書評
2025年4月号掲載
今月の新潮文庫
沈黙に耳をすます
ワジディ・ムアワッド、大林 薫 訳『灼熱の魂』
対象書籍名:『灼熱の魂』
対象著者:ワジディ・ムアワッド/大林薫 訳
対象書籍ISBN:978-4-10-240781-3
海外の現代作家による戯曲が新潮文庫から発売されるなんて大事件でしょ! と思うのは私だけだろうか。『灼熱の魂』は、1968年生まれ、レバノン出身のカナダの劇作家ワジディ・ムアワッドが書いた戯曲である。
この作品は、2010年にドゥニ・ヴィルヌーヴ監督によって映画化され、アカデミー外国語映画賞にノミネート。日本では2009年に劇団ピープルシアターが「焼け焦げるたましい」として初演後、2014年と2017年に、世田谷パブリックシアター企画制作による「炎 アンサンディ」として上演された。2014年の舞台は演出家の上村聡史が読売演劇大賞の最優秀演出家賞を含め数々の賞を受賞、2017年の舞台は主演の麻実れいが菊田一夫演劇賞大賞を受賞している。また、この作品はムアワッドによる《約束の血》四部作の第二部にあたるが、四部作は登場人物がそれぞれ異なり、単独の作品としても成立している。第一部『岸 リトラル』(原作邦題は『沿岸 頼むから静かに死んでくれ』)、第三部『森 フォレ』は、どちらも演出家の上村聡史によって舞台化されており(第四部『天空』は日本では未上演)、これらの優れた作品を通して彼の名を記憶している演劇ファンも多いだろう。
そういう華々しい前情報を知ったとしても、「レバノン出身の劇作家が書いた戯曲」というだけでとっつきにくい感じがする人もいるかもしれない。しかしこの作品は、ネット上で毎日他人の言葉を大量に浴び続け、誹謗中傷をする人やされる人を見続けて少なからず疲れている私たちに、「沈黙」の深さを教えてくれる。
この作品の大まかなストーリーは、双子の姉弟が母の遺言によって見知らぬ父と兄を捜し出すというものである。そしてまた、母が死ぬ前の五年間、ひと言も話さなくなってしまったその理由をつきとめる話でもある。
母は祖国から逃れて別の国で姉弟を育てており、その祖国では隣人、親子、兄弟姉妹同士が反目し、殺し合う内戦があったことが徐々に明らかになる。私たちはまず、その内戦のすさまじさに驚く。が、そんななかでも、人々の間で愛情や友情、希望がきらめいていたことにも驚く。
これらのことは、生前の母によって語られるのではなく、母の死後、姉弟が行動を起こすことによって初めてもたらされる事実である。姉弟は「知らないほうが幸せ」と言って真実から目をそらしたりはせず、自らの意思で母の沈黙の奥にある言葉を聴こうと行動する。その結果、最後の最後に素晴らしいギフトを受け取る。
母の沈黙に隠された複雑で激しい感情を知れば知るほど、わかったことがある。本当に大切なことは容易に語られるものではなく、ましてやネット上に書かれることもない。沈黙の中にこそ、ある。それが知りたければ、相手が話してくれるのを待つのではなく、死んだからといってあきらめるのでもなく、自らが行動しなければ、決して手に入らない。だから、何ひとつ動くことなく他人の言葉をかすめ取って書かれた言葉など、沈黙という灼熱の炎の前ではただの燃えカスなのだから、そんなものにかかずらうことはないのだ。
私は映画も観たが、観た後、かなりつらい気持ちになった。戯曲では、映画で描かれなかった出来事や心情が誠実で繊細な言葉で語られているので、映画を観た人はこの戯曲も読んでみてほしい。
とはいえ、映画も戯曲も、この姉弟が最後に知った事実は同じであり、衝撃的で耐えがたいものである。けれども、その事実を「あり得ない」「遠い国の出来事」「神話のようだ」と言って自分と切り離すのはまちがっている。
我が父母から始まり、祖父母、曾祖父母、高祖父母……と遡ってやがて祖先にたどりつく、自分と血のつながっている人たちのなかで、生きのびるために人を殺し、凌辱したことのある人、あるいは殺されたり、凌辱された人は一人もいない、と誰が断言できようか。
私たちはみな、かつて、殺し、殺され、凌辱し、凌辱され、それでも美しくおだやかに愛し合ったご先祖様たちがいた結果、この時代に生を享けているのである。そして将来、私たちがまた耐えがたい結果を生む状況に置かれることは決してないと誰が言えようか。
この戯曲を読むことは、共感などという生暖かいものを蹴飛ばして、五年間我が子に声をかけることができなかった女性の沈黙に正面から向き合う体験である。長文の解説も読みごたえがある。
(たなか・ちょうこ 小説家)