書評

2025年1月号掲載

歌のお姉さんが見た、綺麗事じゃない世界

渡邊永人『崖っぷちの老舗バレエ団に密着取材したらヤバかった』

小野あつこ

対象書籍名:『崖っぷちの老舗バレエ団に密着取材したらヤバかった』
対象著者:渡邊永人
対象書籍ISBN:978-4-10-355971-9

 この本の元になった谷桃子バレエ団のYouTubeを見始めたきっかけは、《【週5バイトのバレリーナ】家賃6万円、家具なし…》という強烈なタイトルとサムネイル画像の動画をたまたま目にしたことです。上京したての新人ダンサーの方が、引っ越し直後のがらんとしたお部屋で「今は経済的にカツカツで、トウシューズを買うのも苦しい」と語る様子に衝撃を受けました。何より、昔から知っていた老舗バレエ団が「公式チャンネル」でこんな赤裸々な動画をアップしていることに驚いてクリックした気がします。
 その後は配信される動画にも、谷桃子バレエ団そのものにも見事にはまってしまって。実は私も5歳からバレエを習っていましたが、最近はなかなか公演を観る機会がありませんでした。でもYouTubeをきっかけに久々に生のバレエを観たら、その圧倒的な美しさと優雅さに魅了され、非日常の世界に一気に引き込まれていました。生の舞台ってすごいんだとあらためて実感しました。
 動画には、一度は諦めたり、他の進路と迷った末に「やっぱり踊りたい」とバレエの道を選んだダンサーの方が何人も出てきます。日本は習い事としてのバレエは盛んでも、海外と比べるとバレエ観劇の文化が根付いていません。だからみなさんプロのダンサーとして舞台に立つ傍ら、先生として教えたり、バイトをしないと生活できない。密着ディレクターの渡邊さんが書いたこの本を読んで、日本でバレエを職業とすることの難しさがよくわかりました。
 私は今でこそ「歌のお姉さん」として活動していますが、もともとは「ピアノの先生になりたい」と思って音楽科のある高校に進学しました。でもすぐに周りのレベルに圧倒されて「自分には無理だ」と挫折してしまった。それでもどうしても音楽と離れたくない、という葛藤の末に大学で声楽にシフトしました。だから、苦境の中でも「バレエが好き」という気持ちで踊り続けているダンサーのみなさんにはとても共感したんです。
 舞台に立つだけでは食べていくのが難しいという現状も、とても他人事とは思えませんでした。私の周りでも音楽を続けている人は海外に行くか、日本にいるのであれば「教え」の仕事をしながら、という方がほとんどです。私自身、大学院まで進んだものの、とにかく音楽が好きで、音楽の勉強が楽しくて没頭していたという感じで、演奏家として食べていこうとは考えていませんでした。
 自分にそういう経験があるので、密着開始当初、バレエの知識のない渡邊さんが「なぜ給料制にできないのか」とか「海外との待遇の格差」とか、お金やネガティブな面にばかりフォーカスしていたのには少し反発を覚えたりもしたんです。でも、日々無数の動画がアップされるYouTubeの世界で、バレエに興味を持ってもらうことがどんなに難しいか、本を読んでよくわかったし、ダンサーに対する渡邊さんの想いも伝わりました。特に、本番で思うような結果が出せず戸惑うバレリーナに「僕は葛藤する人、苦悩する姿に魅力を感じる。絶対マイナスにはならない、良い動画にする自信があります」と畳み掛ける場面は印象的です。実際、視聴者の立場からすると、そうやってダンサーの頑張りや苦労を動画で知ったからこそ、みなさんの踊りが強く記憶に残るし、「また観たい」という気持ちに繋がっていると思うんです。
 本には、密着開始までのプロセスやバレエ団側との衝突も描かれていました。老舗バレエ団がこの挑戦をするにあたって、本当に色々な葛藤や困難があったと思います。私が「歌のお姉さん」を務めていた「おかあさんといっしょ」という番組も、65年間続いている伝統ある番組です。立派な看板や、積み重なってきた歴史があって、というところは谷桃子バレエ団とすごく似ているので、バレエ団の方々が背負っているものの重みもよく理解できます。だから、冒頭の動画のような自宅の撮影や仕事の裏事情をあれこれ聞かれることに自分が対応できるかと考えると「無理かも」と思ってしまうのも正直な気持ちです。番組に携わってきた大勢のスタッフさんや、歴代のお兄さんお姉さん、何より長年応援してくださるファンの方々のことを考えると「一生、死ぬまで歌のお姉さんでいなければ」と思うからです。
 なのに、視聴者としてはすごくこのチャンネルに惹かれてしまう。クラシックバレエという古典文化を守りながら興行を成立させるための画期的な挑戦だということもわかるし、何より、動画の中のダンサーの皆さんの生き様に綺麗事では片づけられないほど強烈な魅力を感じるから。だからこそ、こんなにもたくさんの方がYouTubeをきっかけにバレエを観に行くようになったのだと思います。
「人生って誰かに生かされているものだと思う」
 産後、引退を考えながらも復帰し、「白鳥の湖」を踊り切ったプリンシパル・永橋あゆみさんのこの言葉が、ずっと胸に残っています。私も「歌のお姉さん」としてパフォーマンスができなくなるその日まで、音楽の素晴らしさを一人でも多くの人に伝えたいという気持ちで、自分にできることをやっていこうと思います。

(おの・あつこ 歌のお姉さん)

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