書評

2025年5月号掲載

私の好きな新潮文庫

手書きPOPと本屋大賞

内田剛

対象書籍名:『白い犬とワルツを』/『夏の騎士』/『ハリネズミは月を見上げる』
対象著者:テリー・ケイ、兼武 進 訳/百田尚樹/あさのあつこ
対象書籍ISBN:978-4-10-249702-9/978-4-10-120194-8/978-4-10-134034-0

 30年勤務した老舗書店を退職し、フリーで本の紹介をするようになって早いもので5年経つ。半世紀以上も生きてきて、本当にピンチの連続であった。大きな溝を乗り越えれば、高い壁が待ち受けている。心が折れそうになったことも数知れない。しかし悩める時には、いつも本があり、本に関わる人たちがいた。
 僕が毎日手書きPOPを書くようになったのは、『白い犬とワルツを』がきっかけである。約25年前、千葉のデパート内書店に勤務していた僕は、あまりの激務に仕事を辞めたいと思い悩んでいた。書店に就職して約10年。それまでほとんど小説を読んでこなかったのだが、この店舗で初めて文芸書を担当し、その奥深さに打ちのめされて、人生を一変させるような物語を、読者に伝えることのできる書店の仕事の尊さにも気づかされた。

テリー・ケイ/著、兼武進/訳『白い犬とワルツを』書影

 しかしどんなに売りたい本があれども、百貨店内の書店のルールとして手書きPOPは「見栄えが悪い」という理由でNGだった。そんな時に、千葉からほど近い津田沼の書店で『白い犬とワルツを』が手書きPOPで大ヒットしているという話題が、TVの情報番組で取り上げられた。決して派手ではないが、『白い犬とワルツを』の深淵なる感動を「肌が粟立つ」と優しい文体で表現した名作POPだ。すると昨日まで認められなかった手書きPOPを「今日からは積極的に書くように」という奇跡的な通達が、百貨店側から出たのである。
 本当に何が幸いするか分からない。思いがけない手書きPOPブームによって日々の仕事が激変。「手書き」の力にも魅了されて、これまでに書いたPOPは6000枚以上に。縁あって『POP王の本!』を出版し、現在は全国学校図書館POPコンテストのアドバイザーでもあり、「目指せPOP甲子園!」を合言葉に、各地でPOPワークショップを実施するようにもなった。『白い犬とワルツを』はまさに人生を変えた1冊なのである。
 POPを書き始めた時期に書店仲間たちと本屋大賞設立に関われたことも大きな転機であった。素晴らしい本を1冊でも多く、一人でもたくさんの読者に伝えたい。たった1枚のPOPも日本最大の書店のお祭りである本屋大賞も「志」はまったく同じである。しかし今年で22回目を迎える本屋大賞が、これほど長く続くことになろうとは、始めた当初はまったく想像すらできなかった。本を愛する数人の仲間たちで始めた賞が、いまやなくてはならない存在にまで成長した。その理由はこの賞に関わる多くの方々の情熱の賜物であると同時に、第1回『博士の愛した数式』を筆頭に『夜のピクニック』、『ゴールデンスランバー』といった、読んで絶対に損はさせない名作たちの力も大きい。
 文芸書を読み始めて日の浅い僕が本屋大賞実行委員になることによって、多くの作家たちとも巡りあうことができた。
 第10回本屋大賞を受賞した百田尚樹さんから『夏の騎士』の文庫解説の執筆をご指名いただけたことも書店員時代の最高の思い出である。『夏の騎士』は少年時代を鮮やかに再現した青春のバイブル。仲間たちとの冒険の日々がこの上なく清々しい。理不尽な時代を生き抜くための「勇気」を教えてくれる。百田さんに「いい解説やなぁ」と褒めていただいた文庫本は一生の宝物である。

百田尚樹『夏の騎士』書影

 そして忘れてはならないのは『ハリネズミは月を見上げる』だ。POPを通じて学校や図書館との縁が強まっている僕にとって、いま最も関わりたいのは若い読者と作り手(著者)をつなげることである。昨年、POPの授業で15年来のお付き合いのある東京・世田谷の学校にあさのあつこ先生をお連れする機会に恵まれた。講堂には『ハリネズミは月を見上げる』の主人公と同世代の200名の生徒が集まり熱気に包まれた。あさの先生と生徒たちとは、祖母と孫ほどの世代差がある。しかしいい作家、作品は時代も場所も軽々と超える。

あさのあつこ『ハリネズミは月を見上げる』書影

 あさの先生が子どもに寄り添う作品を書き続けられるのは、決して綺麗ごとばかりではない少女時代の記憶を消し去らず、ずっと心の中で持ち続けているからだ。ハリネズミの針は人を傷つけることもあれば、自分を守る武器にもなる。話を聞き終えた生徒たちの目の輝きを見て、「本と人」の力には無限の可能性があると確信した。子どもたちにとって好きな作家との出会いは一生の宝物になるはずだ。そして生涯、「本と人」を信じて生きていくだろう。こうした生身の体験を通じて、これからの読者を育てていきたい、改めてそう思った。

(うちだ・たけし ブックジャーナリスト)

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