対談・鼎談

2025年2月号掲載

燃え殻『それでも日々はつづくから』文庫化記念

書いても成仏しないけど

燃え殻 × 穂村 弘

数々の連載を抱えるふたりが語り合うエッセイの急所、別世界への憧れ、許せないやつ、ラッキーモテ……

対象書籍名:『それでも日々はつづくから』
対象著者:燃え殻
対象書籍ISBN:978-4-10-100355-9

穂村 燃え殻さんは1行で世界を書き換えることができる方だと思うんです。今回文庫化された『それでも日々はつづくから』の「魂がゾクッとする」っていうエッセイ。そこに「『大浴場』と書かれた暖簾をくぐると、そこは小浴場だった」という文章が出てきますが、全く同じ体験をした記憶がなくても、その場の様子が鮮明によみがえってくる。そういう1行があることで、一つの世界が可視化される体験がたくさんありました。

燃え殻 嬉しいです。僕はものすごい読書家というわけではないのですが、穂村さんのエッセイは若いころから好きで、ずっと読んでいたので。

穂村 今回、対談相手に僕の名前を出してくださったとか。

燃え殻 お会いして訊いてみたかったことがあったんです。自分もエッセイを書くようになってから、穂村さんの書くものには演出ってどのくらい入っているのかな、と気になるようになって。僕は小説だとかエッセイだとかよく分からないままに書き始めたので、特に最初の頃はリアルなエピソードをぎゅうぎゅうに詰めこんでしまったんですが……。

穂村 以前はでたらめばかりでしたよ。フィクションですらないような、言葉遊びの感覚で書いていました。でも、だんだん自信がなくなってきた。今は、現実に見たものの向こう側にもう一つの世界を探したいという気持ちが強くなっています。

燃え殻 演出どころか、完全な物語もあったんですね。

穂村 短歌の世界もそうですが、現実のほうが思いがけないってことは、昔から知っていたつもりなんですけどね。たぶん体質なんでしょう。以前から燃え殻さんがお好きだとおっしゃっている大槻ケンヂさんや中島らもさんも、現実世界との接触感があまりよくない方たちで、別世界への憧れが常に流れている気がしますよね。異界への扉は見つからないんだけど、いつもそれを無意識に探しているイメージがある。燃え殻さんからも似た印象を受けました。

燃え殻 本当ですか。

穂村 はい。あとは、すぐには正解がわからない感じを書くのがものすごくうまい。最近は「おまえに正解を教えてやる」という論調が多いでしょう。「これは日本人の9割が知らない。そしてお前はその9割だぞ。そのまま生きていていいのか?」みたいなね。そういうのばかりだから、燃え殻さんの文章はほっとします。

「嫌なやつ」を書けますか?

穂村 燃え殻さんとはシンクロする部分を感じる一方で、やはり「燃え殻」というペンネームには驚きました。最初知った時は、人名だと気づかなかったくらい。ただこれは、個人差というより世代差ですね。その後、phaさんだとかこだまさんだとか続々と人名らしくない名前の人がネットの世界から出てきて……新世代感があります。

燃え殻 ミュージシャンでも顔を出さない方が増えてきている。そんな感じでだんだん名前も消えていくんですかね。

穂村 そうかも、順番にね。昔は作家の住所も、本の奥付に載っていましたから。住所が消えて、性別も個人情報としての意味合いが強くなって。名前さえ曖昧になっていくのかもしれません。あと自分との違いと言えば、燃え殻さんはけっこう「嫌なやつ」のことを書きますよね。しかもかなり実在感のある。

燃え殻 書きたくなりますね。

穂村 僕は書けないんですよ。それはたぶん相手のことを許してないから。本当に憎んでいると、書けない。

燃え殻 許しているのかなぁ。あまり自覚はないんですが。

穂村 読んでいて「自分もダメだから、ダメなやつも受け入れる」というお互いさま感があるような。

燃え殻 そういった気持ちはあるかもしれません。

穂村 だから、燃え殻さんはけっこう心が広いんじゃないかと疑っていて。この本のなかに、東芝EMIからデビューするから辞める、と宣言する先輩の話がありましたよね。

燃え殻 「自称ミュージシャン」ですね。

穂村 そう。嘘をつく人の話。彼がお別れの日にそうあいさつしたら、みんなも泣き笑いしているような感じになったっていうのが、すごくハイレベルな話に感じて。みんな嘘だって分かってるわけじゃないですか。でもある種許してるし、共感もしてるし、頑張れよ感も加わっている。他にも……この話(「バニラ♪ バニラ♪ バニラ♪ バニラ♪」)に出てくる人も嫌だったな。「いまのお前には絶対にわからないよ。どうしてわからないか、わかる?」って説教する制作会社の社長。でもふつうにいるよね、こういう人。

燃え殻 ふつうにいます。しかも、偉くなったりするんですよ。以前、編集者に「書いたら成仏しますから」って言われたことがあるんですが、地縛霊みたいになっちゃって、成仏なんか全くしない(笑)。

穂村 その場でやり返すという方法は見つからないんですか?

燃え殻 怒りの感情が出てくるのが遅いんですよ。その場では「あ、はい」とか言って聞いちゃって、帰ってお風呂入ってシャワー浴びている最中に「あれはないだろう」とか思い出すんですけど。まぁでもその時全裸なんで、怒る相手も話す相手もいない。タイムラグがすごいんですよ。

穂村 わかります。それで昔、嫌いな人のことを「指を鳴らしたらあいつが消えればいいのに」って言ったら、友達に「それは人間として最悪だよ」って諭されたんです。「それくらいなら刃物でそいつを刺したほうがいい」って。なんとなく言わんとしていることは分かるんですけど……。指を鳴らして消すというのは相手が何も知らないうちにできてしまいますが、刃物で刺すのは一応人間として対峙しなければできない行為ですから。でも、刺すのって大変ですよね?

燃え殻 ……後でめちゃくちゃ怒られますね。

穂村 そう。法廷で「指をパチンと鳴らして消すよりは最悪じゃないんですよ!」とどれだけ主張しても、社会的には理解されないですよね。だけど倫理的には友達が言うことも「確かにな」と思う。

燃え殻 そうですね。ちゃんと相手に向かって怒って、そのあと怒りの感情を忘れられる人のほうが生きやすそうです。僕は、エッセイに書いてもずーっと覚えてますから(笑)。

ラッキーモテは難易度が高い

穂村 もうひとつ、燃え殻さんの文章を読んでいて勇気あるなと思うのは、けっこうモテた話を書く。尊敬します。

燃え殻 大槻さんも書いていたので、そういうエピソードも書くものだと思ってて。「全部書こう!」と。

穂村弘

穂村 みんなつい回避してしまうところですよ。しかも結構、ラッキーみたいなモテを書きますよね。電車の中で、手すりを持っていたら、女性にぴたっと手をくっつけられた話とか(「なんならこのまま箱根湯本まで」)、そんなこと起こる? みたいな出来事がたくさん出てきます。

燃え殻 起こるんですよ! そのまま書いているのに「これ嘘だろ」って言われる。でもみんな言わないだけで、こういうこと実はけっこうありますよね?

穂村 ないですよ!

燃え殻

燃え殻 そうかなぁ。穂村さん、書いていないだけじゃないですか? だって、絶対モテるでしょう。

穂村 うーん。それは違う気がします。「いいひと」みたいにふるまって好かれることは簡単なんですよ。講演だとか、サイン会だとか、自分を歓迎してくれる場所でニコニコしているなんて問題なくできるでしょう? でも、緊急時……突発的に誰かを助けたりとかはできない。昔、冬の札幌に恋人と行ったとき、彼女が滑って転んだんですよ。僕は咄嗟に「キャッ」と言って、繋いでた手を離しちゃったんです。そしたら彼女が「なんか分かった気がする」って。その状態ではもうどんな言い訳もだめじゃないですか。だからね……あれ、何の話をしてました?

燃え殻 ラッキーモテの話です(笑)。

穂村 それだ。だからまぁモテないんです。ラッキーモテは、僕には難易度が高い。そういえば燃え殻さんは、モテの話を書いても、炎上しないですね。

燃え殻 そういう話はネットでは書かないんですよ。

穂村 紙だと燃えない?

燃え殻 そう。紙は不燃。ネットは可燃です。

その場の空気感を作りだす

穂村 星新一さんは、内容を読者に最大限伝えるために決めていたことが多かったようです。麻雀を知らないひとが読むと意味が分からなくなるから麻雀は出さないとか。「ダイヤルを回す」だと電話のシステムが変わった時に通じなくなるから「電話をかける」と書き直すだとか。

燃え殻 僕は逆に、固有名詞をどんどん出したいです。古くなっていくのも、またいいなと思ってしまう。

穂村 その時代の空気感を大事にしたいということですね。

燃え殻 最初に『ボクたちはみんな大人になれなかった』をネットで出したときに、ラブホテルで有線から流れてる曲がレベッカだったんですよ。でも、本にするときに宇多田ヒカルに変えたんです。そのほうが、絵が見えると思って。

穂村 どんな固有名詞にするかによって感触が変わりますね。

燃え殻 そこが僕はちょっと面白いなって思うポイントです。

穂村 固有名詞以外でも、燃え殻さんは空気感を作りだすのが上手いですよね。先ほど話に出た「自称ミュージシャン」もそうです。ストーリーだけではなくて、場の空気も一緒に読んでいるような気持ちになる。冷静に考えれば何も泣くことはないし、いい話でもないんだけど……。でも、全体としてすごく「真実」という感じがするし、ぐるっとまわって入ってくるものがある。それはきっと、燃え殻さんが書いてくれなければ消えてしまうゾーンなんだろうと思います。

(もえがら 作家)
(ほむら・ひろし 歌人)

最新の対談・鼎談

ページの先頭へ