとえばボディビルの世界では、カタボリックにひどく神経質で二四時間の血中蛋白質濃度を一定に保たないと筋肉が分解されてしまうという人たちもいれば、カタボリックの影響などは考慮しなくてもいいほど微細なもので結局はトレーニングの強度だけが大事だという人たちもいる。また、界隈のトップ選手やトレーナーたちだけでなく、栄養学や消化器官の専門家であったりする医学者たちも、彼らとは違う意見を唱えたりする。
 つまりは、なにを信じていいかわからない中で各々が、なにを信じるべきかを決めてゆかなければならない。仮説を信じ、結果を出す、その繰り返し。小さな成功体験の反復は、人を盲信させる。後藤は長らく、神のような存在のトレーナーに指導されながら身体作りを行っているが、コツコツと作ってきた身体が大会直前にして絞れていないことに焦り、やがて“神”を疑うようにもなる。
 職場では、足を引っ張る者を後藤の要望により外してもらったことで、スリムになったチームの調子が良くなる。そして停滞していた後藤の減量も進む。その二つに関し、後藤は強い因果関係を勝手に見出し、職場でのふるまいもエスカレートしてゆく。
 本作にはボディビルの格言めいたフレーズが多く、最初のうちは、そういう深さのある世界なのか、と唸らされる。しかしそれらも段々と、狂信者による、切実さをともなった思い込みなのではないかという読み心地へと変わってゆく。なにかにすがるあまり視野狭窄になった後藤は、仕事でもボディビルでも終盤で思わぬ見落としに翻弄され、彼自身はあまり成長しないのであるが、読んでいるほうは身につまされる思いになる。後藤を生け贄として、同じ轍は踏まないようにしよう、とでもいうように。

(はだ・けいすけ 作家)

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