書評

2025年6月号掲載

揺るぎない孤独な瞳

川本三郎『荷風の昭和』前篇・後篇(新潮選書)

小川洋子

対象書籍名:『荷風の昭和 前篇─関東大震災から日米開戦まで─』/『荷風の昭和 後篇─偏奇館焼亡から最期の日まで─』
対象著者:川本三郎
対象書籍ISBN:978-4-10-603927-0/978-4-10-603928-7

 今、長い旅を終えた余韻に浸っている。起伏に富んだ昭和の時代を、一歩一歩、荷風の足跡をたどって歩く旅だった。その足は、大地の底に堆積する町の時間を汲み上げ、そこに潜む無名の人々の沈黙に声を与える。耳を澄ませているうち、自然と荷風文学の奥深いところから染み出してくる、人間愛の哀しみと温かさに触れることができる。もちろん、川本三郎さんの導きがあってこそ、である。
 小説を書く時、荷風にとって大事なのは、人間より先に場所だった。そのために、観察者の目を持って、町を歩き続けた。『断腸亭日乗』をはじめとする多くの作品に残る、観察者としての視点を、川本さんは丹念に引き出し、瞳に映った風景の裏側にまで心を寄せている。
 例えば、『ぼく東綺譚』の舞台となった私娼街、玉の井。世間では「魔窟」「私娼窟」と呼ばれ、「最低の遊び場」とみなされていたが、荷風にとっては「迷宮ラビラント」であった。川本さんはそこに、現実の向こう側にある幻影を見通す、観察者の視線の透徹さを指摘する。揺るぎない孤独な瞳を持っているからこそ、私娼たちの優しいもの哀しさを文学に昇華させることができた。
 あるいは、昭和二十年三月十日の東京大空襲で、麻布の偏奇館が消失し、炎の中、逃げ惑うさまを記した文章の冷静さ。長い『断腸亭日乗』の中でも最も劇的な日でありながら、決してここだけが突出していない点に、川本さんは注目している。どんな非常事態にあっても、観察者の自分を見失っていない。文章の力で生き抜く文学者の凄まじさが、伝わってくる。
 焼け出されて以降、東中野、明石、岡山へと移動する先々で、不運にも、ことごとく空襲に遭うのだが、必ず、手を差しのべてくれる他人との出会いがある。実社会から遠ざかり、自ら余所者としての生き方を選んだにもかかわらず、窮地に陥って一人ではどうしようもなくなった時、どこからともなく偶然が訪れる。特に印象深いのは、市井の女性陣たちだ。大げさではない、しかし大事な親切をさり気なく見せてくれる彼女たちは、豊かな生命力にあふれている。荷風が徹底的に嫌った軍国主義の正反対にある、人間らしい尊さが、結局は彼を救うことになった。
 戦後、友人の相磯凌霜が、岡山の話題になると荷風は眼に涙を浮かべ、いつまでもいつまでも話をされた、と書き残していると知り、岡山出身の私としては尚更胸が熱くなる。このエピソードを知れば、私娼や踊子など、社会の枠からこぼれ落ちそうな場所で懸命に生きる人々にこそ、深く思いを寄せる荷風の文学の源に触れた気持ちになれる。無名な人間の偉大さを、尊敬することができる作家であった証と言えるだろう。
 川本さんはもう一つ、現代の日本社会で問題となっている独居老人の在り方について、荷風が図らずも有意義な示唆となっていることに、気づかせてくれる。まず、しっかりした経済観念を持っていた。お金の管理という現実的な事務能力に長けていたために、思う存分文学に没頭できた。そして、自分で望み、選んだ孤独を信じきり、愚痴をこぼさなかった。と同時に、他者に対し、惜しみない愛情を注いだ。自分の名誉などとは無関係に、浅草の踊子たちを慈しみ、親切に生活の世話をしてくれる人々への感謝を忘れなかった。相手を排除するのではなく、こちらから心を注ぐことで、孤独の純度がより高まっているように思える。
 昭和三年九月十四日、荷風は吾妻橋から蒸気船に乗る。その船の中で、身なりの貧しい魚売りの老爺が、行商人から絵本を買う場面に出会う。家で待っている孫への土産だろうか、と思う。
“……何となく言ひ知れぬ心地したり”
 思ったより魚がよく売れたらしい。その分で可愛い孫のために絵本を買ってやる。孫は喜んで狭い部屋を飛び回り、おじいさんの膝にのって一緒に絵本をめくる。台所からは晩御飯の支度をする音が聞こえている。
 荷風の瞳に浮かぶ、そんなささやかな幸福の場面を、川本さんが両手ですくい上げる。二重の視線に包まれた風景は時代の地層の中で、宝石のような結晶になってゆく。
 死後までも、親身に寄り添ってくれる川本さんと出会えた荷風は、羨ましいほどに幸せな作家だ。

(おがわ・ようこ 作家)

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