書評
2025年1月号掲載
皇室報道の変遷を教えてくれる名著
河西秀哉『皇室とメディア―「権威」と「消費」をめぐる一五〇年史―』(新潮選書)
対象書籍名:『皇室とメディア―「権威」と「消費」をめぐる一五〇年史―』(新潮選書)
対象著者:河西秀哉
対象書籍ISBN:978-4-10-603919-5
「あなたがたにはいろいろと書かれてきたよね。でもあなたがたが私たちの写真を撮ることや、私たちについて書くのをやめたときのほうが正直恐ろしいんだよね」
これはかつてイギリスのチャールズ皇太子(現チャールズ三世国王)が、マスメディアの集いに招かれておこなったスピーチの一節である。チャールズ国王の場合には、まさに生まれたときからつねにメディアの注目の的となり、結婚から離婚へ、さらにはその後の顛末など、話題に事欠かない日々を送られてきたのかもしれない。
英王室にとっては、このようにメディアから書かれる(撮られる)ことと距離を取られることとの「塩梅」は難しいものであるが、それは日本の皇室にとっても同様であろう。
本書は、戦後の日本の皇室、とりわけ平成期の天皇・皇后と皇族の歴史に関わる研究書や啓蒙書を数々ものしてきた第一人者が、ついに「皇室とメディア」について真正面から取り組んだきわめて意欲的な作品である。
著者はまず、「自粛ムード」に包まれた昭和から平成と、「お祭りムード」が拡がっていた平成から令和という二つの代替わりに注目する。ここには天皇の「死と生」の問題だけではなく、これを報じたメディアの関わりが見え隠れする。著者は、明治以降の皇室とメディアとの関係を、「権威」「人間」「消費」という三つの概念をキーワードとして論じていく。それは天皇や皇室を「権威」として扱い一般国民とは異なる遠い存在と見る一方で、普通の国民と同じ「人間」として親近感をもち支持する志向があるとともに、芸能人のように天皇や皇室の動向・話題を「消費」する、まさに三すくみ状態を意味する。
あるときには皇室に「権威」を求め、別の場合にはわれわれと同じ「人間」性を希求し、ときには「消費」する風潮が強まる。これは特に戦後の日本にあてはまる現象であろう。
江戸時代までは京都御所の御簾のなかに閉じこもっていた天皇は、明治になり、国民の前に姿を現すことが求められた。しかし宮内省は当初、メディアを蔑むような態度を取り、新聞も雑誌も天皇に近づけなかった。これが大きく変わっていくのが、裕仁皇太子(のちの昭和天皇)のヨーロッパ訪問時(1921年)からのことである。渡欧に随行した記者たちと皇太子は親しく接する機会も格段に増え、宮内省とメディアの関係も変化していく。
そしてアジア・太平洋戦争の敗戦により、皇室とメディアの関係は親密さを増していく。天皇制存続の危機に瀕し、メディアが苦悩する天皇の姿を報道することで、世の中の天皇への戦争責任追及の動きは和らげられていく。さらに戦後直後に始められた天皇の全国巡幸は、「人間」としての天皇像をアピールするため、戦前に比べて取材制限も大幅に緩和された。しかしそれは天皇や皇室にとっては諸刃の剣となり、昭和天皇の子女の結婚をめぐる報道のあり方には「プライバシーの侵害」とも受け取れる情況が生み出されていく。
それが頂点に達したのが明仁皇太子と正田美智子の結婚にともなう「ミッチー・ブーム」だった。著者が鋭く指摘するとおり、「人間」や「消費」という側面が強くなるほど「権威」の側から天皇制を支えているものには好ましくない状態が生じる。それは大正末期に登場したラジオに加え、戦後の1950年代末に到来したテレビの時代になるとますます強まり、「皇室アルバム」(1959年放送開始)のように天皇や皇族らの活動を淡々と報ずる番組が現れる一方で、皇室はワイドショーにより「消費」されてもいく。
昭和から平成の代替わりは、天皇や皇后がより国民に近づき「国民に寄り添う」皇室像が登場するきっかけとなった。しかしあまりにも国民に近づきすぎて国民に「人間」味を示した皇后に対する「権威」支持者側からのバッシングもメディアの責任となった。他方で、平成の天皇・皇后が自然災害の被災地への訪問と大戦の慰霊の旅という二つの柱を打ち出していく際に、これを積極的に報じて支援したのもまたメディアのなせる業だった。
イギリスでも、「権威」「人間」「消費」の三つの要素は王室と報道のせめぎ合いの中で常に問題視された。しかもメディアが露骨に「王室の支持率」を世論調査で示す点では、日本よりさらにシビアとも考えられる。王室にとって一長一短ともいえるメディアのあり方が本論の冒頭でも紹介したチャールズ国王の言葉にもあらわれている。
本書はこのような「メディアの功罪」を詳細にとらえつつも、明治以降に皇室が歩んだ一五〇年の歴史を新たな角度から論じ、現代までの皇室と報道の関係の変遷を理解する際に強力な道案内役になってくれる名著といえよう。
(きみづか・なおたか 関東学院大学教授)