書評
2025年6月号掲載
新潮選書ベストセレクション 昭和100年/戦後80年 歴史フェア2025
「天皇制」と「鉄道」が交差する新たな思想史
原 武史『日本政治思想史』
対象書籍名:『日本政治思想史』
対象著者:原 武史
対象書籍ISBN:978-4-10-603929-4
一見すると、いかめしいタイトルだが、実は本の中身は誰にでも近寄りやすい話題に富んでいる。
「日本政治思想史」というジャンルは丸山眞男によって切り開かれた。丸山の本としては岩波新書の『日本の思想』が余りにもポピュラーなミリオンセラーだが、丸山の最初の本は『日本政治思想史研究』だった。丸山の流れは現在に続くまで、さまざまな学者や文筆家を生んできた。原武史は、その中で最もアウトサイダーにして、最も丸山の問題意識を引き継いでいる存在ではないか。本書を読んでそれを痛感した。
もともとは放送大学のテキストとして書かれた『日本政治思想史』だが、目次を一覧するだけでも、オリジナリティに溢れている。「空間と政治」、「時間と政治」、「街道から鉄道へ―交通から見た政治思想」、「東京と大阪」、「超国家主義と「国体」」と進み、戦後八十年は「戦後の「アメリカ化」」、「戦後の「ソ連化」」、「象徴天皇制と戦後政治」と三つの章で総括されている。江戸時代から現在までを取り扱うが、主要な思想家個人の思想の記述に重点を置く教科書的な体裁はとっていない。原武史自ら「確信犯的にやっている」と言明するとおりだ。
「このような日本の政治思想を探るためには、個々の思想家の言説を追ってゆくだけでは限界があります。体制を支えている思想が、必ずしもテキストに書かれているわけではないからです」
原武史の存在が世に知られるようになったのは、『大正天皇』と『「民都」大阪対「帝都」東京――思想としての関西私鉄』だろう。「天皇制」と「鉄道」という二つの切り札を交差させて、新しい「日本政治思想史」を構想してきた軌跡が、本書では生かされている。いわば原武史の学問的自伝であり、原武史版の『日本の思想』でもある。
新聞記者を辞めて、原武史が東大の大学院で政治思想史を学ぶきっかけになったのは、昭和天皇の最晩年に、宮内庁取材の応援に駆り出されたからだった。日本社会全体を蔽った「自粛」はなぜ起きたか。元号が変わってあらわになる「皇后化した天皇制」。退位の意思を強く滲ませ、「平成の玉音放送」ともいわれたビデオメッセージの「おことば」による圧倒的な支持のとりつけ。天皇(現上皇)による「象徴」の定義づけ。日本の政治が、いまも「天皇」を中心に動いていることに誰よりも敏感だったがゆえの「原政治学」の誕生だった。
原武史が院生になるころ、丸山眞男は「昭和天皇をめぐるきれぎれの回想」を小さな雑誌に書き、天皇制という「呪力からの解放」の難しさを自らの経験をもとに書き残した。その丸山眞男のテーマを、原は正面から引き受け、愚直なまでに平然と推し進めている。いばらの道とはいわないが、難所の地形に新線を開通させるくらい困難な仕事のはずである。
本居宣長による天皇の「発見」以来、明治時代に「創られた伝統」が国民に浸透していく。その画期を、原は1921年(大正10年)とする。訪欧から帰国した裕仁皇太子が自らの意思で、生身の身体を見せる「見える天皇」となっていき、「君民一体」の空間が作り出された。昭和天皇は、日中戦争勃発以後には、宮城前広場(いまの皇居前広場)に集まる人々の前に、二重橋上で白馬にまたがって現われ、「勝利の幻想」を与えた。玉音放送による終戦の後にも、焼け跡の中の戦後巡幸で、その一体感は変わらずに保たれた。「国体は護持された」のだ。
司馬遼太郎は『この国のかたち』で、昭和前期の日本を「異胎」と名づけて、怪しんだ。その「異胎」がなぜ出現してしまったかは、日本近代史の大きな謎だが、原武史の『日本政治思想史』は、その疑問に対する、現時点での最も説得力ある解答といえるのではないだろうか。「原政治学」では、その時代の負の遺産がいまだに続いていると見ている。
『日本政治思想史』では、原武史によって「発見」された「大正天皇」に、あまり出番がない。大正天皇が時代への影響力を行使しなかった(行使できなかった)から、当然なのだが。『日本政治思想史』を読んでいて、原武史によって描かれた、はつらつと全国を回り、予測し難い行動をとり、気さくで人間味あふれる大正天皇(嘉仁皇太子)像が懐かしく思い出される。大正天皇の時代がもっと続き、首相の原敬も暗殺されなければ、近代日本は違った道を歩めたのではないか。『大正天皇』を読んだ時の、そんな儚い空想を思い出した。
(ひらやま・しゅうきち 雑文家)