インタビュー
2025年2月号掲載
事実の怖さをフィクションで超える
前川 裕『嗤う被告人』
対象書籍名:『嗤う被告人』
対象著者:前川 裕
対象書籍ISBN:978-4-10-335196-2
今回の作品が「紀州のドン・ファン」事件をヒントにしているのは、隠しようのない事実です。あの事件に私が興味を持ったのは、一つは法律的な側面でした。私は大学時代は法学部で、刑法のゼミに属していたんです。当時のゼミ生の半数が裁判官や弁護士になっています。私はその中でいかにも不勉強でしたが、リーガルマインドというか、刑法の持つ基本精神は学んだつもりでいるんですね。法律の条文は、言葉が難しいのは事実ですが、その内容は、意外にほとんど我々の常識と一致しています。
あの事件では、五十五歳下の若妻が被害者に何らかの方法で、非常に苦いといわれる覚醒剤を飲ませて殺害したとされているわけです。その具体的な方法が分からなくても、状況証拠を積み上げていけば立証は可能だというのが、検察側の主張なわけですよね。でも私はきわめて気が小さいので、もし自分がこの被告人と同じ立場に立たされて、殺害の具体的な方法も分かっていないのに、お前が犯人だと言われたら、たまったものじゃないと考えるわけです。
もう一つは、覚醒剤を飲ませるという方法自体が、殺人の手段として有効なのか。そういう疑問を私は持っています。覚醒剤って、私はもちろん使ったことはないのですが(笑)、普通は炙りか注射だと言われていますよね。だから、飲んだ時の致死量と言っても、なかなかはっきりしないのではないでしょうか。どれだけ飲んだら死ぬか分からないものを、果たして殺人の手段として使うだろうかという疑問が根本的にあるわけです。実際の裁判でも、検察側はカプセル数個で致死量だとしているのに対して、弁護側は三十個とか言っている。これだけ意見が割れること自体が問題で、そんな当てにならないもので、人を殺そうとするでしょうか。しかも、弁護側が指摘していますが、被告人のスマホに「完全犯罪」等と検索した履歴は残っていたのに、「覚醒剤 致死量」はなかった。これも不自然な話です。
ところが、テレビの情報番組やワイドショーでは、現役の弁護士でも、有罪の可能性が高いという論調の人が何人かいて、私は驚いたんです。中には、六・四の割合で有罪だとか言う人もいて、六・四なら無罪にすべきなのでは……。疑わしきは被告人の利益に、というのが刑事裁判の鉄則ですから。それなのに有罪と考えるのは、彼女がパパ活をしていて、財産目当てで被害者に近づいたからですよね。それが道徳的に許せないというわけです。でも、刑法というのは、全ての不道徳な行為を刑罰の対象にしているわけではありません。可罰性のある行為を特に取り出しているのが刑法です。
この作品は、実際の判決が出るずっと前に書き上げていました。現実に無罪になるだろうと予想していたわけでは、必ずしもないのですが、無罪になるべきだとは思っていました。実際には検察が控訴しましたが、二審で有罪へ引っくり返すのは、なかなか難しいのではないでしょうか。検察的な言い方をすれば、「筋の悪い事件」なんです。
ただ、被告人が無罪だ、無実だと書くだけでは、ミステリーとして成立しない。そこで事件の背景を考えた時、富の偏在と不平等性ということを感じたわけです。それは実際の事件でもそうで、被告人は結婚が金目当てだったと堂々と認めていますよね。偏在する富を、不道徳な行為を犯してでも掴み取ろうとする人もいれば、貧困に耐えている人もいる。それは対立というより、背景において通底しているとも言えます。被告人はその行為によって、富の偏在への異議申し立てをしているようにも見える。それをさらに発展させて、拘置所内から被告人が新人弁護士を操っていく話にしたらどうかと考えたわけです。『嗤う被告人』というタイトルには、そうした意味合いを込めました。
デビュー作『クリーピー』もそうでしたが、私は現実に起こった事件を参考にすることが少なくない。創作より、事実の得体の知れなさの方が怖いと思っているからです。フィクションには作者の意図が働きますが、論理的な説明ができないような現実は、そうした意図がありえないだけに気味が悪い。もっとも、『クリーピー』は北九州監禁殺人事件がモデルと言われますが、本当はそうではなくて、千葉市若葉区で起きた夫婦行方不明事件なんです。現時点でも未解決の、得体の知れない事件です。
ノンフィクション・ノベルということなら、トルーマン・カポーティの『冷血』と佐木隆三の『復讐するは我にあり』に衝撃を受けました。理屈が合わない、理屈を超えた部分も含めて、事実の怖さをフィクションで超えるのは至難の業です。私が書いているのはミステリーですから、理屈を合わせて、解決をつけないといけない。そうでないと、すぐに読者にも編集者にも文句を言われます(笑)。解決をつけるのは不本意というか、ジレンマも感じますが、現実の先をどう書いていくか、毎回苦労しています。(談)
(まえかわ・ゆたか 作家)