書評

2025年2月号掲載

二年間の心のメモ

崎山蒼志『ふと、新世界と繋がって』

崎山蒼志

対象書籍名:『ふと、新世界と繋がって』
対象著者:崎山蒼志
対象書籍ISBN:978-4-10-356061-6

「波」で連載していた『ふと、新世界と繋がって』が一冊の本として刊行されることとなりました。私自身、初の単行本、初のエッセイ集となります。まさか自分が本を出すことになるとは。子どもの頃、一度は抱いた夢であり、それが叶うなんて思いませんでした。カバーデザインが発表され、発売一ヶ月を切る今、この原稿を書きながらも、本が出るんだというその実感が湧きません。
『ふと、新世界と繋がって』は二年に渡り執筆した作品となります。この二年は私にとって未知の体験に溢れていました。コロナ禍だった春に地元・浜松を離れて上京し、慣れない街に一人暮らしをし、二十歳を迎え、コロナ禍の感染対策の制限が緩和され、お酒が飲めるようになり、そうしていつの間にか二十二歳になっていました。
 連載を終えた時、上京し二年間共にあった執筆作業が一旦無くなったことに、少し寂しさを覚えました。それくらい習慣でありましたし、自分の日常の近くにあった連載だったと感じています。
 エッセイというよりも、自分の生きる日常と、その日常の一片から空想する非日常を描いていた今作。私自身、普段からあのドアはどこに繋がっているのだろうと空想するのが好きであったり、また、元々モキュメンタリー作品など現実と虚構の間のような作品に惹かれる節があった為、そういった切り口で書いてみたいという気持ちでスタートした連載でありました。
 今、改めてひとつひとつ読んでいると、ここはもうちょっとこうしたら……など添削したい気持ちも湧きつつ、空想描写とそれに対する思考の部分で、旧懐の気持ちが働いたことに驚きました。連想ゲームの、連想の方に懐かしさを感じているといった具合です。でも現実に、楕円形の看板を見て、ラグビーボールみたいだなと思う、そう思ったその一瞬に、頬に当たった冷たい風であったり、澄み切った冬の空であったり、横切った車の音であったり、今ここで過ごしている事実だったりが凝縮されることだってあると思うのです。
 記憶のスイッチが、その連想にあるような、改めて読んでいてそんな感覚になる話が多々ありました。またその連想のパターンであったり、霧がかる街を見て現象のような音楽をしてみたいと思ったり、大事な心のメモのような言葉がたくさん残してあって、その時その時の自分の思考回路に再び出会うことができました。総じて、空想も交えながら描くことで、この二年間を、主に思考、視点の面から、ファイリングできたのではないかなと思っています。
 もし次にエッセイを書くことができるのであれば、今作とは逆に、具体性に特化して書いてみたいです。「○○駅前のコンビニのミンティアが売り切れていた。常備されている筈のものだと思っていたため、無くなるなんてことがあるんだと驚く」くらい、リアルに淡々としたものです。半径1mの生活を描き、何十年後から振り返ったときにその時のスタンダードを懐かしんだり、時代の移り変わりに困惑したりできるようなものが書いてみたいです。
 ここ最近の自分はというと、音楽制作に勤しんでいました。上手くいくこともあれば、あーでもないこーでもないと苦戦の強いられる日もありますが、それなりに過ごしています。小さな出来事としましては、花屋さんに寄った際にハバネロが売っていて、思いつきで購入してみました。ですが実は、それはハバネロではなくジョロキアというハバネロの約二倍の辛さを誇る代物で、水をやり育ててはみるものの、日に日に赤さを艶光りさせていくそのジョロキアに、畏怖の感情すら覚えていました。思い立って、食べてみることにしました。ガーリックパスタに本当に少量入れてみたのですが、それでも悶絶してしまうほど辛くなってしまい、ジョロキアの恐ろしさを知るのでした。少し経ってから辛くなってくる訳ではなく、口に入れて即辛いので、ジョロキアは速いです。速い辛さ。それも猛烈な辛さ。ハードコア、スピードコアだと思います。あまりお勧めはできません。
 それでも家に植物があることは良いことで、部屋が一気に有機的になった気がしました。一月に引越しをしますので、新居には植物がいくつか置けたらいいなと思います。連載でも度々出てきたこの街とこの部屋を引っ越すことは名残惜しさがありますが、新しい街もそれはそれは楽しみです。寂しくなったら『ふと、新世界と繋がって』をちらっと読んで、この街での日々を思い出してみようと思います。それでは!

(さきやま・そうし シンガー・ソングライター)

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