書評

2025年5月号掲載

「世界があこがれる日本」をいかにしてつくるか

原 丈人/聞き手・奥野武範『富める者だけの資本主義に反旗を翻す』

落合陽一

対象書籍名:『富める者だけの資本主義に反旗を翻す』
対象著者:原丈人/著、 奥野武範/聞き手
対象書籍ISBN:978-4-10-356261-0

 ある時、原さんから横浜にある原鉄道模型博物館のパンフレットをもらった。どうして原さんが館長をしているのかずっと謎だったが、この本を読んで理由がわかった。原さんの父親が世界的な鉄道模型の制作者である故・原信太郎さんだったのだ。
 本書は、原さんが自らの半生を振り返りながら、「世界があこがれる日本をつくる」にはどうしたらいいか、自身の考えを述べたものだ。原さんと話しているとおもしろいし、熱くてフェアな人だとは思っていたが、ここまで独自の視点と信念を持っていることに驚いた。
 僕が認識していた原さんの経歴は、1952年に生まれ、大学卒業後に考古学を研究し、27歳でスタンフォード大の大学院に入学。シリコンバレーで起業し、(ご自身はそう呼ばれるのを好まないのだけれど)ベンチャーキャピタリストになった。以来、世界中でテクノロジー企業を経営しながら各国の政府委員を歴任し、政策提言を行ってきた。
 だが本書には、学生時代に冷戦下の東欧を旅したことや、アジアやアフリカで実践した貧困改善プロジェクトなど、驚くような話がたくさん出てくる。
 コクヨの専務だった父の信太郎さんは、数多くの新技術を発明し、戦後の同社の躍進を支えた。幼い頃、原さんがお父さんに仕事の内容を尋ねると、技術の力で工場のケガ人をゼロにすることだと答えたという。その時の感動が、テクノロジーの力でより良い社会を実現したいという原さんの原点になったのだ。
 とても原さんらしいのは、本書の中で何度も出てくる「マネーゲームが嫌いだ」という話だ。
 一般的にベンチャーキャピタリストといえば、ベンチャー企業に投資し、上場した際に株の売却益を得る。その時のリターンが大きいほど良いとする人が非常に多い。
 しかし原さんの考えは違う。企業は社会の公器であり、世の中に貢献することが最優先。企業の利益は、従業員、取引先、株主といったすべての関係者(=原さんは「社中」と呼ぶ)で分かち合うべきであり、ベンチャー企業だからといって必ずしも上場する必要はないと考える。
 そんな原さんだから、世界を席巻するアメリカ主導の「株主資本主義」が大いに問題だという。株主偏重の利益配分は貧富の格差を拡大し、社会の分断を生むからだ。
 そこで原さんが提唱しているのが、本書でも紹介されている「公益資本主義」だ。「公益資本主義」は、企業が「社中」に利益を分配することで「健康で教育を受けた豊かな中間層」を生むことを目的としている。民主主義とは、「豊かな中間層」がいてはじめて成り立つシステムだからだ。実際、シリコンバレーで働いていた原さんが30年近く前に危惧した通り、アメリカでは格差が広がり、社会が分断してしまったし、日本もまったく他人事ではない。
 そもそも、「公益」あるいは「公共」という考え方を忘れると、社会はうまく回らなくなる。新陳代謝を促す上で市場原理は重要だが、たとえば「教育」と「ビジネス」では、それぞれに働く力学はまったく異なる。僕は大学で教えながらベンチャー企業の経営もしているが、両方の肌感覚を知る目で見ても、原さんの主張はもっともだと思う。
 奴隷貿易のエピソードも象徴的だ。
 現代において、歴史上もっとも非人道的な行いのひとつとされている奴隷貿易は、かつて莫大な利益の出る「あこがれのビジネス」だった。イギリスのリバプールに残る当時の建物には、黒人奴隷のレリーフが誇らしげにあしらわれているという。原さんには、その奴隷商人の姿が、マネーゲームによって利益を貪る現代の「ヘッジファンド」や「アクティビスト」と重なって見える。200年後の人類は彼らに対して、「なんて非人道的な儲け方をしていたんだ」とあきれるに違いないというが、僕もまったく同感だ。
 世界中でテクノロジー企業を経営してきた原さんが、〈インターネットでやりとりできるのは「データ」だけ〉と述べていることも本質的だ。
 僕も「筋肉の知能が重要」とずっと考えてきた。人間が頭脳で推論能力を駆使してきたのは、たかだかこの10万年か20万年に過ぎない。本来、人間が得意だったのは、踊ったり、歌ったりといった身体性の部分だ。AIは吹奏楽の音色をスピーカーから鳴らすことはできても、楽器を吹くことはできない。僕自身、研究室の学生に「AIが持っていないデータを得るには、足で稼ぐしかない」と言っている。原さんが大切にする「現地に足を運び五感で感じること」は、AIの進化が著しい今こそ重要なのだ。
 この本には、原さんの思想と冒険人生譚がとても読みやすく書かれているから、若い人に薦めたい。原さんが言うように、ぜひ未知の場所に飛び込んで、想像もしていなかったような経験をしてほしい。そこで得たものが、不確実性の時代を生きる上ではいちばん大事だからだ。本書を手に取った人の中から、どんな分野でもいいから、世界でいちばんを目指す人が出てくれたらいいと思う。

(おちあい・よういち メディアアーティスト)

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