書評
2025年6月号掲載
新潮選書ベストセレクション 昭和100年/戦後80年 歴史フェア2025
荷風を追いつづける姿に戦慄さえ覚える
川本三郎
『荷風の昭和 前篇─関東大震災から日米開戦まで─』『荷風の昭和 後篇─偏奇館焼亡から最期の日まで─』
対象書籍名:『荷風の昭和 前篇─関東大震災から日米開戦まで─』/『荷風の昭和 後篇─偏奇館焼亡から最期の日まで─』
対象著者:川本三郎
対象書籍ISBN:978-4-10-603927-0/978-4-10-603928-7
永井荷風や東京の町に興味があれば、『荷風と東京 『断腸亭日乗』私註』(平成8年)をはじめとする川本三郎氏の著作はたぶん読んでいるだろう。本書は川本氏が四半世紀の時を経て『断腸亭日乗』に再びとりくんだ大著で、結論を先にいえば、読者は本棚の荷風あるいは東京の本があるあたりに、前後篇二冊ぶんのスペースを確保すべきだ。
前篇「関東大震災から日米開戦まで」は、『荷風と東京』が主にあつかった時期。はじめての読者にとっては入門篇といってよく、そうではない人をも唸らす記述が随処にある。『つゆのあとさき』の一節を引いて昭和初期の赤坂には外国車ディーラーが多かったと述べるくだりなど、ちょっとした細部から都市の表情を再構成する著者の手さばきは健在。『大正幻影』とおなじく、花屋の窓ガラスやあんみつ、食品サンプルなどが、町のたたずまいを物語る。『断腸亭日乗』の記述をたしかめる際、関係者の回想記やインタビューを多く引用するのは川本氏独特の方法で、荷風を見つめた人々のまなざしや声が『日乗』の漢語の多い文体をやわらげ、時代の感触を伝えるつくりになっている。挿絵や写真は一切ないが、風俗や地名について引用される黒澤明や小津安二郎の映画、あるいは藤森静雄などの絵が、なつかしさに満ちた東京風景を浮かびあがらせてくれる。
川本氏いうところの「小文字の昭和」、地べたに立った生活者の感覚から荷風の時代を眺める方法は、私家版の小冊子まで入念に集めながらもこちたき批評家や研究家の文体に陥らない、細心の注意と深くかかわるのだろう。ぐっと調子高に時代や文学を論じてしまいそうなところを「踵を返して」まわりこみ、すっと荷風の周囲のほうに戻っていくのどやかな行文は、かえって多面的な荷風の表情を描きだしているようだ。
好色で吝嗇な畸人、といった荷風のイメージを否定し、女性への愛情がある金銭感覚のしっかりした人として作家を描く基本線は変わらない。しかし五・一五事件前夜に青年将校たちのクーデター計画を耳にした荷風が「武断政治を措きて他に道なし」と言ったり(『日乗』昭和6年11月10日)、『ぼく東綺譚』の「作後贅言」で五・一五を「義挙」としたりすることの意味を川本氏が自問自答するように調査をすすめ、しだいに事件の背後にあった農村の窮乏に思いをいたしてゆくあたりに、『荷風と東京』と本書とのちがいがある。『荷風と東京』が街路を歩きまわり「都市の感受性」を敏感にとらえる生活者のポートレイトだったとすれば、本書は荷風とそのまわりの、華やかでもシックでもない暮らしの方に光を当てる。弱くなった荷風をじっと見るまなざしは『老いの荷風』以来のもので、荷風が見ようとしなかったけれども確実にそこにあった風景の数々が、『断腸亭日乗』の世界に新たな陰影をあたえている。空襲のあとで軍隊や消防団、受刑者たちが死体をかたづけたことへの注目は、戦火をくぐった荷風が死体を一切書いていないという指摘につながっているし、戦後の荷風ブームには同じ空襲の被害者である荷風への共感が伏在していたという炯眼も、この姿勢の変化あってこそのものだ。
その意味で、本書の読みどころは後篇「偏奇館焼亡から最期の日まで」、疎開するたびに爆撃を受けつづけてしまった荷風が人に助けを乞うようになり、周囲で荷風を支え迷惑をこうむった人々を一人一人追っていくパートにこそあるだろう。私は荷風にまつわる文章を、描かれた場所に行って「見た」人の文でなければ信用しない。東京、明石、岡山、熱海そして市川と荷風の足跡を踏査し聞きとりをつづける川本氏の行文には、後篇にしばしばあらわれる「余談」とあいまって、長年の経験というだけでは片づかない凄みがある。『荷風と東京』執筆時には国際文化アパートの「飾柱と石段」がまだあったけれども、「現在ではそれも消えてしまった」とある一節は、物に歴史の消滅を見た荷風の文を、さながらに読む思いがした。
耽読しよう、拾い読みでもいい。ページをめくれば、知らなかった荷風と東京の姿がかならず見つかるはずだ。そして川本氏に誘われて荷風の町々に出かけるときは、このごろ文庫本で刊行中の『断腸亭日乗』(中島国彦・多田蔵人校注)を携えてゆかれることをおすすめしたいと思う。
(ただ・くらひと 国文学研究資料館准教授)