書評

2025年5月号掲載

百田尚樹『モンゴル人の物語 第一巻─チンギス・カン─』刊行記念

一モンゴル帝国史研究者の、著名作家との出会い

赤坂恒明

史上最大の帝国を巡る一大巨編がついに幕を開けた。監修者が明かす今作刊行までの裏話、その画期性と意義とは。

対象書籍名:『モンゴル人の物語 第一巻─チンギス・カン─』
対象著者:百田尚樹
対象書籍ISBN:978-4-10-336417-7

 新型コロナ・ウイルスの感染拡大が止まらず、各地で「七夕祭り」等の催しの中止が相次いでいた2022年7月、新潮社の編集者から電子メールが届きました。
「百田尚樹さんが、かねてからモンゴル帝国のことをいつか書いてみたいとおっしゃっていて、コツコツと日本語で読める資料を集めて読み込まれていたのですが、最近、ついに書き出そうかという話をされています。ついては、今年『集史』の「部族篇」の日本語訳を監修された赤坂先生とぜひ一度お会いしてお話しすることはできないかと熱望されています」。
 すなわち監修の依頼です。モンゴル帝国史研究を専門とする私は、かつて「日本経済新聞」連載の堺屋太一先生の小説『世界を創った男 チンギス・ハン』の監修をした過去もあり、監修それ自体は問題ありません。しかし実のところ、全く乗り気になれませんでした。
 そもそも私は、政治的信条において百田氏とは水と油のような関係です。また、社会観においても隔たりが大きいです。
 さらに、当時私は、中華人民共和国 内モンゴル自治区の内モンゴル大学に在籍していました。もっとも、現地に滞在していたわけではなく、2020年の旧正月休暇で一時帰国している間に悪疫大流行となり、日本滞在のままオンライン授業を行なっていました。しかし、あちらの政府から危険人物視されているであろう著名作家との関わりを察知されますと、厄介なこととなりそうです。
「ヒャクタナオキ氏でなくS氏ならば、喜んで引き受けるのに」
 それはさておき、メールには「百田尚樹さん」と書かれております。著名作家にもかかわらず「さん」付けです。百田氏は「先生」づけを他人に強いる人でないことは確実なようです。また、担当編集者との関係性が対等に近い様子も窺われます。その言動から、世上では必ずしも好意的な評判ばかりとはいえない――というよりもむしろ、私自身の社会的周辺では悪評がはなはだ高い――とはいえ、世評と“実物”とは意外と異なっているのかも知れません。
 ここに、「とりあえず話だけは聞いてみてもよいだろう」という気になりました。もっとも、後日聞いたところでは、今どきは著名作家でも「先生」と呼ばれたがる人はまずいないとのことですが、その時は知る由もありません。
 かくて、8月10日、神楽坂の新潮社にて会合する運びと相成りました。
 次に私は、知人の出版関係者に聞き合わせをしてみました。関係者の間では、様々な情報が出版社の枠を超えて行き交っており、悪しき評判は直ちに共有されます。
 たまたま最初に尋ねたのが偶然にも、百田氏が今ほどの有名人となる以前に直接関係を持たれていた方でした。曰く。「基本的にいわゆる『悪人』ではなく、『大阪の気のいいおっちゃん』ではある」との由。
 なるほど、「大阪の気のいいおっちゃん」ですか……と予備知識を仕入れた所で、当日は、きちんとネクタイを締めて、いかにも学者然として参上しました。
 と言いたいところですが、せっかくの上京ということで大学図書館に立ち寄ったところ、あに図らんや、図書の借り出しに異様に時間がかかり、予定時間に二分ほど遅れてしまいました。夏の暑さの中、大いに急いだので全身汗まみれで服がベットリと濡れて変色した状態で新潮社に立ち現われました。すでに百田氏は着座していました。初対面にして堂々の遅刻に必ずや内心不愉快のことと思いましたが、後に聞いたところでは、氏は「このくらいのことでは絶対に怒らない」とのことです。
 百田氏は偉丈夫で、立ったままでの初対面でしたら威圧感を受けたかも知れません。しかし、氏からは、他人に害を与えるような“黒オーラ”とでも言えばよいのでしょうか、そういう「気」がまったく感じられません。そして、互いに話をしてみると、意外にも話の波長が合います。氏には傲慢なところが微塵もなく、私には不愉快な印象を受けることが一切ありませんでした。ともかく、事務的な問題を含め、さまざまな相談をして、予定時間よりもやや延びて、会合は無事に終わりました。
 こうして、世上ではウイルスの変異株により感染が急拡大しつつある中、百田氏の著作への監修の仕事が始まることとなりました。
 さて、監修の具体的な作業は、直接お会いして質問に応え、原稿に目を通して問題点を指摘することと、自宅に送られてきた原稿・校正に朱筆を入れることでした。また、モンゴル帝国の建設者であるチンギス・ハン(本名テムジン)にかかわる諸事件・年代を整理して提供しました。
 執筆に必要な原典史料のうち、モンゴル文の『モンゴル秘史(元朝秘史)』と漢文史料『元史』「太祖本紀」には日本語訳注があります。また、漢文史料『聖武親征録』は、近年、中国で刊行された校訂本を使うことができます。しかし、ペルシア文のラシード・ウッディーン編『集史』「モンゴル史」は日本語全訳がありません。その一部分である「部族篇」は前述のとおり日本語訳が刊行されていますが、今作の執筆において最重要の「チンギス・ハン紀」は未刊行です。
 この「部族篇」の日本語訳(2022年、風間書房刊)は、古代突厥帝国に詳しいロシア語翻訳者の金山あゆみ氏がソ連邦科学アカデミー露語本から翻訳した重訳ですが、私が提供したペルシア語からの直訳をも参照し、私自身も監修を行ない、原典からの直訳に準じたものです。一方、『集史』「チンギス・ハン紀」は、私も自身の必要のため部分的には翻訳していますが(未公開)、未訳部分も少なくありません。
 そこで百田氏は、『集史』「チンギス・ハン紀」の露訳本からの日本語全訳を金山あゆみ氏に依頼しました。翻訳に要した経費は新潮社の負担ではなく、ご自身の支払いです。執筆に向けての妥協なき姿勢には、金山氏も私も、たいへんに感銘を受けました。この資金提供によって翻訳された『集史』「チンギス・ハン紀」の日本語全訳は、近日中に公開されることでしょう。これは少なからぬ読者を喜ばせると同時に、日本における研究の発展にも大いに寄与するはずです(ちなみに百田氏は「京大数理解析研究基金」への一千万円の寄付でも知られ、学術の発展に貢献しているという側面があります)。
 それはさておき、意外に思われたのは、百田氏の著作が小説ではなく史伝であったことです。文学者が歴史人物の伝記を著すことは、近代以降の日本でも、森鴎外以来の伝統があります。そもそも史学者の著述では、想像の翼を拡げることは少なく、しぜん筆致は抑制的となります。しかし文学者には、そのような制約はありません。百田氏の著作においても、かなり大胆な推理が開陳されています。とはいえ、推定は推定であると文中で断わってあるので、読者は史実と推測とを混同することなく読み進めることができます。
 もちろん、監修者たる私とは解釈が異なる場面もいくつかあります。それは、互いに矛盾する複数の史料の記載のうち、どちらを選択するか、という問題です。例えば、テムジンが敵対勢力タイチュート氏族の有力者タルグタイ・キリルトクに捕えられた事件は、『モンゴル秘史』によると彼の青少年期の出来事ですが、『集史』では中年期の事件とされています。私は後者が正しいと考えますが、百田氏は前者を採用しています。また、宿敵メルキト部族に捕えられたボルテ(テムジンの妻)が夫のもとに戻るのは、『モンゴル秘史』では軍事作戦による奪還ですが、『集史』ではケレイト部族長オン・ハン(トオリル)のもとからの送還とされています。これも百田氏は前者を採用しました。このような例は他にもありますが、それらは見解の相違ですので、どちらが誤り、ということではありません。
 また、百田氏は史料を深く読み込んでおり、私が気付かなかった問題点をも指摘しています。例えば、テムジンが妻ボルテをメルキト部族に奪われた際、テムジンの母ホエルンは娘テムルン(テムジンの妹)を「懐に抱いた」と『モンゴル秘史』に記されています。しかし、同史料によるとテムルンはテムジンが九歳の時に「乳母車の中にいた」とあり、年齢差は十歳未満です。ということは、当時テムルンが母の懐に抱かれるほど幼いわけがありません。もとより『モンゴル秘史』の記載には誤りが少なくないため私は気にも留めませんでしたが、百田氏は、ホエルンに抱かれたのはテムルンではなく、テムジンの長女コジン=ベキであろう、と看破しました。これには私も「さすが」と唸りました。
 また、百田氏は、チンギス・ハン(テムジン)が卓絶したカリスマ性を帯びるに至ったのは、中国北部の金国(金朝)に対して大勝利を収めたことによる、と推測しています。私は、「コイテンの戦い」において、敵軍の呪術(牛馬の結石を使う「ジャダ術」)によって引き起こされた(と認識された)大暴風雨がテムジン側でなく敵軍側を襲ったことにより、テムジンが天の加護を得ていると信じられてカリスマ化した、と考えておりますが、氏の見解にも十二分に説得力があると思います。
 このように、百田氏の著作には、研究者にも無視しえない内容が含まれています。
 以上のとおり、この監修作業では私自身も学ぶところが多く、はなはだ有意義であると同時に、たいへんに面白かったです(とはいえ水は水、油は油のままですが)。
 なお、監修作業の合間には雑談もありました。「おっちゃん」的なきわどい話題も出ましたが、対面でその場の空気を共有している上では、特に気になることもありませんでした。とはいえ、この調子では、やはり百田氏に「失言」とされる言動が少なくないのもムベなるかな、と思われました。
 そのような「失言」に対する、わが知人の同業大学教授(女性)の所感、「あいた口がふさがりませんが、まあ、失言の多い人って、根っからの『悪い』人ではないのかもしれませんね」には、私も同意いたします。
 ともあれ、この監修作業は、モンゴル帝国崩壊が執筆されるまで続くことでしょう。それに並行して、『集史』の日本語訳も、さらに進むに相違ありません。百田氏の筆先から、どのような新見解が飛び出してくるか、読者と共に期待する次第です。

(あかさか・つねあき モンゴル帝国史研究者/元 内モンゴル大学教授)

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