書評

2025年1月号掲載

「良き隣人」たちと築く知の宇宙

橋本麻里、山本貴光『図書館を建てる、図書館で暮らす―本のための家づくり―』

鴻巣友季子

対象書籍名:『図書館を建てる、図書館で暮らす―本のための家づくり―』
対象著者:橋本麻里、山本貴光
対象書籍ISBN:978-4-10-355991-7

『図書館を建てる、図書館で暮らす―本のための家づくり―』は、多くの読書家、蔵書家、あるいは積ん読家にとって、まさに憧憬の書と言えるだろう。
 私はご夫妻のうち山本さんと先にお会いしているが、初対面で戴いた瀟洒な名刺には「森の図書館司書長」と刷りこまれていた。よく聞いてみると、それは公共図書館ではなく、私立の図書館でもなく、自宅だと。蔵書は約五万冊! 間取りをお聞きして、私は腰を抜かした。自宅に図書館並みの書庫をお持ちのかたは知っていたが、この森の図書館は家全体が図書館なのだ。
 書架スペースが膨大にあり、その中央に、天井の高い、しかし本を保護するために陽光は入りすぎない、森の大樹の木陰のように暖かで涼しげな部屋が存在する。メインルームとなる「閲覧室」だ。「ロマネスク時代の修道院の図書室に住みたい」という理想を叶えるべく造られた夢の一室。中世西洋風の“陰影礼讃”の実践である。
 しかし書物を「閲覧」するだけがこの空間の目的ではない。そこがこの家最大の特徴でもあるだろう。閲覧室はふたりの仕事場でもある。パソコンを据えて調べものや書きものをする。だから、資料をひろげられるよう大きなロングテーブルが設えられている。そのテーブルの周囲を、古今東西、世界から集まってきた書物が取り巻くさまは圧巻だ。
 お互いの専門の日本美術・現代美術、古代哲学や歴史系の書物から、あらゆる人文書、社会科学、サイエンス、国内外の小説、俳句・短歌、音楽、映画などに関するハードカバー、文庫、新書、雑誌、図版本などが犇めきあう。
 これら五万冊からなる知の宇宙に抱かれているわけだ。閲覧室は、仕事の打ち合わせの場にもなる。おふたりにとって寛ぎのリビングでもあるし、食事もここでとるという。まあ、おおまかに言って、寝室、風呂、トイレ以外のほとんどの活動の場はこの居心地抜群の一室にあるようなのだ。
 橋本さんは、設計の際にリビング・ダイニングはいらないと注文したという。この大胆なコンセプトに痺れる読書家、蔵書家、積ん読家は多いだろう。「書店/図書館に住みたい」という言い方があるが、文字通り「図書館に暮らす」毎日なのだ。
 書物というものの魔力に魅入られたおふたりが出会ったのも奇跡の巡り合わせだと思うが、橋本さんが逗子の山の斜面にこの森の図書館を建てるのにうってつけの土地を見つけたのも運命なのだろう。図書館は後背の山と森の緑に抱かれるようにしてその山肌に鎮座している。
 まわりの自然との調和がじつに美しい。しかしこのようなむずかしい地形、しかも旗竿地に、地下一階地上二階+ロフトという建物を建造するには、もちろんたいへんな技術と知識と手間が必要なのだった。そのあたりのことは、設計を手がけた三井嶺さんによる本書への寄稿にくわしいので、そこもぜひご堪能いただきたい。
 おふたりは書物のキュレーションの信念にも人並外れたものがある。山本さんは以下の文庫は「毎月刊行される新刊をつべこべ言わず全点読むことにしている」という。岩波文庫、岩波現代文庫、角川ソフィア文庫、講談社学術文庫、講談社文芸文庫、ちくま学芸文庫、光文社古典新訳文庫、ハヤカワノンフィクション文庫、平凡社ライブラリー、法蔵館文庫……。
 いやはや、すごい。橋本さんの関心領域も同様に広大無辺で深遠だし、一体どうやって日々流入してくる本を分類し書架に収めているのだろうか。ひとつ指針となる理念をご紹介しておく。
 それは、大蔵書家で文化史研究家のアビ・ヴァールブルクの言葉を借りた「良き隣人」という概念だ。彼は蔵書を、「図書分類法のようなシステマティックなやり方ではなく、哲学の隣に占星術や魔術の文献を、美術を文学や哲学とつなげるなど、分けるというよりは、分けられたものを再び結び合わせるような並べ方をした」といい、山本さんは本を並べるときこの言葉を念頭においている。
 翻訳者である私がここから想起したのは、ヴァルター・ベンヤミンの「翻訳者の使命」の一節だ。翻訳とは元の言語を再現したり模倣したりするものではないと彼は言う。一つの壺がばらばらになったとして、その破片を元通りの形に再建するのが翻訳というものではない。翻訳とは、一つの破片とぴったり合って「調和」し「結びつく」隣の破片を見つけることだとこの大思想家は言うのだ。
 そして、このかけらたちが翻訳という営為を通じて一つの大いなる言語を形成していく。それがベンヤミンの夢見た理想郷だった。これは橋本さん、山本さんの図書館を形作る本の宇宙理論と似ていないだろうか?
 ちなみに、この図書館設計と建設の源流となったものに、金沢工業大学主催〈世界を変えた書物〉展のシリーズがある。もう度肝を抜かれるような歴史的書物の初版本(実物ですよ、実物!)を綺羅星のごとく展示する企画展だ。コペルニクス『天球回転論』、ケプラー『新天文学』、ガリレイ『星界の報告』、ファラデー『電気の実験研究』、アインシュタイン『相対性理論』、湯川秀樹『素粒子の相互作用について』などなど。同展覧会についても橋本さんが写真入りで記事を寄せているのでお楽しみに!

(こうのす・ゆきこ 翻訳家/文芸評論家)

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