書評
2025年3月号掲載
三島初心者から愛読者までお薦めできる
平野啓一郎、井上隆史、芸術新潮編集部 編『21世紀のための三島由紀夫入門』(とんぼの本)
対象書籍名:『21世紀のための三島由紀夫入門』
対象著者:平野啓一郎、井上隆史、芸術新潮編集部 編
対象書籍ISBN:978-4-10-602308-8
生誕百年を迎えた三島由紀夫について語るにあたって、その衝撃的な自決から論じるのは、いささか陳腐なものになったと言えるだろう。死は誰にも訪れるものであるし、所詮生の最後の瞬間に過ぎない。
三島由紀夫は作家であり、その多岐にわたる作品とそれと伴走した生涯こそが重要だ。三島は小説、戯曲、評論、随筆のみならず、映画や写真集や雑誌といったメディアでも華麗なる足跡を残したスターだった。生誕百年を迎えるにあたって、これから三島に入門する読者に最も必要なのは、その取り沙汰されやすい最期ではなく、三島の芸術の魅力をわかりやすく提示することだろう。
平野啓一郎・井上隆史・芸術新潮編集部編『21世紀のための三島由紀夫入門』は、そんな三島の魅力を満載した正に三島由紀夫入門にうってつけの書だ。「芸術新潮」2020年12月号の三島由紀夫特集をもとに、一部を増補して単行本化したものとなっている。
三島は反時代という姿勢を取りながらも、多岐にわたるジャンルの夥しい同時代人と共振した。本書にはその共振した同時代人である歌手・美輪明宏、美術家・横尾忠則、詩人・高橋睦郎、歌舞伎役者・坂東玉三郎のインタビューが収録されている。美輪、横尾、高橋、玉三郎による三島由紀夫は、三島の多面性を証明するかの如く、それぞれかなり違う三島の実像を提示しているが、特に注目に値するのは、高橋睦郎のインタビューだ。
高橋睦郎は三島自決後からいついかなる時でも、ある時は苛烈な批判に見舞われながらも、文学の世界で三島を(その作品に対しては手厳しい批評も行いつつ)擁護し続けた、三島文学の正統的な後継者と言えるべき存在だが、その理由は高橋氏と交友がある評者の私にも今ひとつわからなかった。だが、このインタビューで高橋睦郎は何故三島の後継者たり得たか率直に語っている。「亡くなる前にはあちこちに『高橋を頼む』と言って回ってくれていたらしい。後でいろんな人からそれを聞いて驚きました」。
高橋睦郎の作品は三島と比肩するかそれ以上の高い文学性を持つが、三島からその才能を高く評価され、高橋本人があずかり知らぬところで、後継者指名がなされていたことを知って、非常に納得するものがあった。しかし、この後継者指名によって、高橋がそれから不在の三島のプレッシャーに苦しんだことは想像に難くない。本書でこのことを知ることが出来ただけでも、私にとっては発見だった。
三島の生涯を辿る井上隆史の「昭和と格闘した男 三島由紀夫」は「ですます調」のコンパクトな伝記にもかかわらず、内容が濃縮され、知的にスリリングだ。「地球の旅人・三島由紀夫」も同じ井上の筆によるもの。井上隆史は近刊の『大江健三郎論 怪物作家の「本当ノ事」』でもそうだったが、穏やかで丁寧な文体と相反し、その水面下では苛烈な文章家で、その筆には鬼気迫るものがある。井上の伝記と論考は読み応えたっぷりだ。
平野啓一郎による三島の代表作15作品を解説した「平野啓一郎と三島文学の森を歩く」は、三島の作品と生涯を作家論的に重ね合わせながら、明晰に精緻に紹介しており、さすが『三島由紀夫論』の著者だと唸らざるを得ない。平野は井上とは対照的に理知的な賢人といった趣きで、巧みに三島と距離を取りつつ、初心者にもわかりやすくその作品の魅力を伝えている。
その他にも本書は映画俳優としての三島を主題とした四方田犬彦の論考「スクリーンの上でいつも彼は血を流して死んだ 俳優・三島由紀夫考」も収録されている。
それだけではない。本書には夥しい三島の写真が収録されており、写真家・細江英公によって撮影された写真集『薔薇刑』からの写真や東大全共闘との討論に挑む様子や楯の会のメンバーと撮影したものばかりではなく、若き日の自宅でのリラックスしたポートレイト、笑顔で猫と戯れる三島、現在も残る大田区馬込の邸宅での三島、楽しそうにお神輿を担ぐ三島、美輪明宏とパーティで歌う三島、映画「人斬り」のスチールなどまで貴重な写真が満載だ。特に美輪明宏と歌う写真は、三島の愛読者の私でも本書で初めて見た。三島由紀夫という遠い時代の人間と思われかねない人物が、非常に身近に感じられる心憎い編集だ。
そして『金閣寺』や『豊饒の海』の生原稿の写真も収録されているが、原稿類の写真で一番驚いたのは高橋睦郎の『眠りと犯しと落下と』に三島が寄せた跋だった。この跋は『高橋睦郎詩集』からも省かれてしまっているし、評者も初版本に印刷されたものしか見たことがない。大変貴重なものであると同時に、三島が高橋に寄せる期待の大きさが窺える。
このようにマニアックな写真まで収録されていることから、本書は三島由紀夫入門にうってつけであるばかりではなく、三島マニアにもお薦めできる。三島が生誕百年を迎える今年、是非手に取って欲しい。
(かわもと・なお 作家/評論家)