書評
2024年12月号掲載
C・S・ルイス『ナルニア国物語』全7巻刊行開始
その冒険は、かつてと同じものではなく
C・S・ルイス、小澤身和子 訳『ナルニア国物語1 ライオンと魔女』
対象書籍名:『ナルニア国物語1 ライオンと魔女』
対象著者:C・S・ルイス/小澤身和子 訳
対象書籍ISBN:978-4-10-240661-8
今から半世紀も昔。木造の校舎だった小学校の図書室で手に取った〈ナルニア国物語〉の第一巻『ライオンと魔女』。あの本に出会えたというのは、とてつもない幸運だった。
〈ハリー・ポッター〉が好きな子が、十一歳のお誕生日に、ひょっとしたらホグワーツ魔法魔術学校からふくろう便が届くのでは、と期待して、夜窓を開けて寝る、なんてことがあると聞く。同じく、幼い頃のわたしは、大きな衣装だんすにもぐりこめば、異世界であるナルニアへ行って冒険できるのではないかと期待した。当然、異世界ファンタジー仲間とも、話が盛りあがる。
友人は、〈ナルニア〉のキリスト教的なお説教臭さが好きではないと断言したが、キリスト教をよく知らないわたしは、気になって、ひそかに調べまくった。ナルニアのことなら、なんでも知りたかったのだ。
『ライオンと魔女』のなかで、ダメな子の身代わりになって、自らの命を差し出したナルニアの創造主アスランが、とても古い魔法によって蘇る、というエピソードがある。
子供の頃は、単にアスランが善玉ヒーローだから復活したのだ、としか理解していなかったが、そこにはキリスト教的な意味が潜んでいた。新約聖書には、イエス・キリストが、自らに落ち度がないにもかかわらず、十字架につけられて処刑され、三日目に復活をはたす、という奇跡の逸話がある。アスランは、それをそのまま辿ったのだ。とすると、アスランには、救世主としての役割が重ねられていたのだろう。
〈ナルニア〉のお話は、欧米の神話や伝説世界、それに前世紀の歴史に通じていると、よりおもしろみが増す。著者のルイスは〈ロード・オブ・ザ・リング〉を書いたトールキンの親友で、ふたりはオックスフォード大学の同僚だったから、学識がある。そればかりか、(ちょっと意地の悪い)シャレを好むイギリスの教養人らしく、子供向けの話であっても、それとなく洒脱な仕掛けを施して楽しんでいたことは、容易に想像がつく。
とはいえ、ルイスの書いたファンタジーを知ったトールキンは、その才能を認めながらも、批判的だったという。その例として、『ライオンと魔女』にいきなりサンタクロースが登場したのがお気に召さなかったらしい。まあ、そうだろうな、と思う。
トールキンは、この世とは別の異世界を徹底的に作ろうとした作家である。登場する妖精や小人、怪物たちの使っている言語まで創造したのだから、その姿勢は徹底している。いくら不思議な存在とはいえ、我々が住んでいる現実世界の事物が――しかも商業主義的な装いのまま――登場したら、異世界の雰囲気は興醒めになると考えたのだろう。トールキンの言い分は確かに御説ごもっとも。でも、逆に、ルイスには、彼なりの意図がちゃんとあったのでは、と思う。
物語のなかで子供たちがナルニアへ度々行けるように、ナルニアは、われわれの世界にずっと近い。実は、人は機会があればナルニアに接することができる。こんな話がある。
ルイスの死後残された書物のなかから、イタリアの地図が出てきた。地図にはナルニ(Narni)という地名に印がつけられていた。ルイス自身はその街に行ったことはなかったが、けっこう詳しく調べていた形跡があった。その街には、古代において街の守り神であったライオンの彫刻があちこちに残されており、幼い少女の聖女伝説があった。そして郊外には、古い大きな石のテーブルが、遺跡として残っていた。
ライオンと少女と石のテーブル?
ナルニアが好きなひとなら、アスランと少女ルーシーと石舞台が脳裏に浮かんで、胸が締め付けられることだろう。ナルニアの世界は、長い歴史のなかで、由来もわからなくなった不思議な事物が数多く共存しているイタリアの風景と、重ね書きされるようにして、創造されたのだ。謎が数多く存在する現実世界について考えるためのスペースを、ルイスは用意するのだ。だから、ナルニアは、ひとまず子供のための物語であるのはまちがいないが、実は大人のためのエピソードが巧みに織り込まれたファンタジーなのである。
優れたファンタジーは、そういうものだ。大人も子供も魅了する。
この珠玉の児童文学〈ナルニア国物語〉は、我が国では、瀬田貞二氏の格調高い、しかし児童文学としての装いを忘れてはいない「ですます」調で初訳された。近年、シェイクスピア学者の河合祥一郎氏の訳、翻訳家土屋京子氏の訳と二度新訳が刊行され、後者は大人向けに再編成された。今そこに、小澤身和子氏による新訳が加わろうとしている。
英語圏では唯一無二の原作を、翻訳大国日本では幾度も別バージョンで読めるのは、ある意味非常に贅沢なことではあるまいか。翻訳は、それ自体がクリエイティブな行為であるからだ。
一見子供向けに見えても、密かに大人宛に様々な仕掛けが施された傑作は、どう訳すかによってニュアンスが変わる。ファンタジーという幻想性が強いジャンルであれば、なおのこと。
日本語は変化の激しい言語なので、生き物のように変化する現代語に落とし込むことこそ、翻訳者の腕の見せどころ。〈ナルニア国物語〉が、新たに翻訳され、再読の機会に恵まれたことを、心から嬉しく思っている。
(こたに・まり 評論家)