書評
2025年6月号掲載
新潮選書ベストセレクション 昭和100年/戦後80年 歴史フェア2025
一国史観の幻影を壊す豊饒の書
上田正昭
『私の日本古代史(上)―天皇とは何ものか――縄文から倭の五王まで―』
『私の日本古代史(下)―『古事記』は偽書か――継体朝から律令国家成立まで―』
対象書籍名:『私の日本古代史(上)―天皇とは何ものか――縄文から倭の五王まで―』/『私の日本古代史(下)―『古事記』は偽書か――継体朝から律令国家成立まで―』
対象著者:上田正昭
対象書籍ISBN:978-4-10-603720-7/978-4-10-603721-4
まだ若い頃に、上田正昭さんの『帰化人』を読んだときの興奮が思いだされる。帰化人という言葉が、その自明性をひき剥がされて、歴史の読み方が裏返されるような体験だった。この『私の日本古代史』という、上田さんが最晩年に書き下ろされた渾身の著書を、わたしはその若き日の読書体験の真っすぐな延長上で読むことになった。これはまさに、「アジアのなかの『古代史』の再発見」(「まえがき」)の書なのである。
この書では、「帰化」という用語の背景に、日本版の中華思想が存在したことが指摘されていた。これは「日本」という国号を掲げた古代律令国家の国際関係にも影を落としていた。「中国(中華)には必ず「夷狄」の存在が必要となる」という。実際にも、遣唐使が「蝦夷の男女」を伴って入唐したことがあるが、まさしく東の夷狄を小中華としての日本は必要としたのである。現代にも、帰化という言葉は生きているが、そこに中華思想は隠されていないか。
「天皇」の称号と「日本」という国号が天智期から天武期に誕生したことは、すでに通説であるが、上田さんはここでは、それをひたすら東アジア世界の歴史的景観のなかで追究している。これ以前には、大王はいても天皇はいなかったし、倭国はあっても日本国は存在しなかった。日本という国家の輪郭は、想像される以上に揺らぎをはらんでいる。国境はけっして自明なものではなく、倭人も半島の人々も、その幻想の国境をたえず跨ぎ越え往還していた。都の内や外には、数もしれぬ渡来人たちの影があった。渡来系の技術や文物が移入されただけではなく、その担い手である渡来系の人々が、朝鮮半島の政治状況を背にして渡ってきて、さまざまに活躍していた。大化の改新の背後にも、天武天皇や藤原不比等のまわりにも、歴史書の編纂の現場にも、大きな役割を演じた渡来人たちが見え隠れしている。彼らはたんなる脇役ではなく、影の存在でもない。この書を読んでいると、それが痛いほどに感じられる。
これまで日本という領土の内なる歴史のひと齣として(のみ)語られてきた事件が、激動する東アジアの政治や軍事をめぐる情勢のなかで、丁寧に読み解かれてゆく。とりわけ、朝鮮半島と倭・日本との交渉や戦争といった状況を視野に収めることなしには、日本の古代史を明らかにすることはできない。日本の古代史像はかつて、『古事記』や『日本書紀』などの文献の読解を核として、考古学的な遺跡や遺物を重ね合わせにしながら織りあげられてきた。上田さんはそこに留まらず、朝鮮半島の文献史料や考古遺物を博捜しながら、一国史観の幻影を壊してゆく。
上田さんならではの、新しい知見が惜しげもなく提示される。たとえば、三輪山の神婚説話について、三輪山の神が蛇体となって女を訪れ、糸をたどって神の正体が知られる苧環型の説話など、その類似の伝承が朝鮮半島にもある、という。あるいは、高千穂への降臨伝承には、朝鮮半島と筑紫との深いかかわりがあったのではないか、という。天孫降臨神話をめぐって、朝鮮の神話との比較研究が必要となる。そのうえで、決定的な違いも指摘されていた。
上田さんはいう。「新羅の始祖は村々の始祖たちの合議の要請にこたえて天降る」のであり、『三国遺事』が記すように、その降臨は『古事記』や『日本書紀』が描くような、「まつろわぬ葦原の中つ国を平定するための神話」ではなかった。いわば、天降る神の側ではなく、神を迎える村の長たちや民衆のほうに、「神話の主体がある」のだと論じられている。たしかに、日本の神話においては、降臨する神を迎える村の人々の姿は語られていない。視野の外に棄て置かれている。
この書にはまた、出雲・吉備・筑紫・東国・東北についての考察がくりかえし見いだされる。とりわけ、玉作りの文化をめぐって、「北ツ海文化圏」に触れた箇所には心惹かれた。北ツ海とはむろん、日本海の古名である。上田さんはここで、古代史における高句麗使や渤海使の重要な意味に触れながら、「船が停泊しうるラグーン(潟湖)のありよう」に注意を喚起していたのである。震災後に、柳田国男の潟をめぐるエッセイを起点に、この潟湖に眼を凝らしてきたわたしには、見過ごせない一節であった。
折口信夫への言及が随所に見られる。たとえば、関東大震災における朝鮮人虐殺をテーマにした「砂けぶり」の一連の歌(――折口は「非短歌」と称した)について、上田さんは「折口を悲憤と絶望に追いやったのは、朝鮮人虐殺の「やまと」の本質であった」という。そして、「折口学における朝鮮は、ついに未完だった。そしてその死角となった」とも指摘していた。それは真っすぐに、上田さん自身が抱え込んでいた、「日本にとっての朝鮮とは何であったか。朝鮮にとっての日本とは何であったか」というテーマへと繋がっていた。
上田正昭という歴史家の最晩年の書の豊饒さに、わたしは心打たれている。
(あかさか・のりお 民俗学者)