書評

2025年4月号掲載

小説家、セザンヌに質問する

原田マハ『原田マハのポスト印象派物語』(とんぼの本)

保坂健二朗

対象書籍名:『原田マハのポスト印象派物語』
対象著者:原田マハ
対象書籍ISBN:978-4-10-602309-5

 この本には、原田マハによる連作仕立ての短編が6つ(プロローグ+5編)収められている。その設定はシンプル。まず読者の前に登場するのはふたりで、ひとりは原田がモデルと思しき〈私〉、そしてもうひとりは、画家のエミール・ベルナールである。このふたりが、5人の画家、つまりファン・ゴッホ、ゴーギャン、セリュジエ、ルドン、そしてセザンヌに会いにいく。
 実際、ベルナールとこれら5人の画家たちは、交流なり接点なりがあった。有名なのは、日本でも書簡集が出ているファン・ゴッホとの関係だろう。そんなベルナールに、ポスト印象派を代表する5人の画家達を横串的につないでいく役割を担わせるという設定は実に見事だ。
 でも、ベルナールを登場させたのは、便利な存在だったからという理由だけではないだろう。実は意外なことに、彼の回顧展は、これまで日本の美術館で開催されていない。ベルナールがまだ生きていた1936年に、上野の東京府美術館で国民美術協会の主催により、エミール・ベルナールの名前を冠した展覧会が開催されているが、それとて実態は「エミール・ベルナール 仏蘭西近代絵画展」だったようだ。
 不当な評価を受けていると言って良いベルナール。そんな彼を5人の画家をともに訪れる相棒に仕立て上げることで、読者にその重要性を再認識させようとしたのではないか。美術史や美術館の業界では、目下「再評価」がトレンドになっているが、こうした、小説(家)だからこそできる再評価というのもなかなか興味深い手法である。
 そして、このベルナールに加えて、この本が再評価を試みようとしているに違いないのがポール・セリュジエだ。他の4人に比べたら間違いなくマイナーなこの画家に一章を割いていることに、意図がないわけがない。ナビ派で言えば、モーリス・ドニやピエール・ボナールのほうが、特に日本でははるかに知名度があるのである。にもかかわらずセリュジエを選んだのはなぜか。
 もちろんセリュジエは、全く無名な画家というわけではない。彼は、ポスト印象派のなかでも重要なグループのひとつであるナビ派の誕生を促したと言える作品、すなわち《護符(タリスマン)、愛の森》を描いた人物として知られている。でも、多くの美術史の本では、セリュジエといっても、この《護符》だけが紹介されるのがほとんど。だから、どうしたってセリュジエは「一発屋の芸人」のように思えてしまう(該当する芸人さん、すみません)。しかも《護符》にしたところで、ゴーギャンやファン・ゴッホの代表作に比べたら、掲載図版が小さくなっているケースがほとんどなのだ。
 けれどもこの本では違う。セリュジエは、ゴーギャンやセザンヌと並んで一章を与えられいくつもの作品が紹介される。そして《護符》は、本の中のそこここに登場する。目次で小さめに。本編では1頁を使って堂々と。ポン=タヴェンを紹介する頁でも、その絵がモチーフにしているところの愛の森、つまり、アヴェン川とその畔の森を写した写真とともに掲載している。セリュジエが描いた、奇跡とも言える絵画を、読者の目になんとかして焼き付けようとする意図は明確だ。
 ちなみに、パリのオルセー美術館では、この《護符》の制作背景と、セリュジエの作品群における位置づけ、そして作品の素材についての分析とともに、ナビ派の仲間たちとの関係を再検証した展覧会が2019年に開催されている。パリにもアパルトマンを持ち、世界中の展覧会を見てまわっている原田のこと、この展覧会を知らなかったはずはない。着実に進んでいるセリュジエの再評価の成果を、本書はさりげなく吸収しつつ、日本のアートファンに広めようとしているのだろう。
 ところで、私もこのように美術についてものを書くこともある身なのだが、本書を読んでいてぐっときた場所がある。それは、原田=〈私〉が自分の考えを、セザンヌ本人に対してぶつけるシーンだ。設定上、〈私〉の姿はベルナール以外には見えないことになっているので、彼の言葉を介してという形ではあるが、エクス=アン=プロヴァンスで山を描き続ける晩年の画家に対して、次のように問いかけるのである。

あなたの絵。気持ちのいい重さと、美しい強さと、抗い難い磁力がある。あなたはどのような技法と思想で、誰も見たことのない自分だけの世界を描き出すに至ったのでしょうか?

 原田はここで、ヴィンケルマンがギリシャ彫刻に対して「高貴なる単純さと静かなる偉大さ」と述べたことを思い出させもする見事な言い回しで、セザンヌの作品の特質をまずは言い表す。その上で、それはどのようにして生まれたのだと問いかける。フィクションの上とはいえ、勇気の要る行為だ。しかも小説家である原田は、この問いへの答えを、自ら綴らなければならないのである。
 それがどのようなものであったかは、ぜひ本書でご確認いただきたい。その際、このセザンヌのところで紹介されているアトリエを写したのが鈴木理策で、先述した「愛の森」を捉えたのが小野祐次だったりするように、本書に収められている写真自体が、絵画と写真との関係を深く掘り下げてきたアーティストによって撮影されていることもどうぞお見逃しなく。

(ほさか・けんじろう 滋賀県立美術館館長)

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