書評
2025年2月号掲載
能への気取りない愛情に溢れる一冊
いとうせいこう、ジェイ・ルービン『能十番―新しい能の読み方―』
対象書籍名:『能十番―新しい能の読み方―』
対象著者:いとうせいこう、ジェイ・ルービン
対象書籍ISBN:978-4-10-355911-5
能が古典芸能、古典文学として価値あるものだとの評判は世間に流布している。日本語で書く作家たるもの、自らうなったり舞ったりはせずとも、謡曲に親しみ能楽鑑賞の眼力を涵養していて当然の空気がある。であればこそ、多くが敬して遠ざけていたりするわけだけれど、「新しい能の読み方」と副題の付された本書は、そうした評判や空気を軽々跳ね飛ばし、とにかく能は面白いのだ! とひたすらに鼓吹し、その面白さの中身を深い熱意を以て諸人に伝えるべく編まれた一冊である。
十篇の謡曲の、原文テクストとなる詞章、いとうせいこう氏の手になる現代語訳、それをさらにジェイ・ルービン氏が英訳したものに加えて、いとう氏、ルービン氏、柴田元幸氏による鼎談、いとう氏とゴスペラーズ酒井雄二氏の対談から構成される本書は、まずは謡曲の読んでの面白さに焦点が当てられる。何より注目されるのはいとう氏の現代語訳の独自性だ。通常ならば欄外注で処理すべき事柄をことごとく文中に織り込む方法が珍しい。謡曲は古典作品からの引用が縦横に編み込まれたテクストであるが、引用の糸はすっかり解かれて提示される。
恥づかしや亡き跡に、姿を返す夢のうち、覚むる心は古に、迷ふ雨夜の物語、申さんために魂魄に、うつりかはりて来りたり。
『忠度』の、旅僧の夢中に亡霊が現れる右の場面はこう訳される。
恥ずかしいことだ。討ち死にした場所へ帰り、あなたの夢に姿を見せている。あの世の眠りから覚めたが、心はまだいにしえの中に迷うあまり、雨夜につらつら語る源氏物語の一場面のようにお話し申し上げようと、幽霊になりかわって現れたのだが。
引用元までが親切に明示されるのだ。あるいは原文にはないト書もしばしば書き込まれ、たとえば『邯鄲』の「シテ」盧生登場の場面では、「と、そこに唐団扇と数珠を持った男が近づいてくる」と説明が挿入されて、舞台の構成が瞭然たらしめられる。いちばん特徴的なのは掛け言葉や縁語等のレトリックの処理で、ことごとく「解きほぐす」形にされて、「ああ、こことここが掛け言葉になっているのだな」と、古文に通暁せぬ者でも一読理解できるよう徹底されている。さらには近代演劇とは異質な「声」の構造が解析的に示されたりもする。『忠度』の後半、語りの主体が曖昧になる場面で、「その存在」と云う無粋とも思える主語を導入しさえして、かたりの仕組みを整頓するあたりの手際には度肝を抜かれる。
こうした方針は、いとう氏も対談中で自分の訳は歌詞カードのようなものだと話しているが、謡曲の魅力を伝えることにひたすら奉仕せんとする姿勢からくるものだ。実際評者は本書の現代語訳(と英訳)を参照しつつ原文を読み、するとそれが驚くほどすんなり頭に入る――というか、身に染みつくような親しさの感覚が生じて嬉しかった。そして何より強調すべきは、右のごとく読者の便宜に配慮する方針を貫きながらも、謡曲本文の持つ音楽性を最大限に活かす現代語訳になっている点である。言葉のさりげない選択に訳者の並々ならぬセンスが光り、また考え抜かれた工夫の跡が見える。
このことはルービン氏の英訳にもそのまま云えることで、英訳はよりいっそうの熱がこもり、訳者の能楽への愛が直截に表明されている印象があって好ましい。詞章、現代語訳、英訳の、異なる「声」が折り重なることで、能の魅力が立体的に浮かびあがる仕掛けが本書の特色であるが、装丁も出色である。全頁が和綴ふうの袋綴になっていて、最初手にしたときは、ここまでやらなくても、と思ったが、何度か頁を繰るうちどんどん手に馴染んできて、親密さが濃くなる印象に驚いた。ずっと手元に置き、折にふれ触ってみたくなる一冊、制作に係った人たちの、能への気取りない愛情に溢れる一冊である。
(おくいずみ・ひかる 作家)