書評

2025年2月号掲載

抗えぬ愛の深淵と試される覚悟

島本理生『天使は見えないから、描かない』

藤田香織

対象書籍名:『天使は見えないから、描かない』
対象著者:島本理生
対象書籍ISBN:978-4-10-302033-2

 そうだ。本当にそうだと、読みながら何度も息を吐いた。苦しくて喘ぐように読み終えて、心拍数が落ち着いてくると、ひとつ、強い思いが胸に残った。
 私も、こんなふうに生きたい、と。

 本書の主人公・永遠子は、一話目「骨までばらばら」で、結婚三年を迎えている。仕事をしていて、子どもはいない。夫の晴彦は安定した収入があって家事も得意。ふたりは都内に〈そこそこいいマンション〉を共同名義で購入し、〈家具やインテリアにも適度に凝り〉〈衣服にも気を遣って傍目には不足のない暮らしをしている〉。
 社会的に信頼される職業につき、金銭的な余裕があり、互いに干渉し過ぎず適度な距離感を保つ現代的な夫婦関係を続けている永遠子はしかし、冒頭、仕事用のバッグからストロング系缶酎ハイを取り出し、歩きながら飲み干す。自分たちの暮らすマンションへ続く道ではなく、千葉と茨城の県境近くの無人駅から、男の部屋へと続く路上で。
 永遠子は、晴彦には内緒で、というかこの世の誰にも打ち明けることなく、彼女が「遼一さん」と呼ぶ男と関係をもっていた。〈白髪交じりの短髪と、青白く太い首筋と、闇にそこだけ強く光る瞳〉の遼一は、三十三歳の永遠子を「永遠ちゃん」と呼ぶ。
 不穏な気配を放つ永遠子と遼一の関係性は早々には明かされない。一方で、傍から見れば理想的なパートナーである晴彦との些細な、けれど確かな違和感が語られる。表面的に噴出することはなく、おそらく晴彦自身も気付いていない、いくつもの異物を、これまでも永遠子は何くわぬ顔で呑み込んできたのだろう、と想像するのは難くない。
 なのに、いや、案の定というべきか、やがて晴彦はするりと「俺、子供ができたんだ」と永遠子に打ち明ける。「ごめん。だけどやっぱり俺、自分の子供が欲しかった」。
 ひどい話だ。なんだそれ、だ。ごめんで許されると思うなよ? やっぱり浮気してたんだ、そうだよね、そういう態度だったよね、と一読者として呆れもするし憤りもする。けれど言われた永遠子は項垂れる夫を見て「分かった。もう、大丈夫」と応えるのだ。
「私も好きな人がいるから」と。
 永遠子は、自分の「好きな人」が「遼一さん」だとまで明かしてしまうのだが、それを聞いた晴彦は狼狽えた挙句、「気持ち悪いとか、思わないの?」と言い募る。永遠子は自分と遼一の関係が〈世間的には到底看過できないほど気持ち悪い〉ことなど分かっていた。でも、それでも、〈嫌悪を蛇のように丸のみしても〉欲しかったのだ。〈遠い夏の夜の救いと手のひらを〉。
 凄まじい物語だ。
 永遠子はこの後、晴彦と離婚し、二話目の「さよなら、惰性」では成り行きで年下の男と交際してみるものの、ほどなく別れ、一時は距離を置こうとした遼一にますます傾倒していく。遼一もまた言葉に出して多くを語ることはないものの、永遠子への執着を露わにする。お行儀の良い「たしなみ」としての恋愛ではなく、「人として決定的に誤ったという実感」がありながら、抗うことができない愛。永遠子の抱く〈もし私が一緒に地獄を見てほしいと頼んだら、彼は断らないのかもしれない〉という感触が読みすすむうちに恐ろしいほどのリアリティをもって立ち上がってくる。
 一方で、二十五歳で結婚し二人の子をもつ学生時代からの友人・萌や、生命情報工学を専門とする大学の准教授・真紀、屈託を抱えたままの両親との関係性の変化も読ませる。育った環境も現在置かれている立場も違うと理解しているからこそ、安易に触れて欲しくないラインを踏み越えないように気をつけて付き合いを続けてきた萌には「こんなに付き合いが長いのに、私は永遠子の本音を全然知らないんだよ。それっておかしくない?」と問われ、高校時代にはまったく親しくなかったにもかかわらず、遼一との関係を明かした真紀には「人間により近いものが人工的に誕生する時代に、本能の誤作動みたいな愛を選んで茨の道を行く松島さんって、私はある意味すごいと思う」と言われる、その感じがたまらなく巧い。
 誰もが羨む理想の恋愛物語、ではまったくない。
 おそらく、いやいや私はこんな恋愛は絶対に嫌だし、こんなふうには生きたくない、と思う読者もいるだろう。その気持ちは分かるし、それが「普通」で「正しい」のだろう。けれど、本書を読み終えた私は今、地獄を見るほどの覚悟をもって生きたいと願わずにいられない。
 最終話の「ハッピーエンド」というタイトルが沁みる。
 震えるほどの愛の深淵がここにある。

(ふじた・かをり 書評家)

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