書評

2025年6月号掲載

今月の新潮文庫

「アニメーション作家」だからこそ書けた小説

山本暎一『大江戸春画ウォーズ UTAMARO伝』

森重良太

対象書籍名:『大江戸春画ウォーズ UTAMARO伝』
対象著者:山本暎一
対象書籍ISBN:978-4-10-106061-3

 新潮社本館の横に建つ倉庫は、1959(昭和34)年に竣工しました。いまでも健在の、しっかりした建築物です。ただ、茨城・五霞に大きな倉庫ができてからは、本来の商品倉庫の役割は終え、社員の資料などの“保管倉庫”と化しておりました。
 昨年春、その倉庫の一部が、ギャラリーとして改装されることになり、“中身”を整理処分せよとの連絡がきました。新潮社で四二年間、編集者をつとめてきたわたしは、すでに定年退職してフリーランスでしたが、そういえば、大量の資料を残したままでした。
 さっそく倉庫にこもって整理をはじめると……あるダンボール函の底に、分厚い大きな封筒がありました。A4判で一八九枚、ワープロ出力の原稿でした。四〇〇字詰めに換算すると七五六枚の大作です。色褪せてパリパリに乾燥しており、インクジェットの印刷面も、一部消えかかっていました。
 アニメーション作家、山本暎一さん(1932~2021年)の原稿です。虫プロ創設メンバーで、日本初の連続TVアニメーション「鉄腕アトム」や「宇宙戦艦ヤマト」シリーズの、演出や脚本などを手がけた方です。いわば、日本のTVアニメーションを開拓してきた大功労者です。わたしが若いころに担当した、『虫プロ興亡記 安仁明太の青春』(1989年、新潮社刊)の著者でもあります。
 その色褪せた原稿は、1997年に書かれたものです。二七年ぶりの“再会”でした。しかし、諸般の事情で、当時は本にすることができませんでした。それが、こんな雑然としたなかに埋もれていたのかと、懐かしくて、倉庫のなかで、立ったまま読み始めました。お昼前だったと思います。
 五分後、わたしは、原稿を抱えて外へ飛び出し、あるところにこもって、あらためて精読しはじめました。読み終えたのは夜の九時すぎでした。そのころには、乾燥していた原稿も、湿気を吸って、すっかり柔らかくなっていました(それほど密閉度が高く、湿気を遮断する倉庫で眠っていたのです)。
 内容は、稀代の絵師・喜多川歌麿とその仲間たちを描く時代小説、青春群像劇です。しかし、尋常な小説ではありません。闇の魔物や、つくも神が登場する、奇想天外なエンタテインメントで、アニメーションをそのまま文字にしたような面白さです。
 山本さんの声が聞こえてくるようでした――「来年の大河ドラマは、蔦屋重三郎だそうじゃないですか。来年こそ、刊行のチャンスですよ」。
 たしかに、作中に、蔦重も重要キャラとして登場するのです。彼は「この世で最低のもの」を堂々と描ける絵師を探しており、若き日の歌麿に出会います。この二人が生み出すのが、『歌満くら』『画本虫撰』などの名作です。これらのどこがすごいのか、また、なぜ、歌麿だけに、あれほど天才的な画力が宿ったのか――ユニークな解釈が続出します。いかにも山本さんらしい、“体制批判”も盛り込まれています。おそらく山本さんは、ご自分や、現代のアニメーターの姿を、歌麿たち江戸時代のクリエイターに仮託したのだと思います。
 そのほか、「江戸シティ」「ラビリンス」「サバイバル」など、現代カタカナことばが当たり前のように登場し、「屋敷の前は今の清洲橋通り」「万年橋は、今、首都高速道路の上にかかっているが」など、時代小説に不慣れな読者にもわかりやすく書いてくれています。従来の常識から思いきってはみだし、とにかく読者を愉しませようとする、「アニメーション作家」山本暎一さんの姿が目に浮かびます。
 この原稿は、幸い、新潮文庫で刊行できることになり、それからは“疾風怒濤”でした。連絡先不明だったご遺族を探し出してお会いし、事情を説明して、刊行の許諾をいただきました。ご遺族も、山本さんがこれほどの分量の小説を書いていたことを初めて知り、驚いておられました(そこに至る経緯は、文庫巻末に寄稿した解説で、詳述しました)。
 この3月、新潮社本館と倉庫が、「登録有形文化財」に登録されることが“内定”しました。いまは、ギャラリー《倉庫 SOKO》ですが、そのなかで、二七年間、湿気から守られながら眠っていた原稿が、この『大江戸春画ウォーズ UTAMARO伝』なのです。

(もりしげ・りょうた 編集者/ライター)

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