対談・鼎談

2025年6月号掲載

特別対談

消化器内科医兼小説家の二刀流対談

山口未桜 × 朝比奈 秋

『サンショウウオの四十九日』で芥川賞を受賞し、新刊『受け手のいない祈り』が話題の朝比奈秋さんと、デビュー作『禁忌の子』が今年の本屋大賞で第4位に選ばれ人気の山口未桜さん。医師としての専門が同じという作家二人の対談をお届けします。

対象書籍名:『受け手のいない祈り』
対象著者:朝比奈 秋
対象書籍ISBN:978-4-10-355732-6

山口 『受け手のいない祈り』を拝読しました。医者としての過酷な労働が大変なリアリティをもって描かれていました。朝比奈さんと同じく私も医者ですが、その立場で読んでも傑作で、逆に、ここまで書かれるのはとても勇気が必要だったのではないかと思いました。

朝比奈 医師免許はまだ持っていますし、たまに病院で働いていますが、医者としてというより、人間として書きました。

山口 その距離感があったから書けたのでしょうね。医者として一番しんどい時だったら書けない。

朝比奈 当時は目の前の患者の治療と、五分でも時間があれば寝たいということしか考えられませんでした。十数年経って、ようやく書けました。

山口 患者さんを救うという熱い気持ちを、あれだけ過酷な労働の中でも持ち続けられる……。

朝比奈 目の前に死にそうな患者がいたら、自分が死なない限りは逃げられない。そのことの積み重ねで、医者は過労死に至るんだと思います。

山口 その限界が捉えられていると思いました。

朝比奈 今の僕はもう出涸らしです(笑)。あの過酷な日々の中で全部出し尽くしてしまいました。国家試験の勉強と同じで、一回きりだから出来た。

山口 またやれと言われてもやりたくないです。

朝比奈 ちなみに、小説に書いたような月の残業が三百時間を超えるような医者はほとんどいませんから、ほんのごく一部です。

山口 今は多くて百時間くらいですかね……でも、当直を時間外に含めない病院もありますよね。

朝比奈 (笑)。今日来られた皆さんも、この小説を読まれたからって、夜間救急にかかるのは止めようなんて思わなくていいですよ。僕も具合が悪くなったらすぐに病院行きますから。

忙しさからの思い付き?

朝比奈 僕は小説をほとんど読んでこなくて、ミステリーを読むのは『禁忌の子』(東京創元社刊)が数十年ぶりでした。実家に置いてあった赤川次郎さんやアガサ・クリスティーの小説を中学生の頃に読んだことがあったくらいで。
『禁忌の子』は単なる謎解きや悲劇に終わらず、人間ドラマとして包容力が感じられ、とても面白かったです。

山口 ありがとうございます。

朝比奈 山口さんは生殖医療が専門ではないですよね。でもああいう……どういえばいいのかな。

山口 ……ネタバレにならないように話すのって大変ですよね(笑)。

朝比奈 専門ではないけれど、興味はあったのですか。

山口 死体のルーツを辿る過程で自分のルーツと向き合う物語にしたくて、医学的な裏付けを入れながら物語を考えていたところ、ミステリとしての根幹のアイデアを午前四時、娘が夜泣きした瞬間に思い付き、一気に初稿を書き上げました。その初稿を、社会的なことや倫理的なことなどを勉強して、一年くらいかけて内容を深めていった感じです。

朝比奈 医者の仕事をしながら娘さんも育てて、そういう大変な状況だと思い付くのかもしれませんね。

山口 でも、そういう思い付きって今後何回もあるのかどうか。

朝比奈 どんどんあると思いますよ。僕なんか、医者として働きすぎて燃えつきたあたりから、頭がパカッと開くような状態になって、もううんざりするくらい物語が入ってくる。百三十くらい、家のPCのデスクトップを埋め尽くしています。どう頑張っても生きてるうちに書ききれません。だから今回の小説みたいに、書いているうちに死ぬんやろうな(笑)。好きで書いてるわけでなく、書かないと仕方ないから書いている。代わりに誰か書いてくれないかなって思います。山口さんいかがですか?

山口 検討させてください(笑)。

朝比奈 印税率の相談を……(笑)。
 でも僕の話、他人事として皆さん聞いていると思いますけど、何かのきっかけで抱えきれないストレスに襲われて自分が破裂して、僕みたいに物語に取りつかれる人間になるかもしれません。気を付けてください(笑)。

ずっと書き続けるには

朝比奈 山口さんは、高校のころから小説を書かれていたのですよね。でも医者になるためにしばらく小説から離れていたと聞きましたが。

山口 はい、小説家は諦めて消化器内科医になったのですが、コロナ禍と出産が重なり、医師としての研究に携われなくなって。それで十六年ぶりに小説を書こうって思いました。

朝比奈 『禁忌の子』が一作目ですか。

山口 『禁忌の子』にも出てくる立花という女医を主人公にした連作短編を最初に書きました。長編はこれが初めてです。

朝比奈 去年デビューされて、変化はありましたか。

山口 執筆については、やることは一緒なので……。

朝比奈 地味な作業ですし(笑)。でも、医者と育児だけでも大変なのに小説も書くとは、相当な体力をお持ちではないかと。

山口 ないほうではないと思います。それに、朝比奈さんがおっしゃるような物語にとりつかれるというのはわかる気がします。

朝比奈 僕のように、頭がパカッて開けば、一生書き続けられますよ。

山口 オファーがあれば……(笑)。

朝比奈 いま山口さんにはたくさん依頼が来ていると思いますが、これから医者の仕事はどうするんですか?

山口 そこは悩んでいますね。常勤医として続けていくかどうか……。

朝比奈 僕は常勤医を辞めて、月に数回病院で働くだけなので、医者という感覚はもうないです。医者になったのも、命とは、人間とは、と子供の頃から考え続けてきて、医学部に行けばいいんじゃないかと思ったからです。でも、医学は自分の疑問に答えてくれなかった。ああ間違えたと思いましたが、哲学科に入り直すのも違うと思ったので、だらだらと医者になったという感じです。
 僕も山口さんと同じ消化器内科が専門なのですが、子供の頃はテレビゲームばっかりしてたので手先は器用で、内視鏡なら画面を見ながら動かすから、ぴったりやなって。ちなみに、小説にも書きましたが、外科の手術にも携わったことがあるんです。でもチームプレイができないことに気づいた(笑)。すぐにイラッとしてしまう。内視鏡は一人でできますから。

医師志望の理由さまざま

朝比奈 山口さんはなぜ医学部に進んだのですか?

山口 親に勧められたからです(笑)。消化器内科というのも、女医が内視鏡ができたら女性の患者さんに喜ばれるのではと親に勧められたからでして。でもやってみたら、ERCP(総胆管や膵臓での内視鏡の手技)がすごく楽しくて。

朝比奈 すごく狭い場所に、とても細い管を入れるんですよね。

山口 マニアックな手術です(笑)。私、覚えが悪くて手先も器用じゃないんですけど、一度覚えたら忘れないタイプなんです。

朝比奈 スロースターターなんですかね。ちなみに、親の敷いたレールに乗ってきたのに、作家になっちゃったことについて、ご両親はなんと?

山口 まあ、よかったね、と。

朝比奈 あまり喜んでいないような(笑)。

山口 でも、親との関係はよくなりました。わだかまりがなくなったというか。医者になったものの、胆膵という開業には向いていない分野を選んだのは、もしかしたら親への反発もあったのかもしれない。

朝比奈 医者としてちゃんと仕事をして、作家としても成功しているんだから、親孝行な娘ですよ。

山口 親からは「置かれた場所で咲きなさい」と言われ続けました(笑)。

医師だから書ける/書けない

朝比奈 山口さんの一日はパンパンに詰まっているんじゃないですか。

山口 朝は七時に起きて、保育園に子供を送ってから職場に行って八時四十五分に始業、午後六時くらいまでが仕事、それから子供を迎えに行って、買い物して家事をして子供を寝かせたら十時くらい。それから私たちのご飯を作って主人と食事して、十一時から二時くらいまでが執筆です。

朝比奈 平日の睡眠時間は五時間くらいですか、はあぁ……。僕は毎日死ぬほど寝てます(笑)。十時間くらい寝てさらに昼寝することもあります。

山口 『祈り』の頃には寝られなかったでしょうから……。

朝比奈 十数年前の睡眠を取り戻しているんでしょうね。でも、そんな生活……育児はやめられないとしても、常勤医だったり小説だったりは、もうやめようと思ったりしません?

山口 それは……。

朝比奈 ちょっと思い始めてる?(笑)

山口 書くことが呪いみたいな感じになってるかも。

朝比奈 そのスケジュールで、それこそ五年続けるのは大変ですよ。

山口 かつての朝比奈さんほどではないですけど。

朝比奈 心配になります。

山口 産業医の面談を受けているみたいです(笑)。

朝比奈 それに、医者である以上、医療倫理から逃れられないですよね。僕はもう医者だと思ってないから、それこそ小説で「患者が生きようが死のうがどうでもいい」とか書けますけど。

山口 患者さんに読まれることを考えますし、現役の勤務医なので、誰かを傷つけてはいけないっていつも考えます。『禁忌の子』も、非常にセンシティブなテーマなので、丁寧に積み上げて書きました。

朝比奈 例えば、手塚治虫さんの「ブラック・ジャック」では、医者としての正しさはどうでもよくて。でも命自体に対しては誠実で、魂について深く描いているところは共感できます。

山口 私も「ブラック・ジャック」好きで、他にも最近だと「まどか26歳、研修医やってます!」のドラマが、すごくよくできているということで、医療関係者の評判がいいですね。
 ちなみに、『受け手のいない祈り』の医者同士の会話というのがすごく私には響いて、最初にも言いましたが、医者の世界から距離を置いているからかなと思いました。

朝比奈 医者として守るものがないのでしょうね。

山口 NGゼロみたいな。

※編集部注:この対談は2025年4月5日に開かれたトークイベント(紀伊國屋書店横浜店主催)の内容を再構成したものです。

(やまぐち・みお 小説家・医師)
(あさひな・あき 小説家・医師)

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