書評

2025年5月号掲載

今月の新潮文庫

プロヴィデンスへの偏愛ぶりを示す、記念碑的な作品

H・P・ラヴクラフト/南條竹則 編訳『チャールズ・デクスター・ウォード事件』

東雅夫

対象書籍名:『チャールズ・デクスター・ウォード事件』
対象著者:H・P・ラヴクラフト/南條竹則 編訳
対象書籍ISBN:978-4-10-240144-6

淀みの川に架かりたる石の橋梁、
 家々は丘の斜面に立ち並び、
路地裏には神秘と夢が
 立ち籠める霊に満つる。

小路の険しき階段は蔓に覆われ、
 麓近くに取り残されし
僅かな野辺の黄昏に、
 小さき玻璃の窓々に明かり輝く。

我がプロヴィデンスよ、汝が金色の
 風見を回すは如何なる風の軍団か。

 これは、その名も「プロヴィデンス」と題されたラヴクラフトの詩の一節です(小林勇次訳/国書刊行会版『定本ラヴクラフト全集7―II』所収)
 申すまでもなく、米国ニューイングランドの主要都市の一つである「プロヴィデンス」は、ラヴクラフトにとって最愛の生まれ故郷であり、何処にもまして慕わしく懐かしい場所でした。
 そして、四巻目となる南條竹則編訳のラヴクラフト傑作集の「目玉」というべき大長篇小説「チャールズ・デクスター・ウォード事件」が、取りも直さずこのプロヴィデンスへの作者の偏愛ぶりを如実に示す、記念碑的な作品となっていることもまた、わざわざ指摘するまでもないことかと思われます。作中で執拗に繰り返される「ウォード Ward」という主人公のファミリー・ネームが、ラヴクラフトのファースト・ネームである「ハワード Howard」に酷似していることは明らかであり、作者が本書の主人公を、自らの分身と見做していた証しでもありましょう。
 ただ、クトゥルー神話の主要作を網羅した過去の三冊とは、今回はいささか趣きが異なります。畏友・南條自身の言葉を「編訳者解説」から引いてみましょう。
〈今回は“神話”と関係のない「潜み棲む恐怖」と「レッド・フックの怪」を読者に御紹介したいので、“神話”にこだわらない傑作選として編んでみました〉〈お読みになればわかる通り、これらは先祖の悪行の呪い、近親相姦、退化、食人、人身供犠といったおぞましい題材を扱い、主人公たちは、この作者の多くの作品の主人公と同様、怪異に引き寄せられて地面の下へ潜って行きます。そこに待ち受けているのはただただ真っ黒に塗り込められた心の闇の世界で、地獄小説とでも呼びたくなるくらいです〉
 いやはや、かくも簡潔に、かつ大胆に、ラヴクラフトが描き出す怪奇世界の特質をズバリ言い当てた文章も稀有に属すると言えましょうか。とりわけ、作中人物たちが決まって地下世界に潜り込む特質を「地獄小説」の一語で剔抉してみせるあたりは、さすがHPLのスペシャリスト、と呼ぶほかはありません(私などはゆくりなくも、この言葉から、「小栗判官」など近世日本における地獄めぐり物語の系譜を連想させられました)。
 もちろん本巻の主眼となる「壁の中の鼠」や「チャールズ・デクスター・ウォード事件」といった傑作群を、南條によって細かい配慮の施された正確かつ清新な新訳で読めるのも大いなる愉しみと言わねばなりません。
 とりわけ後者については、〈ラヴクラフトが残した三つの長篇の一つである本作は1927年に書かれましたが、作者の生前は日の目を見ず、没後「ウィアード・テイルズ」誌に初めて発表されました。発表後の評価は高く、ラヴクラフト作品の中でも屈指の傑作と考える人が少なくありません。たしかに、緊密な構成といい細部に傾けた蘊蓄といい、凝りに凝った力作であります〉と編訳者自身も述べているとおり、間然するところなき名作の名に値するでしょう。
 ちなみに先年、ラヴクラフトの故郷プロヴィデンスを訪れた際、私は本篇序盤の重要な舞台の一つとなった高台の公園(=通称プロスペクト・テラス)に、独りたたずむ機会を得ました。プロヴィデンス市街を見晴るかすその地は、おぞましき魔術や惨劇の舞台になったとは信じられないほど美しく、秋の陽に輝いていたことを懐かしく思い出します。
 坂の多い街だなあ……同地を散策しながら、ラヴクラフトの詩篇にもあるとおり、そんな感慨を催したことを記憶しています。
〈私はプロヴィデンスであり、プロヴィデンスこそ私そのもの――両者が分かちがたく結びついたまま、時の流れを潜りぬけてゆく〉
 その墓碑にも刻まれている、このシンボリックな言葉は、彼が程なく執筆に取りかかることとなる代表作の核心を、いち早く先取りしているように感じられます。同篇においても、故郷プロヴィデンスを愛する主人公は、別の存在と分かちがたく結びついたまま時の流れを潜りぬけてしまうのですから!

(ひがし・まさお 文芸評論家/アンソロジスト)

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