書評
2025年3月号掲載
明日を迎えるための切実な思い
柚月裕子『逃亡者は北へ向かう』
対象書籍名:『逃亡者は北へ向かう』
対象著者:柚月裕子
対象書籍ISBN:978-4-10-356131-6
東北の大震災から数日後、福島県で起きたふたつの殺人事件。警察の調べで容疑者として浮かび上がったのは一人の青年だ。足取りを追ったところ、どうやら彼は北へと向かっている様子。彼はなぜ殺人事件を起こし、なんのためにどこへ行こうとしているのか。
逃げる青年と追う警察、そして事件と関わることとなる男の視点で構成されるのが、柚月裕子の新作長篇『逃亡者は北へ向かう』である。県名以外の地名は架空のものがほとんどで、震災も東日本大震災とは明記されないが、読めばあの年、あの地域を誰もが思い浮かべるだろう。実際にあの震災で家族を失った著者の、今作にこめた思いとは。
視点人物は三人いる。
一人は真柴亮。生まれて間もない頃から父はおらず、幼い頃に母を亡くし、育ててくれた祖父も他界。二十二歳の現在、天涯孤独の身で福島県さつき市の工場に勤務していた彼は、同僚と半グレとのケンカに巻き込まれ、震災当日は検察に勾留されていた。混乱のなかで処分保留となり釈放された彼は、誤って人を殺めてしまう。逃亡の途中、彼を待ち受けていたのは思いがけない出会いだ。
二人目は陣内康介。さつき東署刑事第一課に所属する警部補だ。真柴がケンカに巻き込まれた際、事情聴取を行った刑事である。震災で幼い娘が行方不明となるが、真柴の事件が発生し捜査のために娘を捜すこともままならず、一緒に捜してほしいと願う妻からは責め立てられ続けている。
もう一人は村木圭祐。彼は岩手県宮前市で父親とともに漁業を営んでいる。震災当日、彼が津波に備えて船を沖に出している間に、家族は流された。後日、妻や親の遺体は見つけたものの、幼い一人息子、直人だけが見つからない。圭祐は被災地を歩き、懸命に息子を探している。
震災の混乱のなかで逃亡する者と追跡する者。彼らは移動先で、さまざまな景色、さまざまな人々に遭遇する。すべてが流された海辺の街だけでなく、津波の被害がなかった山間部でも人々の生活は様変わりしており、あの頃、東北でどんな混乱が起きていたのか、彼らの目を通して読者は改めて知ることとなる。
胸を突くのは凄惨な光景だけでなく、登場人物たちの複雑な心理である。警察では、身内に亡くなった人や行方不明者がいる刑事も、捜査に全力で取り組んでいる。また、家族が無事だった刑事は罪悪感を抱いている。そうした立場の違いから、共同で捜査にあたっている人間同士の間に、ふと訪れる気まずい瞬間が生々しい。
さまざまな立場におかれているのは、もちろん警察関係者だけではない。避難所や遺体安置所の場面でも、異なる立場の人々の一挙手一投足の描写に現実感が籠っている。避難所でそれまで助け合っていた人々の間で、ふとしたことから諍いが生じていく様子などはとても苦しい。悲嘆にくれる人々を後にした時、彼らを案じる同僚に向って陣内が漏らす、「俺たちは、なにもできない」「俺たちだけじゃない。誰もなにもできない。自分で泣き止むしかないんだ」という言葉が重い。
誰もが、ぎりぎりの精神状態のなかで、前に進もうとしている。実はそれは、真柴も同じだ。生まれた時から不遇に見舞われたこの青年は、それでも実直に生きてきた。彼の事情を知れば知るほど、この殺人犯に同情してしまう読者は多いだろう。彼が罪を犯さずにすんだ世界線もあったのではないか。そのためには、何があればよかったのか。周囲からの思いやりのある言動や援助はもちろん必要だっただろうが、でも、それだけではない。終盤に真柴が自省する言葉のひとつひとつが突き刺さる。陣内の言葉を借りて表現するならば、彼自身にも、もう少し「自分で泣き止む力」のようなものがあったのなら、状況は違ったのではないか、と思った。
終盤、「もう誰にも死んでほしくない」という言葉が繰り返され心に響くが、その思いに象徴されるような、誰かに手を差し伸べる思い、そして本人の「自分で泣き止む力」。そのふたつがあってこそ、人は生き延びていけるのではないか。それは震災時のような極限状態に限らず、いまこの瞬間の日常を生きる人たちにも当てはまるように思う。みなで前に進み、明日を迎えるための、切実な思いのこもったサスペンス作品である。
(たきい・あさよ ライター)