書評
2025年6月号掲載
想像力の底が抜けた
阿部智里『皇后の碧』
対象書籍名:『皇后の碧』
対象著者:阿部智里
対象書籍ISBN:978-4-10-355951-1
書評や文庫の解説を頼まれると、本や校正のゲラを読むときに、考えたり思いついたりしたことを赤のボールペンで余白に書きこむようにしている。『皇后の碧』を読み終えて、最初から赤字を追いながらメモを取っていたら、二五六ページに、「底抜けの想像力!」という書きこみがあった。そうだ、ナオミがアダに食料貯蔵庫の秘密を明かす場面を読んだとき、背筋が凍った。予想もしなかった展開と、突然の斬新なイメージに、体が震えた。一瞬、これは恐怖小説なのかと思ったほどだ。いままで多くのファンタジーを読み、かなりの数のファンタジーを訳してきたが、こんな経験は初めてだった。
1966年にC・S・ルイスの『ライオンと魔女』が、1972年にトールキンの『旅の仲間』が翻訳出版されて、ファンタジーという言葉が日本でも使われるようになるのだが、長い間、日本にファンタジーは根づかないといわれた。しかし1980年代後半以降、荻原規子、小野不由美、上橋菜穂子、乾石智子といったファンタジー作家が続々と誕生してきた。そして、2012年、阿部智里が『烏に単は似合わない』でデビュー。ほぼ毎年、「八咫烏シリーズ」は新作が出て、新しい読者を開拓している。そんな作者の新作はこれまでの日本のファンタジーだけでなく、本人のファンタジーをも一蹴するような気力と迫力に満ちた新感覚の作品で、思い切り暴力的な作品に仕上がっている。
暴力的といっても、戦いや争いを中心に話が展開するわけではなく、残酷な描写があるわけでもない。そもそも物語は孤児になった主人公のナオミが孔雀王ノアに拾われて「鳥籠の宮」で厚遇を受けるところから始まる。
ノアはとても美しい精霊で、「神々を模した彫刻を思わせる白皙は、ろうたけた女のよう。なめらかな素肌には、こめかみから頭部にかけて、青から緑へと光沢の変わる羽毛と冠羽が生えている。その背中には豪奢な翼があり、尾羽はあまりに長く、地面に引きずりそうなほどである。」
そして五年後、ノアの上位に立つ蜻蛉帝シリウスが「大蜻蛉の化け物――千丈やんま」を悠々と乗りこなして鳥籠の宮を訪れる。豪華な装飾のほどこされた黒い鎧を身に纏い、「背丈に見合う長さの透き通った翅は、まるで水晶で出来たナイフのように鋭く両脇に突き出ている。鎧のいたるところに惜しみなく黄金と金剛石があしらわれ、蜻蛉の頭を模した兜の複眼部分には、特別巨大な青玉が二つも嵌っていた。」
シリウスはナオミの緑の目に心をひかれ、妾の候補として居城「巣の宮」に連れていく。
悪名高い巨漢、シリウスもナオミに対してはとても優しい。皇后イリス、第一寵姫フレイヤ、第二寵姫ティアに面会する機会を与えただけでなく、宮内を自由に見て回ることができるよう計らう。まるでナオミの魂胆を見透かしたかのような処遇だ。というのも、ナオミは孔雀王ノアから、イリスを助けてやってほしいといわれ、ここの内情を探ろうと思っていたのだ。
孔雀王ノアは、蜻蛉帝シリウスとの戦いに敗れ、妻イリスを献上することで鳥籠の宮で生きていくことを許されたのだった。それを知っているナオミは侍女のアダのアドバイスにも耳を傾けながら、皇后や寵姫に会い、城内を探索していくのだが、だれかに会えば会うほど、未知の場所を訪れれば訪れるほど、疑問がわき、あちこちで不協和音が鳴り響く。そのうち、皇后イリスの姿を確かに目にしながらも、イリスがそこにいるのかどうかさえわからなくなる。
ここは四大元素である「風・土・火・水」の精霊たちが暮らす世界だ。たとえば、孔雀王や蜻蛉帝やイリスは風、ナオミの父は土、フレイヤは火、ティアは水の精霊という設定になっている。ナオミは必死に探索を続け、新たな発見に翻弄され、そのたびにより大きな謎にぶつかるのだが、そのなかで着実に成長し、たくましくなり、ついに皇后イリスの秘密に触れることになる。そこが二五六ページ。ここを読んだときは、思わず声をあげてしまった。
ところが、このあと、物語のテンポが一気に速くなり、展開もダイナミックになって、やがてナオミがこの世界の闇の歴史まで知ることになる瞬間、「底抜けの想像力!」と書きこんだ部分は、このクライマックスへの序曲に過ぎなかったことを痛感させられた。これほど読者を乱暴にゆさぶり、戦慄させる小説はめったにない。そのうえ、エンディングの爽快で痛快なこと! この作品を読み終えて、ひとつ気になることがあるとすれば、これ以上に衝撃的で魅力的な続編が書けるのだろうかという不安くらいだろう。
(かねはら・みずひと 翻訳家)