書評
2025年4月号掲載
日本語文学の負うもの
高村 薫『墳墓記』
対象書籍名:『墳墓記』
対象著者:高村薫
対象書籍ISBN:978-4-10-378411-1
人は亡くなると七七日は中有を彷徨っているという。どうしてか九九でいいたがるのが古典のおもしろいところで、いわゆる四十九日である。それどころか瀕死の状態から息を吹き返した人の体験談によると、三途の川の際まで行っただの、向こうから死んだはずの誰かが手招きしていただの、地獄めぐりしてきただのとあるから、どうも生と死のあいだにはそのどちらにも属さない領域があるらしい。そんなあわいを描き尽くしたのが『墳墓記』である。しかし「墳墓」なのである。墓といえば死んだあとに葬られる場所。それで自然と折口信夫『死者の書』が想起される。『死者の書』は二上山の墳墓に横たわる大津皇子が長い眠りから覚めたところからはじまる小説である。
一方、高村薫『墳墓記』は、身投げして病院にかつぎこまれ、治療のために管につながれているらしい男の思惟である。男の脳裏にも真っ先に高松塚古墳の玄武が浮かぶのだが、「薄皮一枚でまだ生につながっている男」はすぐさま踵を返し、裏返しの世界へと導かれていく。股の間から逆さに覗き見ると異界が見えるという民間信仰がある。ここでは江戸時代の金沢の俳人堀麦水が加賀、越中、能登の加越能三州の不思議な話をまとめた『三州奇談』巻八におさめられた「唐島の異観」の挿話が引かれている。氷見の唐島で股覗きをしてみたら、唐子髷に唐装束の異人がやってきて「ハンメリ、ハンメリ」と言ったというのである。
主人公の男の素性はそうした想念のなかで早々にあきらかになっていく。男は能楽師の家に生まれ、法廷の速記者として四十年を勤めた。戦争帰りの父達夫への嫌悪から能楽師の道は選ばなかった。男の祖父は獅噛の面をつけ能装束をまとい首を縊って自死している。男の娘は大学三年の春にマンションの屋上から飛び降りて死んだ。七十歳を迎えた男も自死を図り、いま死にきれずに生死の境をさまよっている。かつて父達夫は呪詛のようにこう言った。
これだけは忘れなや。君は生物学的にはぼくの血を引いているんや、何を学ぼうが、何をして働こうが、君の本性は親父やぼくと一緒や。女たらしで好き者で、物狂い――。ヒヒ、ヒヒ、ヒヒ。
この小説はいわば男の父殺しの夢想でもある。あるいは父との和解のための彷徨が描かれているのかもしれない。死を前にすると走馬灯のように人生がめぐると聞くが、この男の想念はもっと壮大である。太古の昔から近過去へと縦横自在に駆けめぐり、『新猿楽記』の狂騒は、フォリー・ベルジェールやムーラン・ド・ラ・ギャレットの混沌に重ねられ、能の足さばきは、いつしか「ボレロ」を踊るジョルジュ・ドンの姿にずらされていく。
夢かうつつか生死のあわいのような感覚は夢野久作の『ドグラ・マグラ』あるいは内田百閒「冥途」などにも描かれてきたが、この小説では一千年の時を超えて古典語と交錯するのである。そのなかで男は名高い歌詠み藤原定家と行きあう。応保2(1162)年から仁治2(1241)年までの八十歳を生きた定家は、『平家物語』に描かれた源平の騒乱の時代から承久の乱を経て、平安貴族の文学的豊饒から武士の世へと移り変わっていく時代を宮廷の文人として生き抜いた。承久の乱のあおりをくって逼塞していたときには、『古今和歌集』『源氏物語』などの大切な古典文献の書写を精力的に行なっている。その意味で彼は古典語の世界をいまにつなぎとめた人である。するとこれは日本文学史を渉猟する道程なのかもしれない。『日本書紀』『愚管抄』『吾妻鏡』『承久記』などの歴史書から『宇津保物語』『源氏物語』『平家物語』などが現れては消えていく。中にこんな一節がある。
この千年、自分たち日本人は裁判所のしがない速記官ですら陰に陽に源氏物語や平家物語や白居易の感傷を生きており、谷崎も日活ロマンポルノもけっしてマルキ・ド・サドのようにはゆかない。センチメンタリズムの細胞は殿上人や平家の公達や孤独な詩人の全身をめぐりながら臓器を浸潤し、やがて芽をふいて死に至る退廃の病を発症するか、自己陶酔の毒をすみずみにばらまくだけで目的も勝算もない自爆テロリストを生み出すか。
主人公がみせてくれたのは、日本文学を引き受けたとたんに引きずりだされてくるセンチメンタリズムだったのではないか。能から逃げた男は最期に父の能の真髄をようやく理解する。それはきっといま語られる日本語が負う古典文学の騒めきを一身に受けた現代文学を理解することなのだろう。
(きむら・さえこ 日本文学研究者/津田塾大学教授)