書評
2025年6月号掲載
私の好きな新潮文庫
この小さな本たちを私は手放さない
対象書籍名:『思い出トランプ』/『家守綺譚』/『センス・オブ・ワンダー』
対象著者:向田邦子/梨木香歩/レイチェル・カーソン、上遠恵子 訳
対象書籍ISBN:978-4-10-129402-5/978-4-10-125337-4/978-4-10-207402-2
本好きは、単行本で持っているのに、文庫化された同じタイトルの本を買ってしまうことがある。書店を営んでいるので、ときにその場面に遭遇する。常連さんだと会計のときに気付いてしまい、「その本、持ってますよね?」とつい訊くと、「増補してあるから」とか「解説を読みたい」とか、「持ち歩き用」などといった返事が返ってくる。気持ちはわかる。私は向田邦子全集を持っているのだが、ぼろぼろの『思い出トランプ』の文庫版を手放せないでいる。若くて、住んでいた部屋も狭くて、文庫本ばかりを買っていた頃に手に入れた一冊。向田作品との出会いは、本ではなくてブラウン管テレビを通してだった。小学校に上がる前にはすでに「寺内貫太郎一家」を見ていたから、ませていたのだろう。当時まだ“悠木千帆”だった樹木希林が、身をよじらせて「ジュリー」と言っていた姿を覚えている。
好きな新潮文庫三冊というお題をいただいて、『思い出トランプ』をまず読み返した。1980年刊行の短編集で、家族の話が多く、家父長制がいまよりさらに根強かった頃の物語だから、もやもやするかもしれないという不安があったのだ。だが、案ずることなかれ。人間の持つずるさや弱さ、近しい人に秘密を持ってしまうことのうしろめたさを描く本書には、時代が変化しても変わらず心惹かれた。年を取った分、むしろ面白さが増したような気さえする。

改めて感じたのは、五感に訴える表現が多いということ。たとえば「耳」という一編では、熱を出して欠勤している男に、耳の下で水枕がプカンプカンと立てる音や日向臭い水枕のゴムの匂いが、幼少期の記憶を想起させる。意識せずとも映像が浮かび上がり、音が聞こえ、匂いが立ち込めるようだ。身体ぜんぶで読んでいるから私自身の記憶も思い起こされ、後ろ暗い記憶がよみがえったりする。人間の闇を覗いても不思議と嫌悪感はわかず、人間というものは哀しく愛おしいのだ、という気持ちが読後に残った。
人間だけでなく、草木や鳥や虫、あわいに生息するものの気配に親しみを感じるようになったのは、梨木香歩さんの本のおかげだ。梨木さんの描く世界は生類の気配に満ちていて、読みながら自分もそこに棲みついているような錯覚を覚える。読み終えた後は自分だけはじき出されたようで少しさみしく、濃密だった空気が薄くなったような気になる。現実世界に戻ると、人間を世界の中心にすえてはいけないという思いが増す。
数年前に、山にほど近い、古い借家に越した。家から五分ほどで山に入っていけるので、ときおり散歩がてら植物を見に行く。借家にはこぢんまりした庭もある。大家さんが残した草木にあわせて手をいれながら、植物の名前を少しずつ覚えていった。『家守綺譚』を初めて読んだときは目次に並ぶ植物の姿がさっぱりわからなかったが、いまでは庭に生息している植物も中にはあって、それらを愛でている。先日はコゲラがイチジクの木にやってきて、幹の中にいるカミキリムシの幼虫を探していた。ちょっとだけ、梨木さんの本の世界と現実世界が近づいたかもしれない。いまのところ、サルスベリに恋をされたり、河童に遭遇したり、狸にばかされたりはしていないが、主人公・綿貫征四郎が亡き友やご近所さんから薫陶を受けたように、私もご近所さんに教えを乞うている。

植物をちょっと眺めようと庭に出ると、流れる雲や、昼間の月なんかもついでに見る。鳥の声も聞こえるし、虫の羽音もする。すぐ逃げてしまうが、とかげを観察するのも楽しい。ささやかなよろこびに満たされる時間だ。「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」は生涯を通して持続するものである、とレイチェル・カーソンが語っていた通りなのだ。

かつて単行本で読んだ『センス・オブ・ワンダー』が文庫版になり、新たに写真家・川内倫子さんの写真があわさった。光を宿した写真のひとつひとつが言葉を祝福しているように感じる。だが、こんなことを思っていても、日々に流されるとすぐに「ワンダー」を見失う。だからこの小さな本を私は手放さない。
(たじり・ひさこ 「橙書店 オレンジ」店主)