書評
2025年1月号掲載
悪党にして善人が江戸の悪に挑む痛快作
西條奈加『牧谿の猿 善人長屋』
対象書籍名:『牧谿の猿 善人長屋』
対象著者:西條奈加
対象書籍ISBN:978-4-10-300319-9
江戸の長屋は人情ものの舞台として、これまでも多くの作家が取り上げてきた。よくある長屋もののような西條奈加の〈善人長屋〉シリーズだが、既にタイトルに読者の思い込みを覆す仕掛けが施されている。
深川山本町にある千七長屋は、善人ばかりが住んでいることから善人長屋の異名があるが、実は裏稼業を持つ悪党たちが住人で、悪事がばれないよう善人のふりをしているだけなのだ。悪党ゆえに、完全な善も、完全な悪も存在しないと考える善人長屋の住人が様々な騒動に挑むことで、善の中に悪があれば、悪の中に善がある現実を浮かび上がらせる展開は、読者の常識を揺さぶり真の人情とは何かに迫っているのである。
シリーズの第四弾『牧谿の猿 善人長屋』は、表は質屋、裏は盗品を捌く窩主買をしている儀右衛門、その娘で悪人か善人かを見抜くお縫、表で人が集まる髪結店を営み裏で情報屋をしている半造、おかる夫妻、文書の偽造を請け負う浪人の梶新九郎、表は季節物の振り売りで裏は美人局の唐吉、文吉兄弟、騙りが得意な菊松、お竹夫妻らが、本物の善人で錠前師の加助が持ち込むトラブルを解決していく連作短編集となっている。
質屋の店番をしていたお縫が、目に青い石が嵌った象牙製の白狐の根付を探す商家の女房の相談に乗る「白狐」は、白狐の根付を手に入れた時の思い出が解決のヒントになり、着地点の意外性にも驚かされる。
江戸では、人間の歯の下に逆さまの猫の絵で箱根(「は」と「こね」)、茶を立てる蝦蟇蛙の絵で茶釜を表す、といった判じ絵が人気だった。「三枚の絵文」は、岡場所で子供たちに手習いを教えている新九郎の袖に判じ絵が投げ込まれ、その内容を考える暗号解読ものである。意味不明の文字列が並ぶ暗号ミステリは自分で解いてみようとは思えず早く探偵の謎解きが読みたくなるが、本作は「狐、鯛、矢、女の子の立ち姿、皿」や「狐、鯛、矢、蜘蛛の巣が挟まった竹、手」などの絵をどんな文字に置き換えるのかという挑みやすい暗号になっているので、実際に推理してみるのも一興である。
「籠飼の長男」は、加助ではなく菊松とお竹夫妻が騒動の種を拾ってくる。菊松とお竹は那須湯から帰る途中で、腹を押さえて呻いていた商家の小僧風の幸次を助ける。幸次は二年前から四ツ谷の米問屋で奉公していたが、生国の母が病気になり店に黙って郷里へ戻ったものの、父に追い返されたらしい。子供のいないお竹は幸次に愛情を注ぎ、幸次は加助の弟子で名前の読みが同じで同年代の耕治と仲良くなる人情話として物語が進むだけに、どんでん返しには衝撃を受けるだろう。
ミステリには、無関係に思われた複数の事件の共通点を探すミッシングリンクというジャンルがある。掏摸の安太郎が当世風の女人が描かれた歌カルタ風の札を手に入れ、同じような札を持つ人たちが現れるも繋がりが分からない「庚申待」は、ミッシングリンクもので、三尸の虫が体内から抜け出し天帝に罪過を告げないよう寝ないで過ごす庚申待で謎解きが行われ、解決の鍵にもなるだけに江戸情緒も満喫できる。
十二、三年前に江戸を荒らし、盗んだ家に白狐の札を置くことから白狐と呼ばれた盗賊が再び現れる「白狐、ふたたび」と最終話「牧谿の猿」は、お縫たちが現在の白狐は十数年前の白狐と同じ盗賊なのか、なぜ再び犯行に及んだのかを調べていく。表題作は、南宋から元にかけての時代の水墨画家で日本の水墨画に多大な影響を与えた牧谿の猿図がかかわる事件で、何かのコレクターなら身につまされるエピソードも印象に残るはずだ。巻頭の「白狐」と後半の二編はリンクしていて、続けて読むと中編としても楽しめるようになっている。
本書は基本的に一話完結になっているが、多くが事件に子供が関係しているという共通項がある。江戸幕府は人身売買を厳しく禁じたが、一定期間住み込みで働き、衣食住を与えられ職業訓練を受ける代わりに無給(もしくは親への前払い)で働く年季奉公の制度の中にいる子供が少なくなかった。また農村、漁村では子供は貴重な労働力で、幼い頃から親や村の手伝いをしながら仕事を覚えていた。商家の奉公は丁稚、手代、番頭になるために過酷な競争があり、農村では天候不順が続くと食べ物に困るなど江戸時代の子供たちは不安定な状況の中にいたが、本書に登場する子供たちは、親に売られたり、犯罪を手伝わされたりしているので、当時の子供の中でも不幸だったといえる。
著者が特に恵まれない子供たちを取り上げたのは、子供の権利を守る法律があり、少子高齢化を食い止めるために子育て支援が次々と打ち出されている現代にあっても、作中で描かれたような貧困や虐待に苦しむ子供たちが存在している現実を指摘するためだったように思えてならない。厳しい現実に直面している子供たちを助けようと奔走する善人長屋の住人たちは、同じように子供を救うために現代人は何をすべきかを突き付けているのである。
(すえくに・よしみ 文芸評論家)